APRIL.2007

土木といえば以前から土くさいイメージで、作業員は土方と呼ばれ、建設会社社長は土建屋の親方と呼ばれ、渡世人の世界のように荒くれ、デリカシーのない振る舞いをする者という先入観が持たれてきた。確かに、建設現場の代理人は、古き時代にはいわゆる親分として君臨し、新人作業員が現場に入るに当たっては、木枯らし紋次郎にも引けを取らない独特の口上をもって仁義を切る慣例があり、そうした現場同士が近い場合には、親分同士が取っ組み合いに備えた体勢で対峙し、面子をかけて仁義を切り合い、口上を間違えようものならば喧嘩沙汰にも発展しかねないという緊迫した状況もあったと伝えられる。

そのように、ただでさえ世間的に泥くさい印象が持たれている上に、相次ぐ談合事件の摘発と、それに伴う指名停止処分の連続では、まさに建設関係者のイメージはボロ雑巾のようなものだろう。

ある現場に、社会見学の申し入れが地元小学校から寄せられた。現場代理人は快諾し、自ら現場を先導して、難しい施工技術を子供達ちにも分かるように丁寧に説明した。現場用のヘルメットを被った無邪気な頭や、純真な眼を見ながら、我が子を見るような愛情を感じたのだろう。休憩時にはお茶やケーキをふるまい、帰り際には建設重機をかたどったミニチュアの手みやげも持たせた。人数にして数百人分である。その経費は、乏しい事務所経費で捻出した。発注契約時には、そうしたイベントは想定されておらず、建設事業費にもその経費は含まれていないからである。したがって、それらはすべて現場代理人の心遣いに基づく交際費である。

折りからの厳しい積算と競争入札で、無理をしてでも受注した契約であるだけに、やりくりは容易なことではない。それでいて、会社を支えるためには現場の会計を黒字にしなければならない。現場代理人の心労とプレッシャーは相当のものだろう。

しかし、そうした本業外のイベントは年に一回だけではない。小学校のみならず、中学校や工業高校、大学工学部の見学、さらには他の建設関係者の視察や、他の発注官庁関係者の見学もあり、時には海外のエンジニアによる視察もあるという。それらに、一つ一つ丁寧に応接しているのである。そこから浮かび上がる現場代理人のイメージは、決して荒くれ者の姿などではない。むしろどんな訪問者にも、嫌な顔もせずにスマートに応対する紳士的な社交家の姿である。

けれども残念ながら、公共投資予算を福祉予算へ転用させんと目論む大衆マスコミの戦略的報道により、談合事件ばかりがクローズアップされ、最前線に立つ現場のそうした実像などは、ほとんど伝えられない。

荒んだ事件が連日のように発生する世情であり、また団塊世代の大量退職による技術と経験の継承が危ぶまれている情勢だけに、一つでも多くの苦労談や経験談、心を和ませる美談が報じられることを望みたいところである。


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