JULY.2011


 東北大震災から3ヶ月を経て、ようやく政府復興構想会議による復興計画骨子案が提示された。財源問題や二重ローン問題、居住地の高台移転が明記されていないなど、まだ具体性に欠けているため、自治体や被災者らからは厳しい採点が下されているが、これまで公共事業批判ブームに乗って、否定されてきた公共事業の意義と社会資本の価値、公共投資の本質について、原点に立ち返り、国民的課題として考え直す好機とすべきだろう。
 公共事業批判がブームとなった背景には、景気後退と国債増加、大手ゼネコンと政治家の資金的癒着、業界内の談合といった諸要因と裏面史があった。さらに、公共事業批判の論拠を補強するため、その投資効果や経済性が検証され、中には怪しげなデータを持ち出して、日本国の公共事業予算とインフラ整備率がG8の中でも飛び抜けているかのような印象操作までが見られる状況にあった。そのブームに乗る形で、利権政治を潰すという名目の構造改革や、経済成長よりも福祉重視のイデオロギーも絡み、公共事業を廃止へ追い込むための理論的包囲網が構築されていった。
 その結果、政府、自治体ともに公共投資予算はピーク時の3分の1から4分の1にまで削減され、建設業界は廃業・整理を強いられ、世界をリードする土木・建築技術という我が国の貴重な知的財産を持つゼネコン各社には、国外市場に活路を探せとの姿勢で、事実上の国外追放という事態である。これによって、我が国は未曾有の失業者を輩出し、納税者が激減すると同時に生活保護世帯の激増という衰退局面に拍車をかけてしまった。
 そうした矢先に起ったのが、今回の大震災である。津波によって市街地も田畑も泥土に埋まった荒野と化し、港湾・漁港は機能停止となり、道路網は寸断。被災者は人命、財産、職業、生活の全てを失うことになり、しかも復興はおろか、被災者支援もままならぬ状況が続いた。
 石原東京都知事は、「天罰」と発言して批判を浴びたが、解釈によっては火山山脈と大海に挟まれた、危険な地震大国に暮らしながらも、安全を確保するための地道なインフラ整備を蔑ろにしてきたことへの天罰とも言えるだろう。
 この6月に行われた国交省各地方整備局と日本建設業協会連合会との意見交換会では、日建連側から、公共事業をホテルの非常階段に喩え、一度も使われないから不要とする風潮に疑問を呈し、国民の安全と安心のために、採算性が合わないものを受け持つのが公共であるとの主張が提示された。
 まさしく、公共投資・公共事業の本質とはこういうもので、社会資本は商品ではない。インフラ整備は、採算性や収益性を追求して利潤を獲得するために行われるものではないのだが、そこに生半可な商業ビジネスの視点を持ちこんだことで、本質を見失ってしまったというべきだろう。今日の受注契約において見られる狂気的な価格競争は、低コストで高品質を、という矛盾を実現する上では当然の帰結であるが、本来、一つ一つを単品生産で創りあげる社会資本は一物一価でしかなく、価格競争自体が無意味である。
 それでも震災の揺れで倒壊した建物が少なかった事例に見られるように、品質を落とすことなく、高品質が実現しているのは、発注者たる行政の涙ぐましい工夫と、受注者たる建設業界が死に物狂いで維持してきた職人としての良心の賜である。しかし、それも限界に来ているのが現実だ。震災のショックによって、公共事業批判ブームのまどろみから覚めたいまこそは、国民を挙げて公共投資、公共事業、社会資本の何たるかを、原点に立ち返って再認識し、正当な評価と予算措置を図るべき時である。行政においては、これ以上「想定外」という言い訳は許されないのである。




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