建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2003年1月号〉

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─胎内川総合開発事業─

羽越水害から35年を経て本体工事はじまる 2013年完成へ

既設の胎内川ダムと連係し、地域を洪水から守ると共に河川環境を維持し、水のある豊かな暮らしを支える21世紀型のモデル的な新ダム

新潟県 奥胎内ダム

▲奥胎内ダム完成予想図

新潟県は、胎内川総合開発の一環として、既設胎内川ダムと連係させて100年に1度の洪水に耐えうる最適で恒久的なダム管理の治水編成を行うことを目的に、洪水調節、流水の正常な機能の維持、水道用水の供給・発電を行う“多目的ダム”となる「奥胎内ダム」の建設を進めており、平成14年8月からは念願の本体工事に着手し、完成は平成25年度を目指しているところである。
建設地は、胎内川水系胎内川の新潟県北蒲原郡黒川村大字下荒沢地先。ダムの諸元として、(型式)重力式コンクリートダム、(堤高)82.0m、(堤頂長)223.5m、(堤体積)265,000立方メートル、(非越流部標高)415.0m。一方、貯水池は、(集水面積)32.4平方キロメートル、(湛水面積)0.48平方キロメートル、(総貯水容量)10,000,000立方メートル、(有効貯水容量)7,700,000立方メートル、(最低水位)標高・384.0m、(サーチャージ水位)標高・411.0m、(設計洪水位)標高・413.4mとなる。

ダムの主な役割は、(1)「洪水調節」として、既設胎内川ダムと合わせ、870立方メートル/秒の洪水調節を行ない、沿岸の洪水被害を防ぐ、(2)「流水の正常な機能の維持」として、既設胎内川ダムとの相互運用により、流水の正常な機能の維持を図る、(3)「水道用水」として、既設胎内川ダムとの相互運用により、黒川村に対し、1,500立方メートル/日の水道水の取水を可能とする、(4)「発電」として、新たに胎内第四発電所を建設し、最大出力2,600kwの発電を可能とする。

胎内川は、新潟県北蒲原郡黒川村にある藤十郎山(標高1,332m)を含む飯豊連峰に源を発し、山間部を東西へと下り、途中、頼母木川、鹿俣川などの支川を合流、中条町笹口浜地先において日本海に注ぐ、流路延長39.1km、流域面積143.4平方キロメートルの二級河川。
明治21年(1888)に胎内川放水路開削が始まって以来、大正9年(1920)に“旧河川法”のもとで準用河川指定、昭和33年(1958)に河川局部改良事業、翌昭和34年に胎内第2発電所、昭和37年に胎内第1発電所が完成し、昭和40年には“現河川法”のもとで二級河川に指定された。その後の昭和41年に7.17水害が発生し、翌昭和42年には未曾有の大洪水となった“羽越水害”と言われる8.28水害が発生。この災害では黒川村だけで死者行方不明者31人、重軽傷者を合わせた人的被害114名、全半壊、浸水家屋は1,374棟で、被害総額は9億円余りに及んだ。
それらの災害を契機として河川計画を改め、昭和51年に胎内川ダムが完成したが、昭和53年、56年の洪水で河岸決壊などの大きな被害が発生したために未だ治水施設の整備が不十分であることから、新たな計画の見直しが叫ばれた。

また、年間降水量においても中条観測所で2,600mm、胎内川ダム観測所で3,500mmにも及んでおり、新潟1,800mm、長岡2,600mm、高田2,900mmと比べても県内有数の集中豪雨地帯を流下する河川として、治水対策の検討は緊急の課題となっていたことから、その後の昭和60年に「奥胎内ダム」の実施計画調査に初めて着手し、平成2年にようやく奥胎内ダムの建設までに至った。

▲胎内川ダム ▲昭和42年8月28日洪水
奥胎内ダム本体工事に着手/新潟県 新発田土木事務所長 上田 茂樹
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