September.2006

 8月6日の長野県知事選で、脱ダム宣言で経済界や身内たる県庁組織とも対立し、一躍勇名を馳せた田中知事が敗退した。対抗馬は、元防災相だった村井仁前衆議で、国家公安委員長や通産省審議官も歴任した69歳。新人と呼ぶには高齢であり、経歴もベテラン政治家のものであるため、新米のような新鮮味は感じられず、むしろ古参のイメージだ。とかく政界の若返りが求められる趨勢にあって、田中氏より19年も年長の村井氏を敢えて選んだ県民の民意は、節約、リストラ以外に能のない理念先行型の人物への退場宣告とも解釈できそうだ。
 田中前知事の敗因について、新聞報道ではトップダウン方式の手法で県議会とも市町村とも対立する強硬な姿勢が、各界及び一般県民の離反につながり、支持率が下がったと分析されている。もっとも、その強硬姿勢によるリストラ、コストダウンなどの県政改革のお陰で、県財政における負債は減少したわけだが、それでも経済界はおろか自治労、さらに一般県民の支持率は下がったのである。
 それもそのはずで、オール野党に近い議会運営では、毎年の予算案や諸条例案も可決され難く、職員は落ち着いて公務に臨めない。一方、経済界や県民にとっては、人事案件などは県庁内部の他人事であるが、毎年の予算案が人質に取られるとなると、企業活動にも県民生活にも影響を及ぼすことになる。
 また、例えば県営ダムの建設によって財政負担は発生するが、それによって県幹部をはじめ組合員たる一般職員の公務と地位は保全され、その工事発注によって建設会社の業務も確保され、そして雇用も発生する。支出された資金は、元請け建設会社を経由して、下請け企業や資材・機械設備会社などの関連企業、そしてそれら従業員の人件費などへと幅広く浸透していき、金融機関を巻き込んでの資金循環が発生する。
 これを止めれば、田中知事がアピールした緑の山は残るが、経済的循環は生まれず、治水・利水施設としてのダムという社会資本も残らない。職員はリストラで職を失い、デフレ不況に耐えている経済界も、資金循環と雇用の機会が奪われる。大切なのは人間なのか、物言わぬ草木なのか、どちらなのかと首を傾げざるを得ない。
 この7月には、梅雨前線にともなう豪雨によって土石流が発生し、多数の民家が破壊され、県民の生命も奪われた。極論を言えば、脱ダム宣言が県民の生命と財産を奪ったようなものである。被災現場を踏んだ田中知事は、被害者に脱ダム宣言の理念を、果たして納得させられたのだろうか。
 田中知事が批判していたのはダムばかりではない。長野新幹線の建設にも批判的だったとのことだが、いざ開通してみると、クリーンエネルギーで安全性の高い新幹線の利便性を絶賛し、率先して利用していたという。そうした言動からして、個人的理念に浮かれて現実を見ない、なんとなくクリスタルな気分屋的小説家の軽薄な自己満足が感じられる。新幹線と言えば、新駅建設に反対して当選した滋賀県知事のケースもあるが、この場合もそれがもたらす現実的な経済的波及効果よりも、個人的な節約理念を先行させているとしか見えない。
 近年は、とかく改革派を標榜する人物は、リストラやコスト削減に邁進したがる傾向があるが、節約などは誰にでもできる振る舞いであって、例えば田中氏でなければならないという問題ではない。むしろ必要なのは、どのように増収を実現するかであって、トップに求められるのは、稼ぐための才覚である。ニッサンを再生させたカルロス・ゴーン氏が行ったのは、合理化だけではないことをよく考えるべきだろう。
 日銀はデフレ脱却を訴え、ゼロ金利解除の機会を伺う動勢にあり、ようやく日本経済は再生・復興という局面を迎えている。国民も、これから経済を挽回しようというときに、貧相な節約思想しか発想のない人物が命令しているのでは、むしろ障害となる。今回の選挙結果には、そうした県民の意識が感じられた。 


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