November.2010


 尖閣諸島を巡る日中の攻防を通じて、日本の外交力の弱さが改めて露呈した。実益を得るためには、卑劣と誹られようとも強気に憚り弱気を挫く中国に対して、弱気を助け強気を挫く日本的ヒューマニズムなどは通じなかった結果と言えよう。
 その一方で、ロシアでは第二次大戦戦勝記念があり、メドベージェフ大統領はこの機に北方四島訪問を表明するなど、南は中国、北はロシアと南北から挟撃にあっている。今後は韓国が尻馬に乗って、弱腰日本は脅しやすしとつけ込み、竹島について強気に出てくることも考えられよう。
 当初は、韓国の潜水艇撃沈事件に端を発した朝鮮半島における緊張と、南沙・西沙諸島をめぐるベトナムをはじめ東南アジア諸国との対立、そして尖閣諸島を巡る日本との攻防により、三方からの中国包囲網が構築されているように見えた。
 しかし、蓋を開けると包囲されていたのは日本である。おまけに、諸外国からは円買いドル売りの円高工作。まさに世界が口裏を合わせて、日本沈没を企図しているのではないかと勘ぐりたくなる情勢である。
 古の合戦に喩えるなら、これは攻城戦と籠城戦のようなものだろう。城門を破ろうとする攻め手と、城門を守り抜こうとする守り手の知略による攻防が、古くから無数に展開されてきたが、攻守ともに互角の場合は、戦局は硬直状態へともつれ込む。こうなると、最後にものを言うのは糧秣であった。
 中国地方を征した毛利家による尼子征伐では、籠城する尼子兵士らが飢餓に発狂し、共食いという凄惨な事態に陥ったと伝えられる。いよいよ落城して助命された後も、飢餓状態で糧食を貪ったために胃痙攣で次々と命を落とすという悲劇的な展開となった。
 中国の三國志の時代では、宮廷人事にまで干渉し、政務を恣にする暴君・董卓に、諸国が連合して討伐に当たったが、首都・洛陽を焼き捨てて長安に遷して九死に一生を得た董卓は、このときの危機を教訓として20年分にも及ぶ食糧を備蓄し、鉄壁の防御態勢を構築したとされる。
 籠城戦を巧みに乗り切ったのは、楠木正成であった。鎌倉幕府に包囲された千剣破城に籠もった正成の戦術は巧みで、幕府軍のあらゆる攻城作戦を機略によって打ち破ったが、注目すべきは籠城に不可欠な兵糧、水の確保であった。
 城内に糧食を蓄えるだけでなく、耕作地を確保した他、水については湧水だけでなく、雨水を利用するために、数百に及ぶ貯水槽を整備しておくという周到さである。しかも、幕府軍の軍勢は5万に及び、そのための兵糧は膨大なものとなるが、周辺に手回しして幕府軍の兵糧調達を妨害した結果、先の毛利・尼子の事例とは逆で、攻城側が窮乏状態に陥ったという。
 そして、幕府軍が千剣破城攻略のために戦力を集中している間に、鎌倉幕府に反発する赤松勢、新田勢などの諸勢力が狼煙を上げたため、幕府軍は撤退を余儀なくされて籠城戦は終結を見たが、正成はその展開になることを最初から計算していたとされる。
 現代の日本の地勢は、中国、韓国、ロシア、アメリカ、豪州に取り囲まれている。もしも細長い国土が包囲され、籠城戦となった場合、民主政権はどのような戦いをするのだろうか。それとも相変わらずアメリカ頼みだろうか。


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