March.2006

 郵政民営化が支持され、超安定政権となった小泉政権による構造改革は、日本社会に何をもたらしたのか。アメリカが世界に押しつけてきた強者生存、弱者消滅の競争主義が、日本に浸透したことは成果の一つだろう。法改正と規制緩和によって起業が容易になり、経済の表舞台に新参者が登場しやすくなったことは歓迎すべきで、そこに立身出世のジャパンドリームの道が開かれるのは、夢と希望のある話だ。しかし、そのシンボルが、司直によって身柄拘束され、三畳間に寝起きするライヴドア創立者というのは、まったくもって皮肉な話である。
 そもそも、その台頭はIT産業という、従来にはなかった新規業種だったからこそ可能だったもので、しかも自らはコンテンツを産み出すこともなく、ネット接続を仲介するだけの身軽なブローカーでしかない。そのため、生産手段や製品などの実業資産を持つには、すでに製品・サービスの生産を本業とする企業を買収するしかないのであるから、虚業というべきだろう。様々な業種にわたって手当たり次第にM&Aに狂奔してきたその姿は、虚業者の実業者に対するコンプレックスの裏返しのようにも見えた。ところが、球団にせよ放送事業にせよ、買収する事業分野に本気で邁進しようとの志はなく、単に自社の株価を吊り上げ、会社の資産評価価値を高めて利得を得ることが目的だったのであるから、まさに虚業全盛時代だったバブル期の発想そのものというべきである。ブローカーはあくまでブローカーでしかなく、生産手段と在庫という責任を抱えるメーカーにはなれないという現実と限界を突きつけた事例とも言えよう。
 一方、耐震度を偽装し、多くの住民の生活の場とホテル業者の職場を奪い、住民、ホテルスタッフ、ホテル利用者の安全を脅かしながら個人資産を溜め込んだヒューザー・小嶋社長は、国会内では沈黙しながら国会外では資産を投げ打ってでも…と大見栄を切っていた。しかし、結局は資金の目途が立たず、困り果てて行政側に損害賠償請求を提訴した。天下国家を向こうに回しての責任転嫁に、横浜市の中田市長がコペルニクス的ばか者と批判したのも頷ける。
 こうした拝金主義に猛進した時代遅れのバブルの寵児が六本木で浮かれ、世間をペテンにかけた成金主義が、筋違いの責任転嫁をする一方で、大手メーカーを支えてきた向こう三軒両隣の町工場が消え、低所得者が巷に溢れ、果ては病死した親の葬儀費用が工面できないために死体を遺棄して、こっそり年金を受給し続ける者まで現れる始末である。
 自由競争社会は、必然的に格差社会を産み出す。現政権がそれを是とするのはかまわないが、こうした世相が構造改革の目指す理想だったのだろうか…。


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