サウジアラビア人記者であるジャマル・カショギ氏の殺害が関心を集める一方で、シリアのテロ組織の人質となっていたジャーナリストの安田純平氏が、解放されて帰国した。この二つの事件に、国情の違いが如実に反映している。
カショギ氏は、反政府派のジャーナリストだったとは言われるものの、現実には彼の報道姿勢は政策に対する提言、批評であって、体制を否定するほどの反体制派ではなかったと言われる。
にも関わらず、事件現場となったサウジアラビア領事館を捜査したトルコ政府は、カショギ氏が反体制派と見なされ、サウジ政府の陰謀で生きたまま解体されるという酷い殺害方法がとられたとの見解である。かつて、アルカイダの捕虜となった日本人青年が、生きたまま斬首されるという酷い事件があったが、アラブ陣営ではとかく敵を斬首する習性があるのだろう。イスラム・テロ組織のキリスト教陣営に対する怨念はよほど根深いと見えて、彼の日本人青年のみならず欧米各国の人質が斬首されたり、身体の一部を切断されて殺害されるといった凄惨な事件が起きている。それを思えば、ケンカの末の偶発的死亡と主張し、関与を否定するサウジ政府への疑惑は払拭しきれまい。そもそもペンを武器とし、言論を以て闘うジャーナリストが、実力行使の暴力沙汰に訴えることは考えにくい。
このため、トルコ政府はサウジ政府を批判し、貿易面でも軍事面でもサウジと親密なアメリカも、トランプ大統領がサウジ政府を非難し、経済制裁へと舵を切った。
一方、安田氏のケースでは、シリアへの渡航を危険として禁止する政府が、シリアへ渡ろうとする同氏に中止を勧告したにも関わらず、ネットで政府を痛烈に批判・罵倒した挙げ句に、渡航を強行して人質となった。ジャーナリズムの使命は、公権力の暴走や不正を監視することにあるので、政府批判は珍しいことではないが、今回のケースでは不安定なシリア情勢の危険性と、そこに安易に立ち入ることの無謀さを、日本国民は先述の事件などを通じて十分に認知しているので、ネットでは自粛を促した日本政府の対応を正当とみなし、安田氏の政府批判と強引な渡航こそは理不尽で身勝手な行為と、批判的に捉えられている。
しかも、身代金を要求するテロリストのプロパガンダ動画で、同氏は自らの属性を日本に敵視政策を行う韓国の人種であると発言したことから、ネットでは反体制派の反日思想の持ち主とみなされ、拘束への労いや解放に対する安堵よりも「身勝手な行動」への批判が多く、「韓国人ならば、韓国政府に要求すべきではないか」といった意見や「本当はテロリストと共謀し、日本政府にタカろうとしたのでは」といった極論まで飛び出した。
興味深いのは、このようにして殺害されたカショギ氏と、生還した安田氏の運命の違いに、国情の違いが歴然と反映していることである。政権転覆を招かねないほどの反体制派だったわけでもないカショギ氏が、サウジ政府によって殺害された一方で、生命の危険を気遣って渡航中止を勧告した日本政府を罵倒しながらも、生還して日本国に迎え入れられる安田氏の運命は対照的である。そこには、まさに外患誘致にも近いほどの反日言論が許され、身分保証される日本と、王室独裁制のサウジとの体制の違いが反映されている。この二つの事件の顛末から、我々は改めてデモクラシーの重要性と普遍性、それに伴う自由と責任について、考えさせられるのである。
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