January.2009


 新卒者の内定取り消し、派遣労働者の打ち切り、さらには正規雇用者の解雇など、我が国の雇用情勢の悪化が顕著になってきた。外需低迷によって、経済を牽引してきた自動車、家電メーカーが軒並み苦況に陥ったことは大きいが、原因は欧米のハゲタカが日本円に群がった結果でもある。とはいえ、自動車産業を含む製造業の苦況は我が国に限ったことではなく、各国とも金融機関の苦況が資金循環の収縮を生み、それによって企業・国民の資金力が低下しているのであるから、一国だけの問題では済まなくなっている。
 問題なのは需要がないのではなく、需要があるのにそれを入手するだけの資金力が落ちたことである。その根元を断った金融機関の責任は大きいが、そればかりを責めても解決にはならない。こうしたとき、強く求められるのは各国とも政府による所得再分配機能の強化である。我が国は小泉内閣以来、公共投資も社会保証も削減することで、政府財政の建て直しを目指してきたが、その成果たるや単に納税者を減らし、歳入を減らすことで政府自らの首を絞めただけであった。
 このため政府自民党内には、ようやくこの愚策を悟り、マイナスシーリングを見直そうとの空気も出てきたが、一方では今なおこれを続けようと迷走するムキもある。そこに麻生首相の不支持も相まって、我が国政権の内情はこれを公然と内部批判し、倒閣に乗り出す勢力も現れるなど、今や統制力を失い学級崩壊した小学校さながらである。
 かつて与党・公明党が信者への票固めを目的に、個人世帯へ2兆円分を配布しようと画策したり、ドイツでも国民にクーポン券を配布するなど短絡的な景気策を模索したが、結果はともに国民の手厳しい批判を受けただけである。理由は言うまでもなく、単なる個人所得への還付では、さらなる資金需要も雇用も生み出されることがなく、波及効果が無に等しいことを国民は知っているからである。では、その2兆円をどう投資すればより効果が大きいのか。
 その期待されるべき効果とは、2兆円が数倍の資金需要と循環を生み出し、雇用と資材への消費を生み出すことであるが、これを実現する産業とは、古代に遡って見ても建設産業以外にはない。古くから領主となった者は、領地と領民を守るために城郭や街道を建設し、各地の都市インフラを整備し、場合によっては娯楽施設までも提供し、国内の治安を高め、領内の経済に活況を与えてきた。
 現代においても、公共事業によって人員が必要となり、資材への需要が発生し、それらの決済のために金融機関も必要となる。資金が政府から直接個人の財布に入るのではなく、多くの関係者の間を流通することで副次的な需要が生じるため、かつて見られたタンス預金などという無意味な資金の滞留は解消される。しかも、竣工の暁には、社会資本という財産を手にすることが出来る。
 こうした公共投資は株式投資とは異なり、日々の値動きで直接的に配当を得ることはなく、税収という間接的な収益を待つしかない。そのため、日々の短期的な収益の積み重ねと決算に責任を負う民間企業に求めることはできない。だからこそ政府・自治体が果たすべき経済的役割であろう。しかし、我が国が今後とも小泉政権のように、アメリカ型市場主義に追従して、いつまでも神の見えざる手に委ねる限りは、そうした波及効果を期待すべくもなく、経済の再建も財政の再建も永久に望むことはできないだろう。



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