April.2009


 福岡県下の公立高校で、授業料の滞納によって卒業証書を返還させられたり、校長印のない証書が授与されたというニュースがあった。最近のNHKの報道では、授業料が支払えずに卒業どころか中途退学を余儀なくされる生徒が急増しているという。我が国は、子弟に高等教育すらも満足に与えられない国家になってしまったのか。
 一時期は、給食費を意図的に滞納するモンスターペァレントが話題になった。支払い能力がありながらも支払う意思はなく、それでいて権利だけを主張してサービスに与ろうという、当たり前の良識からみて理解の出来ない厚顔無恥な図々しさと無神経さが、人とも思えない異形の化け物に見えるためにモンスターと呼ばれるわけだが、中途退学者のケースはこの類いのものではない。
 学歴社会に巣立つために、必要な教育と学歴を得る意欲を持った生徒が、学費に悩んだ挙げ句に去っていくのである。高校全入の時代を反映して、学習意欲もないのに仕方なく通学し、授業中は物憂げに携帯電話のメールや化粧で暇を潰して授業時間をやり過ごすような、意欲のない生徒が退学するのではなく、不況にともなう親の収入減が原因であるから、これは捨て置けない問題である。
 報道によると、学ぶことを断念し、行き場を無くした生徒達のその後は、ある者は夜の業界へ身を投じたり、中には自暴自棄になって鉄格子の向こうの人となる者もいて、決して良好とはいえない。正規雇用はおろかアルバイトも求人が少なく、大学以上の専門教育を受けた者さえ就業の間口が狭い世情である。まして、最終学歴が中卒となれば絶望的で、これでは破滅の道を進むしか選択肢はあるまい。
 かつては誰もが貧しく、高等教育などは高嶺の花であった時代もある。「勉強をする閑があったら、家業を手伝え」などと、どやされた時代があった。まさしくSchoolの語源であるSchol●【●→ハイフン-の下にe】(スコレー)とは「閑」を意味し、学校とは閑人の行くところであり、生活に困らない閑人の集まりと解釈された。そのため、稼ぎもせずに子弟を集めては哲学論議にうつつを抜かす夫・ソクラテスに業を煮やし、頭からスープをかけた妻・クサンティッペの蛮行も、無理からぬところではある。
 しかし、こんなことでは国民の民度は上がらず、国力も向上しない。「天は人の上に人をつくらず。人の下に人をつくらず」と、「学問のススメ」の冒頭で説いた福沢諭吉は、「職業に貴賤上下なし」とも述べている。けれども、単なる平等主義ではなく、努力によって貴富に差が出ることを主張している。その原因は学問にあり、読み書き算盤などの実学を修めることで、ものの分限を知ることによるのだと主張する。「分限者」という言葉があるが、まさに知識や教養によって、才覚(商才)を高めて富を得た富裕層を指す言葉である。
 したがって、貧困庶民といえども、天文学や考古学など浮世離れした学問はさておき、読み書き算盤などの実学だけは修めるべしとして、教育の普及とその重要性を訴えた。
 現代は、職業の花形とされてきた旅客機のパイロットに外国人が起用され、高齢者介護の分野にも外国人が進出しつつある。その一方では、高い教育水準によって経済大国となった日本の子弟が教育の機会を失い、現役世代の勤労者が、派遣切りやリストラで職を失っている。日本の労働市場は、着実に人件費の低い外国人によって浸食され始めている。このままで良いのだろうか。景気対策で国力を回復しようとする矢先に、政権を巡る政治的意図の対立や国策捜査などで、政情を攪乱している場合なのか。



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