APRIL . 2016

 「一億国民総括役」を標榜する第二次アベノミクスだが、保育園への入園が果たせない待機児童の問題が、意外な形で波紋を呼んだ。入園が果たせず、待機を余儀なくされたある母親が「日本死ね」と、不満と憤慨をブログに綴り、これを野党民主党が国会で取り上げたことで、注目を集めた。

 過激な表現ではあるが、偽らざる本音だったのだろう。世は保育施設も介護施設も、ともに人員と施設に余裕が無く、待機だらけである。それを反映してかどうかは不明だが、親が子を虐待して殺害に至る卑属殺人や、老親の介護に疲れ果て、初老の子が親を殺害してしまう尊属殺人などのやりきれない殺伐とした悲劇が、頻繁にニュースで報じられる状況を見れば、早急な対策の必要性は国民に共通の認識ではないだろうか。

 第一次アベノミクスは、企業経済の再生に主眼が置かれたが、二次は民生である。しかし、民主政権のように「子供手当」を、財源も目的も曖昧なままに、勤労して自立している在日外国人にまでも支給し、受給した本人から「本来は日本国民のために使うべきではないか」と、疑問の声が上がるような闇雲なバラまきは不毛である。不足しているのは施設と人員であるから、これを確保し提供することが行政府として行うべき政策だろう。

 施設については、既存の小中一貫校に保育施設と介護施設を増設することで対処できるのではないか。小中一貫教育、幼保一貫保育などと言うが、幼児から児童、生徒、老人までが同一施設で身近に暮らせば、世代を超えた交流も可能となり、幼児や老人など弱者の生き様を、児童・生徒が身近に見ることで、いじめ問題も減るのではないか。高度成長期から指摘され続けてきた核家族化による世代の断絶も、多少は改善されるのではないだろうか。

 そこに勤務する教員は、保育士、介護士の資格も取得すれば、業務の幅が広がり、柔軟に人員を運用できるのではないだろうか。医師、教師、保育士、介護士など、人の身体や人生に直接触れる仕事は、まさに専門の資格を必要とするほどに難しく、それ故に尊い。しかし、労働市場は売り手市場のため、多大な労苦と困難を伴う職業は敬遠されがちだ。そうした職業の社会的ステータスの向上と、それに相応しい処遇の改善が必要だろう。介護施設の職員が3人もの老人をベランダから投げ落として、殺害した事件は衝撃だったが、背景には職業への不満が警察の捜査の過程で伺われた。

 子供達が「将来の夢は医者になること」、「私は看護婦さんになる」と、憧憬を以て未来を描くように、「私は保母さんになる」、「僕は介護士になる」と、夢を持って語られ、尊敬の目で見られる職業イメージへと昇華させる社会制度と、社会ムードを醸成することが必要だろう。

 そして、第一次アベノミクスの恩恵を受けた企業社会は、利潤追求ばかりでなく、その実現に向けて協力姿勢を示す余力が求められるだろう。子がない世帯でも、いずれは要介護の世代にはなる。他人事では済まない。育休を宣言した代議士が、実は浮気をしていたことが発覚して辞任し、育休どころか永久に休暇となってしまったみっともない事例もあるが、家庭、学校・施設だけに押しつけて放置するのではなく、職場である企業も同じ方向を向き、育児・介護の負担に理解を示す必要があるだろう。




過去の路地裏問答