December.2008

 赤壁の戦を描いた映画「レッドクリフ」が、興行的成功を収めて話題になっている。とかく戦記物で人気を集めるのは、寡兵を以て大軍に当たり、不可能を可能にして危機的状況を打破する奇跡的な人智の物語であるが、世界恐慌ともいえる今日の景況に蔓延する閉塞感に苦しめられる民衆にとっては、危機を打破した溜飲の下がる物語として、歓迎されているのかもしれない。
 しかし、我が国政権の現実を見れば、劉備のような国民を顧みる慈悲心と、孫権のように人材を隔てなく登用する公平さと、曹操のように厳しく律して国力を高める執行力を併せ持つリーダーの出現は、当分期待できそうもない。2代にわたって政権を投げ出した自民党政権は、現任の麻生首相も失言続きの上に、ホテルのバーに日参しながら実効性の疑わしい景気対策を振り回し、第二次補正予算も選挙対策の人質にするなど、権勢欲と自己保身の権化である董卓、名家の出自を鼻にかけて国民を軽んじ、重税で苦しめた袁紹、姑息な功名心で身上を潰した袁術のような側面ばかりが目につく。マスコミの質問に激情する直情的なパーソナリティは、そもそもリーダーの資質とは背反するもので、そのうちに自棄になり、三代目の政権放棄首相になるのではないかと思えるほど危うい。
 現在の我が国政府に求められるのは、真に有効な景気対策を、誤ったマスコミ批判や国民世論を恐れずに遂行する勇気だろう。その政策とは、ケインズが提唱した修正資本主義に立ち返り、規制緩和によって弱体化した業界は規制強化によって保護し、内需拡大のために一般会計以外の財源を総動員して、公共投資などの景気浮揚策を行うことだ。公共投資といっても、インフラ整備だけに限定する必要はなく、関連産業が多く裾野が広い業界であれば、有効需要が期待できるのであるから、農工商すべてが対象となり得る。
 かつてルーズベルトは、ダム建設によって雇用と資材と資金需要を創出した。そのダムによって水資源確保と発電が可能になり、農業生産と工業生産が可能となった。荒野は田畑に生まれ変わり、企業が立地し、それに従事する市民の宅地が造成された。住宅の他に学校も建設され、その校歌創作のために、失業していた音楽家たちも仕事を得た。市民の休息のための公園も造成され、そこに配置されるオブジェクトやモニュメントのために、彫刻家たちも仕事を得た。市民のレジャーも多様化し、様々なサービス業が発展する一方、市民の健康のために病院も建設され、医師と看護師が増員された。
 こうした公共投資による政府の赤字国債は増えたが、経済のブロック化による国際対立と、日独伊の国際連盟脱退などの緊張状態を外交的に解消していれば、その後の大戦も回避され、納税者たるこれら企業と市民によって、財政のバランスシートは改善していったはずである。
 国民世論を恐れるあまり、政府は財政出動には臆病になりがちだが、かといって米英型市場主義は、すでにエンロン社による粉飾決算事件の時点で限界が見えたのであるから、行き過ぎた自由放任主義を修正すべきだったのである。幸いにして、アメリカは自滅的なブッシュ政権からオバマ政権へと交代することになり、新大統領は早々とシティバンクへの公費救済を容認した。ドイツもそれに倣い、大資本国家イギリスも第2ブレトンウッズを画策するなど、世界が動き始めた。そして公共投資による内需拡大策を行うことで、アメリカもかつてのクリントン政権のように、財政収支を好転し黒字化に成功するだろう。
 そのとき、日本政府は何をしているのだろうか。無策のまま、外資による景気回復の余熱と恩恵を待つのだろうか。しかし、これではまたも前回の好況期のように、庶民とは無縁な一部企業だけの好況でしかなくなる。かつての日本のバブルは、アメリカの双子の赤字解消のための円高不況対策として、欧米諸国が日本政府に内需拡大策を強要したのが切っ掛けである。裏を返せば、自主的に先手を打つのが苦手な日本政府は、外圧に攻め立てられなければ腰を上げないという悪しき通例があるため、またも欧米各国に「日本の不況は世界経済の足枷」と批判され、国際世論で叩かれなければ、本腰を入れないのだろうか。今こそ赤壁大戦の直前に、尻込みをする呉国文官らを相手に、たった一人で主戦論を説いた孔明の剛胆なる勇気を見習う時ではないだろうか。


過去の路地裏問答