滝沢ダムへ

〈建設グラフ2001年6月号〉

特別企画 滝沢ダム -自然災害を土木技術でどこまで減らせるか-


平成11年8月14日・豪雨により大増水した荒川

▲第一調節池(朝霞市・戸田市)

史上最高となった平成11年の水害

 荒川は、甲武信ヶ岳直下の荒川起点から東京湾の河口まで173km、流域面積2,940平方qで、日本の主要河川のなかでも長い河川だ。しかし、降雨の多いときと少ないときの差が大きく、大陸の河川に比べると流域面積が小さく勾配が急なため、大雨が降ると短時間で増水し、平野部で氾濫する。一方、日照りが続くと渇水し、首都圏では取水制限を強いられている。荒川はその名の通り「荒ぶる川」で、極めてコントロールの困難な河川だ。
 近年の記録では、平成11年8月の豪雨による水害が記憶に新しい。東京湾南海上の動きの遅い熱帯低気圧によって発達した雨雲が、関東地方に入り込んできたため、荒川流域では、13日夜から14日の夜にかけて豪雨となり、三峰観測所では、降り始めからの総雨量が498mmを記録した。流域の平均降雨量は419mmとなった。また、12日からの治水橋上流域での3日間の平均雨量は399mmを記録した。これは33年に1回の確率で降る規模である。
 このため、大宮市の治水橋地点では、河川水位が高水敷と堤内地盤の高さを一気に越えてしまった。また、東京都北区の岩淵地点でも、戦後3番目の水位を記録した。
 これによって、大滝村中津川のオートキャンプ場が孤立し、300人もの客が取り残され、西武秩父線吾野駅は土砂崩れでホームが埋まった。また床上浸水は312床、床下浸水は1,680棟に及び、大滝村では中津川34世帯70人と、中双里10世帯19人及び小倉沢18世帯25人が孤立。寄居町では、50世帯中31世帯94人が緊急避難した。


 ▲洪水が彩湖に初めて流入

 ▲水につかる浦和市の民家

 ▲東京都三領水門


荒ぶる川

 荒川は、甲武信ヶ岳から東京湾へ流れ込む。山地区間は約41km、盆地区間は約24km、残りの100km強が平野を流れており、全区間における平野区間の割合が、日本では最も多い。その名称は、鎌倉時代に記された「宴曲抄」の上巻「南無飛竜権現千手千眼日本第一大霊験善光寺修行」で、鎌倉から松井田へ行くには、荒川はじめ6河川を渡る必要があったが、寄居町にあった荒川の赤浜の渡しには「たぎりておつる浪の荒河行過て」と記されていたことに由来しているとの説もある。
 流域面積約2,940平方qのうち山地面積は1,475平方q、丘陵、台地、氾濫源等の平地面積は1,465平方km。日本の大河川の平均は山地7に対して平地3だが、荒川の場合は、山地と平地がほぼ半分ずつとなっている。このうち埼玉県と東京都の比率は、埼玉県85%に対し東京都は15%だ。
 埼玉県内を流れる利根川水系の流域面積と比較すると、県土の総面積3,797平方qのうち66%が荒川流域、34%が利根川流域といううちわけだ。しかも現在は、利根川流域に含まれる元荒川や綾瀬川など、荒川の旧流路も含めると、その流域面積は県土の約7割を占める。一つの河川が象徴的に一つの県域を占める例は最上川、富士川などを除いて全国的にはあまり見られない。その意味でも、荒川はまさに埼玉県の「母なる川」と言える。
 荒川の河口から水源までの河川勾配は、平均1/68だが、荒川の6倍近い流域面積をもつ利根川の勾配は1/174であるから、荒川は利根川の3倍の勾配と速度で流下している。外国の河川と比較すると、セーヌ川、揚子江、アマゾン川はl/1,100から1 /1,650程度。ナイル川は1/5,900となっている。
 このように平均的に急勾配の荒川だが、山地部分はさらに急で1/30、逆に平地部分では1/1,400という状況であるため、甲武信ヶ岳から山地部分をいっきに流れ下り、平野部に出て氾濫を繰り返して、今日の埼玉を形成し、そして今日もなお氾濫を繰り返している。
 川は河口に向かって徐々に川幅を広げるが、荒川は中流部が広い。とくに河口から62km地点(吉見町古名新田・明秋)の川幅は2.5km。河口付近の川幅は0.75kmで、3倍以上にもなる。この広い河川敷は江戸時代に、すでに河口ー帯に広がった都市を氾濫から守るため遊水機能を果たしてきた。

 ▲羽根倉橋上流(富士見市・浦和市)

 ▲入間川合流点(川越市・大宮市)


 ▲(上尾市・川島町)