July.2010


 鳩山政権が解体し、菅政権が発足した。2世議員でなく金満家でもない庶民という出自に共感してか、支持率は早くもV字回復するという短絡的な反響が見られる。だが、その前に主権者たる国民としては、前政権の失政の責任と賠償を求めるくらいの厳しい批評眼を持つことが必要ではないだろうか。
 前首相の辞任は、政治資金運用における不正への引責という理由づけではあるが、引責すべきはそれだけではない。在任8ヶ月の間に何をしてきたかが重大で、内政においては「国民の命を守りたい」と繰り返す裏腹で、経済を疲弊させる愚策の強行により、行き詰まった何万人もの企業実務者が首を吊るのを見殺しにしてきたのではなかったか。
 外交においては、同盟国に対する政治的信頼を損ね、我が国の防衛ラインを危うく後退させかねない危険にさらした。しかも、政権と利権を牛耳ろうとした小沢前幹事長などは、政治資金によって基地移転対象地周辺の土地を先行取得していたとも言われる。
 財政においては、再建を錦の御旗に削減すべきでない投資的予算を削減した反面、無駄な浪費政策で自民党政権以上の赤字国債を発行し、ツケを増やしただけである。しかも、野党のみならず国民が疑問視する関連法案はことごとく強行採決の暴挙による成立である。これがもしも台湾国会なら毎度、大乱闘・大混乱となって、国政は麻痺しただろう。
 わずか8ヶ月の間に、これほど国民の支持を裏切り、国益に損害を与えた人物も珍しい。これらの賠償をどうするのか。北朝鮮のように、金融政策の失敗を理由に公開処刑などという蛮行は、近代民主国家では許されないのであるから、代わりに鳩山家はすべての財産を処分し、ブリヂストン株の配当もすべて国庫への補填として寄付でもすれば良いのではないか。日本は政治も財政も経済も今や崖っぷちにあり、政権を弄んでいられる状況にはない。大局眼も見識も持たずに国政に臨んで損害を与えるような無責任なリーダーには、その失政責任が厳しく問われて然るべきだろう。
 こうした失政・悪政の責任は戦後最悪の構造改革の強行によって、地方都市の地域商店街をうらぶれたシャッター通りへと荒廃させた小泉−竹中コンビにも問うべきである。過剰な投資利益を追求して世界経済を恐慌に陥らせた英米型自由競争主義を強引に持ち込んだ結果、多くの国民は豊かになるどころか、職を奪われたりワーキングプアーへと転落する事態となっている。次代を担うはずの若者たちは、否応なくニートと呼ばれる状況に追いやられ、気の遠くなるような厳しい就職戦線を勝ち抜いて、ようやく雇用された新卒者でも、一ヶ月を経ないうちにリストラされている事例も見られる。多くの国民を不遇に追いやっている政治を悪政と言わずして何と呼ぶべきか。
 反面、大企業では220兆円もの内部留保があるとされる一方で、菅政権は事業税を減税し、全国民が負担する消費税は10パーセントの上昇を目指している。そもそも大手企業群の蓄財の陰に、どんな犠牲があったのかを考えるなら、無制限に適用するのでなく、地域の経済と雇用を支える中小零細事業者に限定するなど制限と枠組みが必要であろう。また所得再分配の観点から見れば、政府調達によって経営が成り立つ業種は、企業側に対しても国富の独占は許されないことの厳しい戒めが必要である。
 経済とは、勝ち負けを決するための戦争行為ではなく、射幸を求める賭博行為でもない。人々がお互いの需要と供給を満たし合って暮らしていくための日常活動である。そして、政治とは国富を再配分する利害調整機能である。戦後の日本の政治・経済は、社会主義でも資本主義でもなく、修正資本主義によって絶妙のバランスを保って繁栄してきた。政界も官界も新体制への移行に失敗した今日にあって求められるのは、そうした日本の成り立ちを再認識し、改めて智恵と汗を絞ることであって、これら公益に奉ずべき者が自己保身と私財の心配ばかりをするようなら、国民は直ちに解職と賠償を求めるくらいの厳しい姿勢を持つべきだろう。



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