March.2009


 麻生首相の郵政改革批判と、それに反発する小泉元首相の麻生政権批判によって、小泉VS麻生の対立関係が表面化した。同じ政権党にありながら、元首相と現首相の公然たる批判合戦は異例であるため、与党内は騒然としている。
 郵政改革の追い風選挙で大勝した小泉内閣で、総務相だった麻生氏は、当時はあたかも郵政改革の第一人者であるかのように得意満面に吹聴していながら、ずさんな事後処理が問題提起されるや、実は改革に反対だったと掌を返す露骨な自己保身の不節操発言に、国中が呆れかえって顰蹙と失笑を買った。ところが、それを小泉氏の所属派閥の領袖である森元首相が擁護したのだから、これは小泉氏としては黙ってはいられまい。
 森氏としては、選挙期日が迫る状況から、たとえ政権支持率が低迷していても、あくまでも現政権を支える姿勢を示すことで党内結束を促し、国民運動体を結成して袂を分かった渡辺氏のような分裂を防ぐための範を示したつもりなのだろう。しかし、現職当時から発想の仕方が、良く言えば素直だが、悪く言えば単純すぎるために、ピントのズレることが多い森氏は、たとえ善意であってもやること為すことが裏目に出るタイプである。
 国民としては、今さら郵政改革それ自体の是非を蒸し返されても迷惑な話で、小泉構造改革に国民が望んだのは、政府や政府出資団体の内部に温存され、死蔵したり私服されてきた公費や公共資産が、正当に国民に還元され、再配分されるための改革であって、多くの者が路頭に迷う格差を生み出すための改革ではなかっただけである。
 ところが、郵政民営化はかつての国鉄民営化や電電公社の民営化とは異なり、5,000万円の公共資産を1万円で投げ売りするような、常識外れの精算を平気で行おうとする無神経さとやる気の無さ、そして一部業者への利権誘導の匂いを感じて怒りを覚えるわけである。
 そもそも小泉−竹中ラインによる構造改革の大誤謬は、政治・行政だけでなく、経済にまで手を出したことにある。経済の構造改革によって、「自由化」と「自己責任」があたかも金科玉条の如く唱えられたが、しかし、これが単なる「亡国の理念」でしかないことは、唱える当人らを含めてほとんどの人々が全く気付いていなかった。なんとなれば、万民が「自己責任」で「自由」に生きられるならば、誰もが一匹狼で自給自足をすれば良いのであるから、人々が助け合う社会などは不要であり、互いに支え合う家族すらも不要となる。したがって、コミュニティに秩序をもたらす法も規範もルールも不要で、人々は自分たちの当面の幸福のみを追求し、次代への継承を心配しなくなり、乏しければ他人の命を奪って補い、あるいは無知で小心な老人の年金を騙し取るようになる。これはまさに無秩序なアナーキーであって、法学者ホッブズが説いた「人の人に対する狼」、「万民の万民に対する闘争」そのものである。
 かくして、従来の秩序ある経済を崩壊させ、秩序ある地域コミュニティを破壊し、秩序ある世相が混乱に陥っているのが、今日の実情である。両氏はそうした国家崩壊を招く原因を作ったのであるから、その失政は国家反逆罪に等しく、今さら竹中氏がマスコミに登場して責任転嫁の詭弁を弄したところで、弁解の余地はない。民主革命が行われた近世ヨーロッパであれば、有無を言わせず断頭台に引きずり上げられたところだろう。
 それを見直して景気対策を行おうとする麻生氏は、野党・民主党に得点を与えることを恐れて、郵政改革への追及に対抗したのはむしろ失策だった。責任逃れをするのではなく、逆に自ら構造改革の問題点を指摘し、毅然として是正する姿勢を見せた方が、支持率回復に繋がったのではないだろうか。



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