February.2009


 今年は東大安田講堂の籠城事件から40年目であり、国外に目を向ければ、キューバ革命から50年目の年である。その影響もあってか、最近になって西欧諸国では社会・共産主義経済が一部で再評価され始めているという。我が国でも「蟹工船」に共感した若者の共産党支持者が増加したり、昨年末から年始にかけての景況と対策に関する討論番組などでは、高負担高福祉とされる北欧の社会体制が、とかく引き合いに出された。時代の空気は、アメリカが過剰に扇動して失敗した市場万能主義を修正するかのように、幾分、左傾化へと向かいつつあるようだ。
 とりわけ、その傾向を促した要因は、昨年に発覚した、米政府に公費救済を要請した米大手自動車メーカー社長の、破格の社内待遇に対する国際的な批判と反感だろう。我が国の自動車・家電メーカーでも、多数の派遣労働者を無情に切り捨てながら、投資家への配当金だけは内部留保していたことが判明した。
 職を失い、寮も引き払わなければならなくなった彼らは、寒風に曝されながらの路上生活で、身をすくめて年を越した。年は明けても、新年の展望も希望も全くないのであるから、「明けましておめでとう」などとは口が裂けても言える心境ではなかっただろう。その一方で、セレブなどと呼ばれて遊び呆けている金満投資家は、さらなる配当金を手にする濡れ手に粟の構図で、アリとキリギリスがまさに逆転している。これでは、まともな労働観は維持されず、日本人の美徳であった勤勉な国民性も失われる。真面目な者がバカを見て、地道な努力がまるで報われない社会を、これから育つ子供達にどう説明し、教育すれば良いのだろうか。これは日本だけの話ではなく、資本主義でグローバル化した世界に共通の構造である。
 かくして、世界の国民、企業、さらにはその納税で成り立つ政府・自治体までが、一部投資家の資本奴隷として支配され、金融操作の手加減次第で地獄を見せられる有り様である。これこそマルクスが手厳しく指弾したキャピタリズムの矛盾であり、階級闘争の論拠でもあろう。ソ連の解体で東西冷戦は終了したが、それは西側陣営の勝利ではなく、正当性の証しでもなかったことが、今にして証明されたのは歴史的な皮肉である。  日本はプライマリーバランス回復の国際公約に縛られ、規制緩和による自由競争と、財政再建という構造改革を強いられてきたが、麻生首相は1月18日の党大会で、市場主義を批判し、小泉構造改革路線の呪縛を断ち切った。良家に育ち世情に疎い首相といえども、さすがに目に余るこの窮状の異常さは認識したらしい。景気対策のための二次補正予算に組み込まれた定額給付の効果を、国民のみならず財政諮問会議からも否定され、支持率が2割に満たないという、これまた異様な事態だが、世界で真っ先に景況を回復させてみせると息巻いた、その意気込みだけは買いたい。
 問題は財源だが、バブル直前の円高不況時は、民営化されたNTTの政府保有株の売却益が、その主力となった。つまり、個人であれ機関であれ、投資家の民間資金が公共投資へと有効活用された形で、成果はその年内に劇的に顕れたのである。したがって、官僚の人員削減や消費税引き上げなど、景況に水を注す白けた手法ばかりに囚われるのでなく、財政金融テクニックによって、金満家の投機資金を、真に有効な公共投資へ巧みに誘導する戦略を考えてはどうだろうか。



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