MAY . 2018

路地裏問答

 国会は相変わらず森友・加計問題の尾を引きずっているが、ここへきて渦中にある財務省の福田事務次官のセクハラ問題までが浮上した。しかし、マスコミの追及姿勢を見る限りは、むしろマスコミ側にきな臭さを感じさせられる。

 追及の元となったのは、酒場での次官と女性記者との会話が録音された音声で、森友問題に関して質問する女性記者に対し、次官が唐突に問いとは無関係なセクハラ発言をしたことを、週刊新潮が誌面で告発したことが切っ掛けとなった。

 その音声は、テレビ公開されている範囲では断片的な3度の会話だが、どれもまるで噛み合っておらず、しかも女性の音声だけは消音された状態で、テロップで再現されるという不自然さである。テレビ局では声紋鑑定を依頼したが、本人の音声と記録された音声との共通点は、わづか2点しかない。全面的に一致しないものに、どれほどの証拠能力があるのか。

 財務省は事実関係を確認すべく、被害女性が誰なのかを特定しようとしたが、マスコミ各社はセカンドレイプになるなどとして、それすらも批判材料としていた。

 常識ある国民であれば、ここで大きく違和感を覚えることだろう。何しろ、被害者が不明のままに、加害者として告発された者の罪状を断定し、追及する構図である。法廷で言うなら、被害者不在のまま被疑者を裁いているような構図で、敗戦した日本を極悪非道国家に仕立てた東京裁判を思わせるような、およそ合理的な法治主義に基づく断罪のあり方とは言えない。疑わしきを罰せぬ法廷と、疑わしきを罰するマスコミでは立場が異なるが、それにしてはあまりにも露骨な片手落ちである。

 しかも、渦中の次官に対しては、該当する時日でのアリバイを証明しろと迫っているが、これなどは中国、韓国が用いる「悪魔の証明」と呼ばれる不合理な詭弁ロジックそのものではないか。他人の所有物を盗んだ盗人が「返して欲しければ、自分のものであることを証明しろ」と居直る言語道断の理不尽な詭弁である。中国も韓国も、この詭弁ロジックを以て尖閣諸島の領有権を主張し、竹島を不法占拠し、盗んだ仏像の返却を拒否している。

 後に、テレビ朝日が記者会見を行い、ようやく被害者本人と思われる女性記者が同社社員であったことを明かした。同社の説明では、当初は個人が特定されることを覚悟の上で、女性記者は告発報道することを主張したが、会社側は何を慮ったのかこの要請を拒否。このため、女性記者は週刊新潮に情報提供したとの説明である。

 しかし、マスコミとは市民の権利や公益を守る立場にあり、そのためには敢えてタブーにメスを入れるのが社会的役割であるから、女性といえどもジャーナリストたる女性記者の要請に応え、事態を公表し、批判することで世に警鐘を鳴らし、悪しき慣習の社会的撲滅へと、世論喚起するのが使命ではないか。

 こうした不審な隠蔽行為のお陰で、かつて朝日が犯した「珊瑚損傷自作自演」報道、「不良女子学生グループやらせリンチ事件」報道、特定政権の倒閣を目指し、あるまじき偏向報道に盲進した「椿事件」、そして2面に渡って弁解した「慰安婦問題誤報」事件など、数々のインチキ報道の前科が想起される。このために今回の騒動も、むしろ中国が得意とするハニートラップに類するような、何らかの政治的意図を含んだ工作があるのではないかとの疑念が禁じ得ない。

 真相はいまだ藪の中なので、どちらを擁護・否定することもできないが、公人たる福田次官は職務遂行の困難を理由に辞職し、以後は私人として法廷の場で争うという。つまり取材攻勢や疑惑報道によって、職責への社会的信用が維持できないため、従事する公務や政策への国民の信頼も失われかねないことを懸念したのだろう。そうであれば、法廷闘争の成り行きによっては、むしろ告発、追及したマスコミ側の馬脚が露呈し、さらなる国民の不信と批判を招く結末もあり得ない話ではない。




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