食彩 Speciality Foods

〈食彩 2008. 9.18 update〉

interview

天塩川の天然水と肥沃な土壌と害虫の少ない冷涼な気候で獲れる米

――年間100人に上る組合員の離農者の歯止めが課題

水土里(みどり)ネットてしおがわ
てしおがわ土地改良区 理事長 藤原 敏正氏

藤原 敏正 ふじわら・としまさ
昭和62年7月 士別川土地改良区総代
平成 1年9月 士別川土地改良区理事
平成 9年9月 士別川土地改良区理事長
平成14年4月 てしおがわ土地改良区副理事長
現職
平成18年9月 てしおがわ土地改良区理事長
平成18年9月 北海道土地連上川支部理事
平成19年4月 北海道土地連理事
平成19年4月 北海道土地連土地改良区委員会委員
平成19年4月 北海道土地連上川支部副支部長
平成20年3月 北海道土地連換地推進委員会委員長
                      現在に至る
公職
平成10年5月 保護司
         現在に至る

 てしおがわ土地改良区の所管区域は、士別市、名寄市、剣淵町、和寒町にまたがる18,063haの水田地帯だ。工業都市を通らない清潔な河川水と、肥沃な川砂利や粘土層と冷涼な気候で害虫防除が少なく済むなどの好条件に恵まれ、近年の高品質道産米の産地である。しかし、米価の低迷によって組合員の離農者は年間100人にも及び、耕作放棄地はないものの、一戸あたりの営農規模も限界に来ている。さらに最近の原油、資材コストの上昇が追い打ちをかけており、政府が目指す自給率50%は、達成が危ぶまれる状況だ。同土地改良区の藤原理事長に、改良区の成り立ちを含めて、直面する課題などを伺った。

──この改良区は何度か合併されていますが、設立当時の農業情勢はどんな様子でしたか
藤原 平成14年に9改良区が合併し、現在のてしおがわ土地改良区となりました。  昭和35、36年頃には米不足が顕著になったために造田ブームが起こり、水が無くても水田を作り、天塩川水系上流の人々が流した排水をせき止めて、それを圃場に引き込んでいたところがかなりありました。この区域には、大規模河川といえば天塩川水系しかなく、そこに頭首口を設置して水を引き込んでいた状況で、当時の改良区の役員らが水資源を確保すべく、45年に岩尾内ダムができたのです。それによって、ようやく水不足は解消されました。
──この地区は、米が取れる極北の地ですから、自然環境や気候など本州には見られない特色があるのでは
藤原 7月の初旬から中旬までは寒い日が続くので、水稲などは深水によって保温する必要があります。そのために通常の水田用水だけでなく深水用の水が必要ですから、水不足は大きな問題で、合併前は9改良区がありましたから、ダムができるまでは農家同士だけでなく改良区の間でも水争いが激しかったと聞いております。  もちろん、最北部ですから冷害を受けることもあり、せっかく収穫しても実が無く壊滅状態の大凶作で、外国産の長粒米が配給された時代もあります。とりわけ昭和30年代の米不足は深刻で、米作りに適さない地区までも無理に水田にしていたほどで、出荷のために旧食糧庁の食糧事務所に搬入しますが、事前にその旨の連絡を入れると、職員の方から自宅に駆けつけてきて、納屋で検査をした時期もありました。それくらいに逼迫しており、増産が急務だったのです。おそらく団塊世代が小学高学年くらいで、急激に人口が増えたためでしょう。  また、気象条件は最近でこそ温暖化してきましたが、40年代はこれほど温暖ではなかったので、秋の刈り入れ時期が遅れて、一部では借り入れ前に雪が降ってしまったこともありました。そうなると稲株に雪が入って膨張し、重量は膨大になるためバインダーが使用できず、手作業になることもあります。
──理事長は元から北海道の米農家だったのでしょうか
藤原 私の家系は岩手にありましたが、明治37年に士別市に開拓農家として入植しました。  そして私は昭和15年に生まれ、水田農家を引き継ぎました。中学を卒業すれば、早々と一人前の労働者として作業を任された時代で、田興しや代掻きもしたものです。  その後、30年代になると耕耘機が導入され、10年後にはトラクターも導入され機械化されていきました。まさに人力や馬力が主流の時代から機械化による近代化への変遷を見てきたので、同世代同士では、「今の若い世代に馬を使わせても、扱えないだろうな」などと雑談します(笑)
▲士別市 めんよう牧場 ▲和寒町 南丘森林公園
──機械化とともに一戸あたりの営農規模も拡大し、圃場整備も本格化したのですね
藤原 馬耕や耕耘機が主力だった頃は、まだ大規模な水田はできませんでしたが、トラクターが導入されるようになると、狭い農地では作業効率が悪いので大規模化されていきました。昭和45年にダムができてから国営灌漑排水事業が導入され、道営の土地改良事業による圃場整備に付随して、道営の幹線整備も行われたのです。
──この改良区では、うるち米だけでなくもち米も生産していますね
藤原 当時の名寄農協の方針だっのでしょうが、名寄市ではもち米の生産に着手し成功していますね。もっとも、この3年ほどはうるち米よりも安いのですが、地元の生産者によると、収量はそれほど差がないようです。全市的にもち米だけを生産する事例は、珍しいですね。是非頑張ってほしいと思います。  農協も政府に納入するだけでなく、販路拡大にもかなり努力し、新潟の製菓会社にも売り込んでいるようです。
──小売り店での価格は高く、しかも1sか2s単位でしか販売されていません
藤原 ところが、卸価格は安いのです。理由は在庫があまり気味で、消費者も以前のように赤飯などを頻繁には食べなくなったことから、消費量が落ちているためです。  また、道産のもち米はほとんどが関東、関西方面に出荷されているので、あまり店頭では見かけないかもしれません。
──土地改良区として、今後に向けて解決すべき課題は
藤原 改良区の賦課金は、組合員の農家が一反ごとの単価で納入しますから、米価が下がると経営に影響するので、少しでも高値が付けばと思います。これほど原油高でコストが上がってくると、農家の手取り収入が無くなってしまいます。農家収入が無くなれば改良区の賦課金も負担できなくなり、存続に関わってきますから、農家にはより多く収穫してもらい、農協にはより高値で販売してほしいものです。
──品質は本州米と肩を並べ、あるいはそれを超えるまでにレベルアップしていますからね
藤原 空知ほどではないにしても、品種は次々と新しいものが開発され、「おぼろづき」や「きらら397」、「ほしのゆめ」などブランドは豊富になってきており、それらはこの改良区で生産できます。  ただ、空知に比べると耕地面積が少ないので、量的には及びませんが、食味においては負けない自信があります。
──土壌による差異はないのでしょうか
藤原 天塩川の下流域は砂利が中心で、上流に行くと粘土が多くなりますが、そうした土壌で獲れる米は、泥炭で取れるものよりも品質が良いのです。その意味では、最北とはいえ米作りの環境としては恵まれており、米づりの適地へと変わりつつあります。  また、水質の違いもあります。石狩川のように工業地帯のある都市部を通過する河川よりは、原野を流れる天塩川水系の方が天然水で純粋です。
──これは強力なアピールポイントとなりますね
藤原 肥沃な土地と天然水に恵まれた、豊かな自然の中で育った米で、しかも最北で冷涼な気候ですから、害虫防除も他の地区よりも遙かに少なく済みます。その分、安全度の高さには自信があります。  実際に、中には直接消費者と取引している組合員もいますが、防除回数が少ないことは、そうした場合にも有効なPRになりますね。
▲水土里ネットてしおがわ 事務所
──以前から問題の一つとして論議されていますが、離農者などはいるのでしょうか
藤原 65歳になって年金支給が開始されるのを区切りとする人はいます。そのほか、拡大投資したものの、現在の価格レベルでは採算が合わないので、早めに見切りをつける人や、赤字が続き、農協からそろそろ引退してはどうかと言われてリタイヤしてく人もいます。  全ての元凶は価格にあるといえます。価格が上がらないために所得がないのに、何のために続ける必要があるのかと考えてしまうわけですね。特に、肥料代が6割、石油関連資材も2割から3割も高騰すると言われます。農家は毎年、使用する種苗や資材、肥料の量や収穫見込みと収入見通しなどの詳細を明示した営農計画書を作成しますが、その収支表に最初から赤字の△マークがつくようでは、どうにもなりません。  やはり国策による何らかの手当がなければ、自給率を上げるにも生産者自体がいなくなってしまいます。実際に、平成14年の合併時には組合員数2,600人でしたが、毎年100人ずつ離農している状況で、現在では1,900人くらいにまで減っています。
──栽培技術や専門知識を持った生産者が、6年間700人もやめてしまうとは勿体ない話で、事態はかなり深刻ですね
藤原 そのため、休耕地を近隣農家が吸収するので、一戸あたりの営農面積が拡大しています。もちろん、作業は家族労働が基本なので、無限に拡大するわけにはいかず、25〜30haが限界です。では、その後はどうなるのかといえば、誰も答えは出せません。毎年100人単位で組合員が離農する事態など、考えもしなかったですね。今のところは耕作放棄地を出さずに、何とか維持していますが、そろそろ限界に来ているので、今後も離農が続けば、条件の悪い土地から放棄し、荒れ地と化すのを放置する以外になくなります。  ですから、自給率向上は国策の大前提ではありますが、そのための生産者をどう確保するのか、いかにして離農を防ぐかが先決問題だと思います。定年で辞めていく人もいますが、経済的な苦しさからやめていく人に対しては、何らかの救済策があるのではないかと思います。営農が健全に継続できさえすれば、後継者も確保できるのです。  したがって、いま行政に最も求めたい政策は所得の補填です。現在の米相場としては、最低でも1俵につき1万5,000円でなければ、営農を維持できません。所得の保填により生産者を確実に確保しなければ、自給率50%は絵に描いたもちとなります。  一方、区内でも稲作の適作地である上士別で、国策による農地再編事業が行われ、一枚2ha以上の水田を作りますが、営農者が将来を考え法人化し、就農希望者を募り、研修して任せる方向で進めています。かつては農業は家業として長男が伝統的に後継していましたが、今後は発想を変えていくことが必要ですね。
概 要
名   称:てしおがわ土地改良区
所 在 地:士別市東4条3丁目1番4
         TEL 0165-29-7177
設   立:大正2年11月27日
関係市町村:名寄市、士別市、剣淵町、和寒町
地 区 面 積:17,963ha
組 合 員 数:1,984名


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