SEPTEMBER.2011

 韓流ドラマやKポップを全面支援する形で放送するフジテレビに対する抗議デモが8月21日に行われ、当初は8,000人とされた参加者が、終了時には25,000人に膨れあがったという。「最近の民放はおかしい」、「番組がつまらなくなった」とは、以前から言われてきたが、国際的に比較しても大人しい日本人が、これほどの規模で集結し、自主的な示威活動を行うというのも珍しい。

 韓流ドラマが最初に登場したのは、2004年に放映された「冬のソナタ」が皮切りで、韓国の芸能文化の国際的イメージアップを狙った、大統領直属機関である国家ブランド委員会からの委託を受けた電通のプロデュースによるものだが、デモの趣旨ではこれを文化的侵略と警戒し、改善を求めたものである。

 日本と韓国は、ともにアメリカの同盟国として反共陣営にはあるが、竹島や日本海の呼称を巡る対立があり、両国民の警戒心や反発は高まっている。しかも、民主政権が導入を目指す外国人参政権を始め、国民以外の居住者に公的権利を付与する政治姿勢に反発が高まり、過敏になっている情勢から、フジテレビの番組編成にも警戒心が強まるのは無理からぬ側面がある。

 一方、有効な景気対策もないまま、デフレスパイラルから脱出できない日本経済を、さらに震災と円高が襲い、企業は業績を国外市場と国内での支出削減に依存する以外にはない。このためテレビ、ラジオ、新聞などマスコミ各社は、スポンサーとしての収益に大きな打撃を受けており、しかもネットワークの発達により、様々な動画がリアルタイムで無料配信される動画サイトが普及するなど、映像事業は圧迫されていることから、テレビ局の台所は火の車だろう。その結果、番組制作費は不足し、このために出演料の低いタレントばかりを起用せざるを得ず、ロケーションもスタジオにこもったままで成り立つような、制作費のかからない安価で安易な番組づくりを余儀なくされる。そうなると、貴重な時間を割いてまで見るには値しない、つまらない番組ばかりが並ぶようになり、視聴者はますます離れる一方である。

 最近の消費者調査では、テレビがなくても困らないと考える世帯が増えつつあるとのことで、かつては街頭の白黒テレビに群がり、後に三種の神器と呼ばれて一家に一台、さらには家族全員が一台ずつ保有するほど浸透していった時代は、もはや過去の現象である。

 反面、地上波デジタル化への移行と合わせて、メーカー各社は3Dテレビなど新たな映像技術の開発・普及に力を入れるものの、テレビ離れによって価格は下落傾向にあり、悪戦苦闘を強いられている。かくして、視聴率が落ちれば、企業は宣伝効果に期待が持てず、なおさらスポンサーとして出資を渋るようになる。こうした悪循環を韓国政府に突かれた形となったのが、フジテレビなのだろう。

 しかし、このようにテレビ離れが進行しているとはいえ、それでも異国文化に支配される傾向を警戒した今回のデモは、注目に値する。これまで、学校教育としては個性よりも集団への協調を重視する指導が行われ、社会に出てからはとかく政治に無関心のノンポリが美徳とされ、政権にはたてつかない日和見的な国民性として方向付けられてきた日本人だが、異文化の過剰な導入に疑問を抱き、特定のイデオロギーに偏ったアジテーターを持たずに、自主的に集団行動を起こしたのは、日本国民の自律心の高まりであり、民族自決意識の高まりの兆候と見て歓迎して良いのではないだろうか。




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