JUNE.2007

建設業界の経営者とともに、図らずも印刷業界の経営者にインタビューする機会を得た。興味深いのは技術のデジタル化が技術者の存在意義にもたらす影響の違いである。印刷業界では、デジタル化が製版技術の大衆化をもたらしたために、従来の専門職人を無用な存在にしてしまったのに反し、建設業はどれほどデジタル技術が導入されても、技術を一般化したり、技術者不在にすることは不可能ということだ。

印刷業界と言えば、かつては文選・写植・レイアウト・製版…と、様々な工程があり、それぞれの専門職人による仕事の集大成だった。当然、単価は高いために業務用に限定されてしまい、庶民が個人で印刷物を作る場合は、鉄筆で油紙をガリガリと削った肉筆のものでしかなく、統一された活字による美しい印刷などは高嶺の花だった。

しかし、今やその専門技術をデジタル化し、容易に扱えるツールが大衆に行き届いたため、誰もが活字を自在に扱い、画像を配置するなど、玄人に劣らぬ技術力を手にしてしまった。出版業界でも、かつて出版社の下請けとして制作作業を専門に担っていた編集プロダクションはなくなり、レイアウターという職種が消滅したが、同様に印刷業界でもそうした専門職が失われてしまった。けれども、技術の大衆化と普及は、国民の文化レベルの向上をもたらすものでもある。

一方、建設業界にもデジタル技術は浸透しつつあるが、軽工業と重工業の違いと言えば良いのだろうか、さすがにこれだけは素人には真似ができない。日曜大工や個人宅の中庭を掘り返すのとは事情が異なり、建築であれ土木であれ、その作業には危険が伴い、施工に手を抜けば不特定多数の人命にも関わる。したがって、建設産業における技術は大衆化できない技術であり、また大衆化の許されない技術というべきだろう。ある意味、医療技術にも似ている。軽傷ならば、絆創膏を貼れば済むが、重傷となると素人の手に負えるものではない。こうした技術者を、我が国は大切にしているのだろうか。

これを思うとき、思い出されるのは有機LED訴訟である。高輝度青色発光ダイオード(LED)や青紫色レーザダイオード(青色LD)などの製造方法をめぐって、発明者の中村修二氏が、これによって多大の収益を得た所属会社の日亜化学工業を相手に起こした特許訴訟だ。判決は中村氏の勝訴となり、200億円の支払いが会社側に命じられ、傍観していた庶民は溜飲を下げたものだった。

折しも我が国からノーベル物理学賞や化学賞受賞者を輩出しながら、日頃の報酬や待遇の低さが話題になっていただけに、それを意識した判決だったと見ることもできよう。こうした技術知を持つ人々を、我が国経済がどう処遇すべきかについては、各企業の収益性とのバランス問題も絡むために容易には結論できまい。しかし、発明や製造の最前線に立つ研究者や技術者の知的探求心や、創意工夫に向けての前向きな向上心と善意ばかりをアテにするのも、また虫の良い話である。世間は好況でも、建設産業はいまだ不況にあり、ともすれば人員削減に奔走しがちだが、少なくとも技術立国であり、技術大国として先進国の仲間入りをしてきた国家の名に相応しい技術者の評価と処遇のあり方を再認識する必要があるだろう。

一方、電子入札の導入が進められているが、これについては両者とも否定的だった。それもそのはずで、煩雑な事務手続きを合理化して両者の利便性を向上することよりも、癒着と利権行為を防止することに主眼が置かれているきらいがあり、当事者による意見交換や情報交換といった当たり前のコミュニケーションの機会を排除するという本末転倒のシステムだからである。技術とはそもそも何のためにあり、何のために用いるのか、これを見誤ると、便利であるはずの技術に人が振り回されることになる。


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