August.2008

 洞爺湖サミットが無事に終わった。概観すれば、ただ終わったという印象しかない。環境問題をテーマの中心としつつ、物価高騰など世界中の国民生活に関わる身近な問題や、アフリカ開発など局地的なテーマも含まれていたが、大騒ぎしたのは警備陣と開催関係者や開催地住民、そしてサミットに特別の関心と特殊な意図を抱く人々だけで、地元北海道民は比較的に冷ややかだった。

 折柄の景況不振の上に、開発予算廃止圧力を含んだ様々なハプニングが経済全般に暗い影を落としており、道内企業の経営者は一様に収益対策に悩み込んでいる最中である。そうしたときに、増収策とは無縁の環境問題を喧伝されたところで、耳を傾ける余裕はないのである。

 唯一、関心が持たれるのは原油、穀物の高騰だが、その元凶となっている中国、インドの過剰需要と、それに群がる欧米投機家への抑止能力をサミットに期待するのは、無理であることは分かっていた。インド、中国のエネルギー効率の悪さは確かに問題だが、かといって成長を抑えろと先進国が牽制したところで聞くはずがない。

 一方、市場主義のキャピタリズムを守ろうとする米英に対し、資本市場に介入して投機マネーを排除しろと求めても、同意するはずがなく、またその権能もない。

 その上に、議長国・日本の内閣支持率は低迷し、政権は末期症状の様相を呈していただけに、参加国がそもそもどれほど真剣に臨む意思があるのか、疑問符は消せなかった。果たして、福田首相との二者会談がキャンセルされるなど、寂しい結果となったのは、各国から事実上見限られていたことの証左であろう。そうした展開も予測されていただけに、サミットへの期待感はあまりなく、経済効果にしても局地的かつ一時的との割り切りがあった。

 温暖化もさることながら、物価、原油高騰については、一国のみならず世界国民の所帯を圧迫する眼前の問題である。中国、インドの過剰な消費を非難したい気分もあるが、かつての日本がそうであったように、彼の国民たちも貧しい暮らしから脱して豊かになりたいとの切実な願いを込めて経済成長に向かっているのだから、自国の過去を棚上げして批判するわけにもいくまい。

 反面、住居以外の資産で100万ドル以上の所得を持つ富裕層が、世界で6.6パーセントも増加したというメリルリンチ社の調査結果を見れば、資産を持てあましてオイル、穀物をマネーゲームで弄んでいる投機家は、世界国民から恨みを買うだろう。庶民への還元資金を拡充することが目的の機関投資家にしても、物価を混乱させて家計を圧迫したのでは、やっていることが本末転倒であり、むしろ健全な市場経済と消費経済を破壊している罪状は重いと言うべきである。

 しかし、視点を転ずれば、我々はこの高騰から学び得ることもある。それは「安かろう良かろう」という価格破壊の思想が、幻影に過ぎなかったという真実である。有用な資源は限りがあり、それに対する需要があるからこそ相応の価格相場が成立するが、これまでは安くて良いものを追求するあまりに不当廉売競争に狂奔し、資源の無駄遣いに明け暮れてきた。だが、いかに技術を革新し、リサイクルとコスト削減に血道を上げても原価は厳然として存在するのであり、そして良いものはあくまでも高い。また、資源と環境を守るためにも高くあらねばならず、それが資源の過剰消費の抑止力となる。これまではデフレ不況を隠れ蓑に、なんでもかんでも値を叩いて、資源のみならず人間までも粗末に扱い、社会と経済のバランスを崩してきたが、供給者はもとより消費者側も、物価高騰によってデフレの幻影から目を覚ます良い機会とも言えるだろう。


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