滝沢ダムへ

〈建設グラフ2001年6月号〉

特別企画 滝沢ダム -自然災害を土木技術でどこまで減らせるか-


荒川源流域の大滝村
甲州、武州、信州の境界に位置する名峰・甲武信岳


地域の略史

 大滝村に人類が残した最初の痕跡は、およそ1万年前の「神庭半洞窟遺跡」で旧石器、縄文時代の遺物が出土している。また、甲州へ抜ける雁坂峠の頂上からも縄文時代の石器や峠越えの安全を祈願した古銭類が出土し、古くから秩父往還(国道140号)が交通の要衝であったことを物語っている。
 中でも、栃本は十文字峠を越えて、信州へ至る分岐点にあたるため、戦国時代には武田信玄によって関所が開設された。これが後に徳川幕府によって設けられた「栃本関」の前身である。秩父往還は、中山道と甲州街道の間道であるため利用者が多く、徳川幕府は警備を強化するため栃本関に加えて甲州側と武州側に加番所を設置した。『麻生加番所』はその一つだ。
 また、大達原地区には幕府が上意下達の方法として用いた「大達原高札場」が残されており、中津川地区には平賀源内が設計施工し、長期滞在したという「源内居」や、木曽御嶽山を開山した普寛上人の生誕地である落合地区には「普寛導師碑」もある。大血川には「大陽寺えんま堂の仏像群」もあり、村内にはこうした有形・無形の文化遺産がある。
 それらのなかでも、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の東征が建立の機縁とされる「三峯神社」は、大滝で最大の文化財宝庫といえる。県指定建造物の「三峯神社本殿」をはじめ、神社の日誌である「日鑑」や、「銅板絵馬」、「御正体」、「神領民家」のほか、三峰では「神楽」、「獅子舞」などの伝統芸能も村民の手によって保存・継承されてきた。
 こうした深い歴史と文化を残すため、水資源開発公団がバックアップして滝沢ダム水没地域総合調査会が発足し、水没地域の人と暮らし、文化、風土、風俗、風景などを余すところなく伝える写真集「興懐」と、「秩父滝沢ダム水没地域総合調査報告書」上下巻を発行。興懐巻末には、地域に暮らした全住民の氏名、住所を収録。調査報告書上巻は自然遍として、地域の地形、地質、地理、植物、動物に関する詳細なデータ、図、写真で構成。下巻は人文遍として地域の歴史、民族を集積。いずれもA4サイズ布貼り箱入りの豪華な装丁で、永久保存版としてのメモリアルに相応しいものになっている。


 ▲巨人伝説・秩父の大雨


 ▲巨人伝説・甲武信ヶ岳

大滝村の過疎化と再生に重要なインパクト

 そして、明治22年(1889)に、大滝、中津川、三峰の三村が合併して大滝村が誕生した。総面積の96%が山林という文字通りの山村で、平賀源内は鉱山経営のために中津川の幸島家に源内居を設けて逗留したが、近年の大滝はその鉱物資源と森林資源に支えられて発展してきた。昭和12年に日窒鉱業が鉄鉱石などの採掘を開始して以来、最盛期には鉱山で約3,000人の雇用が創出され、35年には二瀬ダムの建設工事にともなう流入人口とも重なり、村民の数は8,000人を超え、ピークに達した。
 しかし、40年代半ばには、林業従事者の減少、鉱山の減産縮小など産業構造の変化によって第一次産業が衰退し、村内における就業機会も減少した。さらに高学歴化が若者の流出に拍車をかけ、高齢化率が上昇。55年には村の総人口が2,713人に減少した。
 そして、道路・交通などのインフラが改善される一方で、翌56年から60年にかけて大滝小学校三峰分校、上中尾小学校、中津川小学校、小倉沢小・中学校が閉校されると同時に大滝小学校・大滝中学校へ統合され、先代の巣立つた学校は村史に名称を残すだけとなった。
 60年代になってからは人口の減少傾向が落ち着きを見せたが、平成元年から始まった滝沢ダム水没地域住民約360人の村外移転によって、再び減少率が増加。7年9月には1,806人となり、他の多くの山村が辿った道と同様に大滝村も過疎化の道を歩んできた。   しかし、渓流釣り場や大滝温泉など観光資源の開発・施設の整備により、新たな産業の成長に期待が持たれるようになり、近年は下流部の集落で人口や世帯数が一部増加の傾向に反転している。
 大滝村総合振興計画では、平成12年の目標人口を2,000人としているが、これを実現するためには、若者の村内定着とUターン、村外からの人口流入が必要だ。そこで、若者や村外者が未来をゆだねられる魅力ある村づくり、深刻な過疎の村から転じて再び夢のある豊かな村へのストーリーを描いて歩み始めている。
 治水、利水を目的として建設している滝沢ダムは、村にとって大きな可能性をもたらすものと期待されている。また、大滝温泉遊湯館オープン、彩の国ふれあいの森・こまどり荘オープンと、村営の観光施設が相次いで開設され、県立「大滝グリーンスクール」では、県内の若者が自然の中でつくる喜びやふれあう心を育てている。
 しかも、9年度には雁坂トンネルの開通によって国道140号が全面開通した。国道140号が山梨県側に通じたことで、埼玉と山梨が初めてダイレクトに結ばれることになった。そのため、大滝村は、再び甲州と武州を結ぶ交通の要衝となり、かつての秩父往還が復活したことになる。
 また、滝沢ダムの建設と県道の付替工事も進行しているため、完成時には中津川方面の観光ポイントヘのアクセスがより容易になるだけでなく、生活道路の利便性が飛躍的に向上する。さらに、滝沢ダムおよびダム湖そのものが観光資源としての活用を大いに期待されている。
 このように、滝沢ダムは単なる治水、利水としての機能を果たすだけでなく、地域の振興にとっても重大なインパクトを与えている。

 ▲三峯神社


 ▲神楽「てけてっとん