食彩 Speciality Foods

〈食彩 2008.12.1 update〉

interview

農業が衰退して国の健全な発展はなく国民の幸福も得られない(第一回)

北海道農業協同組合中央会会長(平成11年から3期9年)
全国協同組合中央会会長(平成14年から2期6年)

北海道農業担い手育成センター 理事長 宮田 勇氏
(新篠津村農業協同組合 代表理事組合長)

宮田 勇 みやた・いさみ
昭和10年8月1日 生まれ
昭和34年 札幌南高校 卒業
昭和47年4月 北海道農協青年部協議会 会長 就任
昭和48年4月 新篠津村農業協同組合 監事 就任
昭和54年4月 同組合 理事 就任
昭和57年4月 同組合 専務理事 就任
平成63年4月 同組合 組合長理事 就任
平成 5年3月 同組合 代表理事組合長 就任 現在に至る
平成 8年6月 北海道共済農業協同組合連合会 代表理事副会長 就任
平成11年6月 北海道農業協同組合中央会 会長 就任
平成14年8月 全国農業協同組合中央会 会長 就任
平成20年6月 北海道農業協同組合中央会 顧問 就任 現在に至る
平成20年8月 全国農業協同組合中央会 顧問 就任 現在に至る

 全国の農協組織のトップリーダーとして農業界を牽引してきた北海道新篠津村農協組合長の宮田勇氏が、2期6年間務めた全国農業協同組合中央会(全中)の会長を今年8月の任期満了で勇退した。北海道の農協組合長が全中会長に就任したのは宮田氏が初めてで、北海道・東北ブロックから名乗りを上げ、2選を果たした。そして、7月のWTO(世界貿易機関)閣僚会合では開催地のジュネーブに乗り込み、上限関税の断固阻止、重要品目の十分な数の確保を訴えた。我が国農業の防衛に全力を挙げてきた宮田氏に、北海道農業への思いやエピソードなどを語ってもらった。
――石狩管内の農協組合長から北海道農業協同組合中央会(北農中央会)の会長、まして全中の会長に就任したのは異例中の異例でしょう
宮田 そうですね。それまで石狩管内からは共済連か信連の副会長ポストと決まっていました。
――「やれば出来る」という気概を若い農業後継者に示した格好ですね
宮田 私は昔から「ウソをつかない」「他人をだまさない」「いばらない」ことを信条に懸命に仕事をしてきました。威張ることは、人の話を聞かないことですから。  平成11年のある日ホクレン(ホクレン農業協同組合連合会)の会長を務めた藤野貞雄氏から呼ばれ、直々に北農中央会の会長を引き受けてほしいと言われて、本当に驚きました。当時、私は北海道共済農業協同組合連合会(共済連)の副会長で、藤野氏は北農中央会とホクレンの共通会長でした。共済連の副会長に就く前はホクレンの非常勤理事でしたので、藤野氏は私のことを観察し続けていたのでしょう。北農中央会は北海道農政の旗振り役ですから、石狩のような「中地区」では「そんな大きな仕事は無理ではないか」と申し上げたところ、「そんなことはない」と否定しました。そして、藤野さんが根回しをされたようで、平成11年6月の選考委員会では、私の会長就任はスムーズに決まりました。  北農中央会は単協に対する監査、教育、経営指導もありますが、農政が役割の大半です。しかし、私は畑作と稲作はよく分かっていますが、石狩は酪農地帯ではないので、酪農の勉強に半年ほど苦労しました。皆さんのパックアップもあって何とか3年の任期を全うできました。  平成14年の北農中央会長2期目に東北・北海道ブロックの推薦を得て全国農業協同組合中央会(全中)の会長に立候補しました。それまで全中の会長は役員推薦会議が調整した候補者を総会で選任していましたが、平成14年から幅広く人材を求め、透明性を高める観点から全国6ブロック推薦の候補者が複数の場合は、全中代議員(定員255名)による投票制に改められました。  選挙になると候補者が自分の考えを前面に示さないと勝てませんから、演説会で自分なりの考えや思いを力説することになります。対抗馬は花元克己JA福岡中央会会長と池端昭雄JA福井県5連会長で、名乗りを上げたのが遅かったこともあり、なかなか支援の輪が広がらず苦労しました。それでも群馬、栃木や北農中央会と交流のあった関西方面の県連などの支援の手があり勝つことができました。会長就任パーティーには各政党の幹事長クラスが出席しますので、現在の新篠津村の新旧村長にも東京に来て頂きました。加賀谷前村長と東出村長もびっくりしたようです。加賀谷さんの「小さな村から全中の会長が誕生し、こんなんうれしいことはない」とのコメントが地元新聞に載りました。  これも応援してくれる人がいたからです。藤野さんの推薦で北農中央会の会長に就任し、全中の会長選挙出馬も、東北の人から「東北・北海道のために君が出てくれ」と言われました。選挙運動のため皆さんが手分けして全国を回ってくれました。選挙中はいろいろなことがあり、対抗馬を応援している、某県連の会長が東北に来て「なぜ宮田さんを推しているのか。北海道は府県から余された人たちで、そんな人をなぜ応援するのか」と非難したそうです。これによって「人権蹂躪だ」と逆に燃えたようです。  また、関西のある県連では、「北海道は農業としては確かに日本で一番だ。しかし、北海道だけが日本の農業を支えているわけではない。大勢としては府県の兼業農家が支えている。そこを間違えないように」と念を押されました。府県は北海道に一種のアレルギーを持っていることを感じました。
(以下次号)
主な表彰
昭和44年 農林大臣表彰(経営水稲部門)
平成 9年 北海道知事表彰(北海道産業貢献賞表彰・農業関係功労者)
平成11年 黄綬褒賞受賞
平成16年 文部大臣表彰
平成17年 司法栄誉勲章「コメンダドール」受賞(ブラジル)
平成19年 モンゴル国立農業大学名誉博士号
平成20年 リオ・ブランコ勲章「コメンダドール」受賞(ブラジル)
平成20年 サンパウロ名誉市民証受証

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