SEPTEMBER . 2015

 安倍内閣の首相談話が発表された。発表前から部外者の注文が様々に殺到し、注目の的であった。侵略行為をしたのだからお詫びしろと、GHQが捏造した WGIPの踏襲を国内外から強要される中で、どのような表現が採用されるのか関心が集まったが、「戦後レジームの終焉」を訴える安倍首相のウルトラ Cは見事に決まっていた。

 国会で韓国政府の干渉によって創作された河野談話の不審な制作過程が発覚したにも関わらず、安倍首相はそれをそのまま引き継いできた村山談話以降、歴代首相の談話を踏襲することを表明してきた。

 焦点となっていたのは、「侵略」と「お詫び」などの文言の扱いにあった。これを従来のWGIP(War Guilt Information Program)に基づく自虐史観に沿った形で採用するなら、「戦後レジームからの脱却」は無縁のものとなる。さりとて、これを真っ向から否定すれば、大戦の真因を作った欧米やロシアとの対立を生むことになりかねない。積極平和主義を掲げる安倍首相としては、不要な軋轢を避けつつもスローガンを成立させるために、胃が痛むほどに悩んだことだろう。

 その結果は絶妙なものであった。当時の世界情勢を客観的に述べることで、世界を植民地支配し、各国の現地住民を虐げ続けてきた欧米への非難を避けつつ、開戦に踏み切らざるを得なかった日本国の窮状を説明し、それを外交でなく武力による軍事解決の道を選んだ選択の誤りと、それに伴い関係諸国を巻き込んだことに対する「お詫び」という形で表現した。

 そして、謝罪の意思は歴代内閣と変わらず、これまでにも何度も謝罪済みであることを主張し、それを寛大に許容してくれた世界への感謝に結びつけることで、欧米ロの面子を立てた格好だ。謝罪も経過説明も、対象国を特定しなかったところが巧みであるが、それでいてこれは反面、いつまでも「謝罪だ」、「賠償だ」と拘泥し続ける中国、韓国の懐古主義への皮肉とも読み取れるところが上手い。

 しかも、いまや人口の 8割は戦争とは無縁の世代であることに触れる一方、だから無関係と無責任を決め込むのではなく、むしろ平和維持のために積極的な役割を果たす決意を示すことで、「いつまでも戦後ではない」と「戦後レジームからの脱却」の意思表明をした形だ。これは同時に、積極平和主義の実践のためにも集団的自衛権が必要であり、そのための安保関連法案の正当性を暗に主張するものとも解釈できる。

 おそらく独裁政治のために人民の支持を得られず、普通選挙を行えば政権を失うため、これを恐れて民主化に背を向け、人民の憤懣を日本に転化させてやり過ごす中国政府や、所得再分配に失敗し経済も建て直せず、国民生活を豊かにできないために、不満を募らせる国民の暴動を恐れ、日本に責任転嫁して逃れようとする韓国政府と、WGIPに洗脳され続け、中韓の日本叩きに迎合する日本国内の反社会勢力などは、まさに地団駄を踏んで激昂していることだろう。

 しかし、事実も真実も一つであり、解釈の違いは許されても史実を曲げることは許されない。この談話は、次の政権にも、その次の政権にも代々引き継がれながら、徐々に表現はより具体化され、修正を加えながら歪曲された大戦史が矯正されていくだろう。まさしく「戦後レジームからの脱却」はWGIPからの脱却であり、そのための最初の一歩を踏み出した安倍首相の功績は大きい。




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