July.2008

 秋葉原でまたも無差別の通り魔殺人が発生した。犯人は25歳の若者で、派遣生活に疲れ、世の中に嫌気がさしたことが動機であるとし、携帯電話専用の掲示板に、心境や事件に至る経緯、そして犯行直前までのドキュメントを、自ら綴っていたという。

 こうした無差別殺人は、過去にも千葉県深川市で発生した通り魔事件など数件が見られたが、当時はほとんどが薬物乱用による中毒者の幻覚や錯乱などが主な原因で、文字通り狂気の沙汰でしかなかった。しかし、世間に嫌気がさして自暴自棄になった自分を観察し、表現する冷静な犯人によるテロまがいの無差別殺戮は、この数年の特色ではないだろうか。そして、その動機も他人事として割り切れない日常的なリアリティがあるため、この手の犯罪は、今後も同様な境遇にある者によって、再発する可能性があるのではないかと懸念される。

 報道から見ると、動機は人生の指針とプライドを失って、心の平衡を欠いた末の犯行と思われるが、この心理状態は、決して犯人だけに限定された特殊ケースとは言えまい。少子高齢化で、生活面では医療費負担増、年金減額、介護負担の増加の一方で、経済面では原油高、物価高で、破産や倒産が相次ぎ、再雇用の機会はなく、あってもホームレスと大差ない暮らししか許されない不遇は、今や誰の身にも起こりえる悲劇である。そうした過重なプレッシャーと閉塞感が、日常的に蔓延しているのであるから、自暴自棄になって犯人のような暴漢へと豹変する者が、さらに現れる可能性は否定できまい。くしくも隣国の韓国では、10万人が示威行動を始め、内閣の全閣僚が辞職に追い込まれた。

 また、さらに踏み込んで最悪のケースを考えるなら、ホームレスとなって空腹を抱え、夜露に凍えるくらいなら、犯罪者となって獄舎に収監される方が安全にして得策と考える輩が現れないとも限るまい。近年は短絡的な犯罪が増えているためか、厳罰化の方向性にあるが、それを望む者にとってはむしろ好都合というもものだろう。なるべく罪悪感に苦しまない軽微な犯罪で、より長く収監されるなら、それに越したことはないとの打算も働くだろう。

 こうした閉塞感に国民を追い込んでいる真犯人は、突き詰めていけば850兆円に及ぶ国債と見て良いだろう。我が国政府は、国際社会から請われるままに、国内外に大盤振る舞いをして積み上げたその債務の返済に躍起だ。けれども、その返済手段を単に国民の経済生活と社会保証の破壊に基づく増収策でしか実現できないとなると、どうして国民が健全な勤労意欲とモラルを維持し得るだろうか。しかも政権を与る者が、閉塞感の中にわだかまる国民感情を直視しようともせず、なおも報道陣に向かって「そうなんですか?」などと惚けるならば、もはや当事者能力を疑わざるを得ず、国家経営の責任能力も認めることはできまい。かつて、大戦後のドイツが過重な戦時補償によって陥った過剰なドイツインフレを、アメリカによって収束してもらったと同じく、日本もいっそうのこと敗戦直後のように、再び占領統治によって代理再建してもらうしかないのではないか。


過去の路地裏問答