AUGUST . 2015

我が国の国防力を高めるための安全保障法案の衆院可決で、日本全土が沸騰している。国会や首相官邸周辺は反対派が詰めかけ、岸内閣の安保改定時を思わせるムードだが、かつて新左翼集団の特技だったジグザグ行進に参加して圧死した女学生の事件や、野党議員が院内で座り込み抗議をした当時のようなハプニングは聞かない。皮肉な意味で、至って平和なものである。

 今回の法案は、集団的自衛権の行使範囲に不明瞭な領域を残していることから、反対派は主な反対理由として「9条違反」、「アメリカの戦争に巻き込まれる」、「自衛隊員が死に直面する」、「日本はまた侵略戦争を始める」とアピールする。しかし、それらの理由の合理性にも疑問は残る。

 イランの核開発をめぐって緊張関係にあるアメリカは、7月14日の核協議で合意に至った。イラク、アフガンからも撤退しており、ウクライナ情勢をめぐって対立したロシアとも、一時的ではあるが、制裁を緩めることで合意した。アメリカの戦争原理は、カウンターテロを建前とした原油・軍需利権と、通貨覇権戦争と言われるが、その一方では覇権国としての弱体化が国際政治において展望され、またオバマ大統領自身も世界の警察としての限界を吐露するなど、弱気な発言をしている。いまさら、どこに戦争を仕掛けるというのだろうか。

 集団自衛のために干戈を交えることとなれば、最前線に立つ自衛官の生命が危険に晒されるのは当然だ。もちろん、誰もその事態を望む者はいないが、それであれば天災見本市である我が国で、災害が発生した場合には、誰が救助や災害対策のために被災地へ入るのか。現在は全国各地で噴煙が上がっており、また台風・洪水のシーズンも到来しているが、二次災害をいかに警戒しても相手は気まぐれな自然現象である。だから死ぬかも知れないと恐れて、土砂に埋もれて呼吸困難に陥っている被災者を見捨てるのだろうか。

 日本を含めて世界は戦後70周年を迎えたが、日本はいつ侵略戦争を始めたのか。欧米の商業資本主義による植民地支配と奴隷制や、ソ連の世界共産革命による南下政策、そして日本にとって屈辱的な不平等条約であった日米修好通商条約がなければ、日本は欧化政策も殖産興業、富国強兵も急ぐことはなかっただろう。

 憲法違反とは言うが、日本国憲法自体はGHQ憲法であり、安倍首相が目指す戦後レジゥムを終了して、対米従属から卒業しようとするなら、憲法自体を自主制定しなければならない。WGIP(War Guilt Imformation Program)の洗脳が解けた日本は、このため改憲機運が徐々に高まりつつあるが、安保法案に反対し対米従属を批判しながらも、GHQ憲法第9条だけは護憲に拘ることに、どんな合理性があるのか。

 尖閣諸島のみならず、沖縄県の領有権も主張し、領海侵犯の挑発行為を繰り返す中国は、毎年GDP比10%増の軍備費で急進的に軍拡を進めている。軍拡競争で平和は実現できず、対話が重要であるのは戦争の教訓として理解できるが、それは70年も交戦せずに経済成長し、国際機関とその加盟国を経済支援してきた日本国に対してではなく、軍拡と周辺海域への侵犯に猛進している中国に対して説得すべきことではないか。今回の衆院採決は反デモクラシーと憤激するが、合理性のない情緒的な反対主義ばかりで、聞く耳を持たないのもデモクラシーの姿勢とはいえまい。




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