February.2008

新年を迎え、経済界の交礼会に出席した我が国経済をリードする大手企業経営者らは、2008年の景気動向について、おおよそ異口同音に中盤から後半にかけて右肩上がりの成長曲線を描いて見せた。しかし、これまでデフレスパイラルにのたうち回った我が国経済は、原油価格高騰にともなう資材・原料コストの上昇によって物価も上昇し、さらには円高回避のための金融緩和が追い討ちをかける形で、一転、インフレ性向の気配を見せている。それでも上昇機運を展望できるのは、国外市場というシェルターを持つ者の強味というべきか。

全企業の99パーセントを占める中小企業の大半は国内市場で生きており、さらに郡部を拠点とする企業は、域内市場を経営基盤とするので、それだけ景況に左右される不安要素を多く抱えている。国際経済は国内経済に影響し、国内経済は域内経済に反映するが、世界市場に生きる大企業は、国内外とも市況の悪化した市場を見限って、資本、設備、人員などを、影響の度合いの低いところに移転させることも可能だ。しかし、狭いエリアで生きる中小企業には、おいそれとできることではない。

それだけに、地域への設備・インフラ投資を収入源とする地場建設業にとっては、地域との密着性は一きわ高く、地域の命運と興亡を共にする覚悟が必要だ。実際に、建設業を凌ぐ産業がない地域では、その経営者が地元経済界のトップという役割を担っており、中にはそうした本業外の公職をいくつも兼務しているケースもある。ただでさえ本業における展望は不透明な暗がりしか見えない状況下で、公務までも引き受ける活躍ぶりには頭が下がる。

本州への資源供給基地という植民経済だった北海道においては、炭坑、林業の衰退によって放逐された人員を、建設業が吸収してきた。のみならず、中曽根政権下で実施された国鉄解体時も、余剰人員を救ったのは建設業であった。さらに、景気低迷時の沈没を防いだのも建設業であり、景気浮揚を担ったのも建設業である。歴史IFはタブーとされるが、こうした業界がなかったなら、どうなっていただろうか。

現在、北海道は建設偏重経済から製造・流通経済への転換を図るべく、企業誘致に奔走しているが、地場市場の涵養もなく、人件費の低さだけを頼みに立地した先にある経済とはどんな姿だろうか。それは、およそ120年前の植民経済と同じ姿ではないのだろうか。かつては資源供給基地、現在は食糧供給基地、そして未来は人材供給基地という植民経済である。


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