February.2010


 「コンクリートから人」へ予算配分の重心を移そうという、鳩山政権の奇天烈な理念に基づく22年度予算案が閣議決定された。公共事業排斥主義に則り、全ての新規路線となる道路建設は凍結された。これはつまり、国民が暮らす上で必要な物資の流通と、地方に暮らす人々のライフラインを見捨てるつもりなのだろうか。
 治水・利水ダムは、およそ30カ所に上る地域で建設中止に追い込まれた。堤防は一部でも決壊すれば大惨事となるが、それでも全国の都市部の河川を堤防で遮り、川面が屋根よりも高い天井川にするつもりなのだろうか。それとも、大多数の国民が暮らす乏しい平野部を遊水池だらけにして、蚊やハエの飛び交う湿地帯に変えるつもりだろうか。
 資源のない日本は貿易大国であり、港湾・空港は国内外を問わず人や物の流通に不可欠だが、これも選択と集中の絞り込みを強いられている。隣国が世界の流通拠点として発展しているのに、日本は鎖国したままで、渡航の必要な人は、この際、日航機に乗って海外に渡り、そのまま現地に住み着いてしまえというのだろうか。
 食糧自給率が4割で、先進国の中でも最下位の状況にありながら、生産性を高めるための土地改良事業は半減し、生産性の上がらない農家には個別補償の生活保護である。農家は農作業に励まず、遊んで暮らせというのだろうか。
 今年は阪神淡路大震災から15周年だが、あの激烈な光景を思い出して故人を偲ぶ矢先に、ハイチの大地震である。長きにわたった経済封鎖による経済的苦況から、品質・性能の低い水増しコンクリートで構築された街は脆くも崩れ、瓦礫の下に国民が埋まり、10万人が命を失った。阪神淡路大震災でもおよそ6,500人が死亡したが、逆に言えばコンクリート施工技術によって、ハイチのような規模に至らなかったとも言える。
 人々はコンクリートで固められて安定した地盤の上に立ち、コンクリートの壁に守られて暮らし、安全を確保されているからこそ生産活動も文化活動も創作活動も専念できるのであって、それを支え続けるのがインフラというものである。



 民主党の小沢幹事長の資金問題が予算審議の足かせとなり、その政治生命も危機に直面している。政権獲得以来、その辣腕、豪腕を振るってやりたい放題の党運営と政局運営を見せつけてきた小沢氏だが、とりわけ目に付いたのは集金・集票システムの構築過程である。
 政敵である自民党を再起不能に追い込むため、その利権構造を解体すべく自民支持を表明してきた団体・法人・企業に、関連予算の減額圧力でプレッシャーをかける一方で、後にその利権を我が掌中に収めようと、全ての陳情先を一身に集中させるなど、露骨な一極集中体制を実現した。
 「コンクリートから人へ」のキャッチフレーズは、そのために最も効果を発揮したことだろう。実際に、名指しされた生コン業界はもとより日本土木学会や日本土木工業協会など、あらゆる関連団体や業界を憤慨させるとともに、危機感を抱かせることに成功した。
 ところが、地元に建設される胆沢ダムの発注において、さしたる権限も影響力もないのに有力者としての顔を利かせ、受注妨害の脅威をチラつかせながら関連業界に資金をたかってきた実態が、昨今報道されている顛末である。いわばプレッシャーをかけた相手によって、逆に過去を暴かれ政治生命の危機に追い込まれている格好である。
 コンクリートを敵視した民主党の、事実上の最高権力者がコンクリートによって政治生命を脅かされるとはなんとも皮肉な話であるが、これこそ策士、策に溺れ、天に唾棄した結果とでも言うべきだろう。



過去の路地裏問答