地方選挙News

 

選挙結果

 

戸井町

無投票で前助役の吉沢氏初当選

任期満了(現職の水戸忠一町長勇退・3期)に伴う戸井町長選挙は平成14年3月5日告示され、新人の吉沢慶昭(よしざわ・よしあき、59歳)同町前助役以外に立候補の届出が無く、同氏の無投票初当選が決まった。

吉沢氏は、福島町出身、昭和36年3月函館工業高校土木科卒。同年4月大手ゼネコン鹿島建設入社、41年7月同退社、同年8月同町役場奉職、48年建設課長補佐、57年同課長、60年建設水道課長、平成2年学校教育課長、5年総務課長、10年企画振興課長、12年10月助役就任、13年12月退職。

【戸井町長選挙経過】

     平成14年1月10日、戸井町選挙管理委員会は次期町長選挙(任期満了は平成14年3月24日)の日程を平成14年3月5日告示、同10日投票と決めた。即日開票される。同町議会議員の補欠選挙(欠員1名)も同じ日程で行われる。

□平成13年12月13日、12月10日付けで退職した吉沢慶昭(59歳)同町前助役は新聞社の取材で、次期町長選挙(任期満了は平成14年3月24日)に出馬の意向を表明した。

□平成13年、現職の水戸忠一(みずと・ただかず、)町長は今期限り(任期満了は平成14年3月24日)の引退表明をした。

水戸氏は、昭和254日生、戸井町出身、日新国民学校高等科卒。同町総務課長、57年町長選に出馬し、現職の江刺家郁郎氏に敗退。菅原組の総務次長を務め、平成2年再出馬し当選。現在3期目。

【過去の戸井町長選挙経過】

□平成1033日告示

 任期満了に伴う戸井町長選挙は平成1033日告示され、現職の水戸忠一(みずと・ただかず)町長以外に立候補の届け出がなく同氏の無投票3選が決まった。

水戸氏は、昭和254日生、戸井町出身、日新国民学校高等科卒。57年町長選に出馬し、現職の江刺家郁郎氏に敗退。菅原組の総務次長を務め、平成2年再出馬し当選。

□平成636日告示

 任期満了に伴う戸井町長選挙は、現職の水戸町長(66歳)以外に立候補の届け出がなく、同氏の無投票再選が決まった。

□平成2311日投票

 任期満了に伴う戸井町長選挙は、新人の水戸氏が、同じく新人の小田氏を破って初当選を果たした。

当日有権者数              3,666

投票者数                            3,309

投票率                  90.26

当選       水戸 忠一   1,996

小田 成雄   1,298

□昭和61年3月2日告示

 任期満了に伴う戸井町長選挙は、現職の江刺家郁朗町長以外に立候補の届け出がなく、同氏の無投票再選が決まった。

江刺家氏は、大正12年10月24日生、函館市出身、函館水産専門卒。同町産業課長、助役(4期16年)を歴任。昭和57年3月町長就任。

□昭和57年3月7日投票

 任期満了に伴う戸井町長選挙(現職の中釜実町長勇退)は、新人の江刺家郁朗同町前助役が、同じく新人の水戸忠一同町前総務課長を破り初当選した。

有権者数                            3,828人

投票者数                            3,446人

投票率                  90.02%

当選       江刺家郁朗    2,059票

              水戸 忠一       1,378票

 

出馬表明

 

深川市

現職の河野市長3選出馬表明

平成14年3月5日、現職の河野順吉(かわの・じゅんきち、63歳)市長は定例市議会で次期市長選挙(任期満了は平成14年10月14日)に3選出馬の意向を表明した。

河野氏は、昭和13330日生、深川市出身、深川農業高校卒。同市議会副議長。平成610月市長就任。現在2期目。

 

ニセコ町

現職の逢坂町長3選出馬表明

平成14年3月8日、現職の逢坂誠二(おおさか・せいじ、42歳)町長は定例町議会で次期町長選挙(期満了は平成14年11月2日)に3選を目指して出馬することを表明した。民主党の一部に次期北海道知事候補への期待もある。

逢坂氏は、昭和34424日生、ニセコ町出身、北大薬学部卒。企画観光課、総務課財政係長。平成611月町長就任。現在2期目。

 

小平町

現職の横浜町長再選出馬表明

平成14年3月11日、現職の横浜磨(よこはま・みがく、59歳)町長は定例町議会で次期町長選挙(任期満了は平成14年11月8日)に再選を目指して出馬することを表明した。

横浜氏は、昭和17年8月11日生、中華民国河南省出身、酪農学園大卒。同町財政課長、収入役を歴任。平成10年10月町長就任。現在1期目。

 

歌登町

現職の深井町長3選出馬表明

平成14年3月12日、現職の深井信朗(ふかい・のぶろう、65歳)町長は定例町議会で次期町長選挙(任期満了は平成14年10月1日)に3選を目指して出馬する意向を表明した。

深井氏は、昭和11517日生、歌登町出身、法政大経済学部卒。36年雪印物産、43年同町役場入り、総務課長、企画財政課長、助役を歴任。平成6年町長就任。現在2期目。

 

忠類村

現職の二川村長3選出馬表明

平成14年3月12日、現職の二川邦男(ふたがわ・くにお、58歳)村長は定例村議会で平成14年5月7日告示の同村長選挙に3選を目指して出馬する事を表明した。

二川氏は、昭和181115日生、忠類村出身、大樹高卒。同村総務課長、助役を歴任。平成65月村長就任。現在2期目。

【忠類村長選挙経過】

□平成14年2月15日、忠類村選挙管理委員会は次期村長選挙(任期満了は平成14年5月19日)の日程を平成14年5月7日告示、同12日と決めた。即日開票される。

 

選挙日程

 

士別市

5月12日告示

平成14年3月4日、士別市選挙管理委員会は次期市長選挙(任期満了は平成14年5月24日)の日程を平成14年5月12日告示、19日投票と決めた。即日開票される。

同市議会議員の補欠選挙(欠員1名)も同じ日程で行われる。

【士別市長選挙経過】

□平成13年12月21日、現職の田苅子進(たかりこ・すすむ、63歳)市長は定例市議会で次期市長選挙(任期満了は平成14年5月24日)に再選を目指して出馬することを表明した。

田苅子氏は、昭和1345日生、士別市出身、名寄農業高校卒、道自治講習所修了。同市立総合病院事務局長、市教育長3期(亡父・政太郎氏は元道議)。平成10年5月市長就任。現在1期目。

 

虻田町

5月21日告示

平成14年3月7日、虻田町選挙管理委員会は次期町長選挙(任期満了は平成14年6月16日)の日程を平成14年5月21日告示、同26日投票と決めた。即日開票される

【虻田町長選挙経過】

□平成14年1月15日、現職の長崎良夫(ながさき・よしお、72歳)町長は臨時町議会で次期町長選挙(任期満了は平成14年6月16日)に再選を目指して出馬する意向を表明した。

長崎氏は、昭和4年、虻田町出身、旧制伊達中卒。昭和21年同町役場、総務課長、同部長、53年助役(416年)を歴任。平成10年5月町長就任。現在1期目。

 

首長辞職

 

浜頓別町

1年半残し現職市川昇町長辞任

平成14年3月11日、浜頓別町議会は全会一致で市川昇(いちかわ・のぼる、66歳)町長の辞職に同意した。同町議会は同12日に同町選挙管理委員会に辞職を通知、同選管は14日に委員会を開いて選挙日程を決める。同町議の補選(欠員2名)も予定される。

公職選挙法で選挙管理委員会に通知から50日以内に町長選挙が執行される。

【浜頓別町長選挙経過(辞職後)】

町長選挙は4月22日告示

     平成14年3月14日、浜頓別町選挙管理委員会は現職の市川昇町長辞職に伴う同町長選挙の日程を平成14年4月22日告示、同27日投票と決めた。即日開票される。

広瀬元渡島支庁長出馬

     平成14年3月14日、広瀬忠雄元渡島支庁長(ひろせ・ただお、65歳)・現在寒住プレハブ工業且ミ長が4月22日告示の同町長選挙に出馬する意向を明らかにした。

広瀬氏は、昭和11年11月1日生、浜頓別町出身、浜頓別高卒。30年10月道庁入庁、50年総務部学事課法人係長、54年同部主幹(職員監)、56年生活環境部環境影響審査課長補佐、57年同道民生活課長補佐、58年総務部人事課長補佐、60年同部参事(職員監)、62年衛生部総務課長、63年保険環境部総務課長、平成元年同道立病院管理室長、3年住宅都市部次長、5年渡島支庁長、7年同退職。現在・寒住プレハブ工業且ミ長(札幌市中央区)

【浜頓別町長選挙経過(辞職前)】

事実上の引責辞職

□平成14年3月5日、現職の市川昇(いちかわ・のぼる、66歳)町長が定例町議会終了後辞職願い(健康上の不安)を議長に提出した。

町立国保病院の医師招へいで不透明な町支出金が発覚、同問題で町民から住民監査請求が提出、平成13年3月、市川町長は同町監査委員会から町支出金は適性を欠くと改善を勧告された経緯があった。

市川氏は昭和10年9月24日生、浜頓別出身、北海道立自治講習所修了。同町総務課長、教育長、収入役を歴任。昭和44年から約11年間続いた社会党の坂下堯町政で組合の委員長を務めた。

【過去の浜頓別町長選挙結果】

革新系に保守相乗りで現職3選を果たす

□平成11年9月12日投票

任期満了に伴う浜頓別町長選挙は平成11年9月12日投票、即日開票され、現職の市川昇(いちかわ・のぼる、63歳)町長が、新人の山下陽照(やました・ようしょう、60歳)元農業団体を破り3選を果たした。

市川氏は昭和10年9月24日生、浜頓別出身、北海道立自治講習所修了。同町総務課長、教育長、収入役を歴任。初戦(平成3年)の時は社会党、地区労などの革新陣営の推薦を受け、11年ぶりの革新町政奪還に成功。今回は、保守系の商工政治連盟、建設協会、漁協などの推薦を受けた。

当日有権者数              3,886人

当日投票者数              3,429人

投票率                  88.24%

当選       市川 昇                         2,186票

              山下 陽照       1,188票

□平成7年9月5日告示

任期満了に伴う浜頓別町長選挙は平成9月5日告示され、現職の市川昇(60歳)町長以外に立候補の届け出がなく同氏の無投票再選が決まった。

平成3年9月8日投票

革新系町長11年ぶりに誕生

任期満了に伴う浜頓別町長選挙は平成3年9月8日投票、即日開票され、新人の市川昇(55歳)同町前収入役が、現職の杉田孝(58歳)町長と、新人の山田香(62歳)同前町議会議長の両氏を破り初当選した。市川氏は杉田町政の収入役を務めていた。

当日有権者数              4,058人

当日投票者数              3,874人

投票率                  95.47%

当選       市川 昇                         1,420票

              山田 香                         1,341票

              杉田 孝                         1,078票

昭和62年9月20日投票

現職石田孝町長病気辞任に伴う浜頓別町長選挙は昭和62年9月20日投票、即日開票され、新人の杉田孝(54歳)同町前収入役が、同じく新人の中村忠男(69歳)同元町議会議員を破り初当選した。

杉田氏は、大正8年5月29日、深川市出身、自治講習所卒。同町企画室長、財政課長、総務課長、国保病院事務長、収入役を歴任。

当日有権者数              4,246人

当日投票者数              3,989人

投票率                  93.95%

当選       杉田 孝                         1,992票

              中村 忠男       1,945票

昭和59年2月19日投票

社会党坂下道議の長男破れる

任期満了に伴う浜頓別町長選挙は昭和59年2月19日投票、即日開票され、現職の石田孝町長が、新人の坂下周平(獣医)氏、同じく新人の中村忠男氏を破り再選を果たした。

石田氏は、大正7年10月15日、浜頓別町出身、旭川商業卒。昭和22年浜頓別村議、同町議長、消防団長、商工会長、全道商工連副会長を歴任。

坂下氏は、坂下堯氏の長男で昭和54年4月8日執行の道議会議員選挙(宗谷支庁)に出馬し落選している。

当日有権者数              4,254人

当日投票者数              4,009人

投票率                  94.24%

当選       石田 孝                         2,047票

              坂下 周平       1,215票

              中村 忠男       703票

昭和55年3月2日投票

保守系石田前議長初当選

現職坂下堯町長辞職(参議院議員選挙地方区出馬)に伴う浜頓別町長選挙は昭和55年3月2日投票、即日開票され、新人の石田孝同町前議長が、新人の松本饒同町前助役を破り初当選した。

当日有権者数              4,387人

当日投票者数              4,196人

投票率                  95.65%

当選       石田 孝                         2,267票

              松本 饒                         1,859票

辞職した坂下堯(さかした・たかし)氏は、大正11年8月3日生、昭和18年旧東京高等獣医学校(現日大農獣医学部)卒、戦後満州から復員し農民同盟、29年社会党入党、30年道議(宗谷支庁・定数2人)連続3回当選、32年同町農協組合長、42年道議(宗谷支庁・定数1人削減)落選、44年3月浜頓別町長選挙告示2日前に立候補し大差で現職を破り連続4回当選、50年7月社会党道本部・副委員長、宗谷地区農協組合長会会長。

     道北の社会党王国を築いた坂下堯氏のその後は、55年6月参議院議員選挙地方区に立候補し落選(社会党)、58年4月道議選(宗谷支庁)で現職の高橋正四郎(自民党公認・元宗谷支庁長)道議を破り返り咲くが、59年現職道議で急逝。

     坂下堯氏の妻啓子(中学教師・社会党)氏は坂下氏死去に伴う道議補欠選挙(59年10月7日執行)に立候補するが湯佐利夫(自民党)元道水産部長に破れ落選。また、同氏長男周平(獣医・3代目)氏は昭和54年4月8日執行の道議会議員選挙(宗谷支庁)、昭和59年2月19日執行の浜頓別町長選挙に立候補するがいずれも落選している。