建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2005年7月号〉

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特別講演会「国土学とは何か」要旨

国土技術研究センター理事長・国土交通省前技監 大石 久和

 
 去る5月19日(木)、(社)北海道建設業協会の主催で(財)国土技術研究センター理事長・大石久和氏の特別講演会が開かれた。大石氏は国土交通省道路局長、技監を歴任し、退官後は全国各地で幅広い内容のシンポジウムや講演会などで講師として活躍している。講演の要旨を収録した。

 

 今日は私の考えをいくつかご紹介させていただき、ご出席の皆様や多くの国民にそれをご理解いただいて、本来の施策が正しく実行されるよう訴えていきたいとの思いで、お話をさせていただきます。
 私たちの国は、政府も地方自治体も財源が非常に厳しいことから、公共事業をはじめ防衛からODAに至るまで、削れるものはできるだけ削り、中でも国家予算の7兆円を占める公共事業については、某新聞社の論説委員などは、全国津々浦々に至るまで道路整備が完了したのであるから、これ以上は必要はないとか、あるいは私たちの国はすでに水資源が余っているので、これ以上ダムを造る必要もないと主張で、公共事業費などを削ってとにかく財源再建を図るべしとの議論がもっぱらです。それでも足りなければ、増税するしかないのではないか、といった議論もされています。

公共事業の本来の役割
 しかし、私たちの国費は現在では、税収として41兆円から42兆円、税外収入を含めても45兆円〜46兆円しか国民から徴収することができていませんが、15年前の1990年には、60兆円を徴収することができていたのです。
 それは現在よりも、はるかに活発な経済活動が行われてきたからこそ、消費税を上げなくても国民は60兆円を納税することができたわけです。それだけ活発に動いて税を納めるような経済運営、あるいは民間の活動ができているのであれば、こんな議論は不要ではないでしょうか。むしろ、国民に活発に動いて頂けるような環境整備こそが大事なのではないかという議論は、置き忘れられているのではないでしょうか。
 言葉の問題ですが、私が公共事業のあり方を指して「国土学」と名付けているのは、入札契約制度に向けられる不信感、国民の目から不透明な点があるからです。事業の箇所付けは政治的な力関係で決定しているのではないか、そのために必要でない箇所が優先的に整備されているのではないかといったマイナスイメージで包み込んで、本来公共事業が持っている、その地域をより強くしていく機能、あるいはその地域に住む人々をより安全にしていく機能といったものについては殆ど語らず、ある意味ダーティなイメージを国民に押しつけることによって、公共事業は削減しても良いものだというムードを創り上げているのではないでしょうか。

飽食世代の競争
 私は今回は北海道の開拓の歴史も勉強させていただきましたが、この北海道が永々として使いやすくなるため、あるいはより安全になるために、私たちの先輩は多大な努力をしてくれたのです。それは北海道だけではなく、わが国全体のことでもありますが、現代の我々は、ほとんどが飽食の世代と言われて、食の連想ゲームから言えば、空腹だからおなかを満たすという単純なイメージではなく、ダイエット機能など、本来の食以外の要素を含めたイメージで捉えられています。過去のどの時代の日本人よりも、はるかに豊かにものが食べられる時代です。
 反面、世界では30億人が飢えていると言われていますが、最も豊かな食生活をしている我々が、過去の時代に様々な人々が努力してくれた結果に負っているにもかかわらず、少子高齢化に向かいつつもアジア諸国が台頭していく中で競争していかなければならないのです。そして、それに直面する子孫たちが後に残ることになるのに、次世代の人々が競争していくための条件を、十分に与えることもできないままに過ごしているのではないでしょうか。

アジアと競争するための道具立て
 我が国は、満足に食べることもできなかった昭和20年代、30年代には、さらに大変な洪水などが襲いました。北海道にも明治期には大変に大規模の災害がありました。それでも、その頃の北海道人は、ろくな食事が出来ていなかったにも関わらず、現代に生きる私たちがこの北海道を豊かに使うことができるための投資をしてくれていたのです。ところが、飽食の世代である我々は、次の世代への努力を怠っているのではないでしょうか。 
 私たちの国は、特に東アジアの中で卓越的な状態にありました。私たちの国がビルを造っても、港を開いても、それは常に東洋一であり、高いビルを造れば常に東洋一の高層ビルでありました。いままではそうした地位に立つ時代を過ごしてきましたが、今日にあっては残念ながら違っています。私たちの国は、今や東アジアにあって極めて相対的なポジションに落ち込もうとしています。私たちの世代までは、東洋一の世代でしたが、私たちの子孫の時代は東洋一ではない立場で、アジアの国々と競争しなければならないのです。
 例えば、太平洋を渡ってくる貨物が日本に着くのか釜山に着くのか、上海に着くのかを争う競争の時代なのです。ついこの間までは、それらは横浜に着いたり、神戸に着いたり、あるいは小樽や苫小牧に着いており、それを疑う必要もありませんでした。しかし、これからは釜山や上海に荷物が集まることになるのです。そうした情勢下で競争し、経済的なポジションを維持しなければならないわけです。
 然るに、そのための道具立てを、我々はきちんと与えていると言えるでしょうか。世界の国々と競争していくための道具立てとは、ひとつ港を造ればそれで良かったという時代の話ではないのです。かつてはコンテナで物を運ぶということがありませんでしたが、現在では長距離航路であっても製品だけでなく、材料までをコンテナで運ぶようになってきました。そうなると、コンテナを運び込める港というのは、従来の港とは異なります。貨物船は極めて喫水が深いところを通らなければならず、今までは12mだったのが、これからは15m、16mの岸壁を持たないと5万トン〜7万トンのコンテナ船は入港できないわけです。すでに造り上げたから、未来永劫にわたってこれで安心というわけにはいかない時代なのです。上海には1,000万TEUを使える港湾づくりのプロジェクトを進めているときに、私たちの国の港の埠頭は水深が15mだから大丈夫だとは言えない情勢なのです。
 飛行場についても同様で、レベルアップに向けての努力は、これからも続けなければならず、現時点でも着手していなければならないのですが、そうした文脈で公共事業を捉えようとせず、ひたすらその努力への手を抜くための議論ばかりをしていると感じられます。
 こんな有様で、私たちは過去の先人達に対して恥ずかしくないのだろうか、あるいは子供たちや孫たちに申し訳ないことをしたということにならないだろうか。そういう反省がされなければならないのではないでしょうか。

努力の痕跡を
 私たちの子供たちは、財政は厳しく、国際的地位もアジアで相対化してしまい、将来はこの国は良くならないのではないかとの疑念が持たれています。例えば、内閣府の調査によると、これからの暮らしがよくなると考えている人たちの4.2倍もの人たちが、むしろ悪くなると考えているとの結果です。努力しても今さら仕方がないような国をつくりあげてしまえば、私たちの子供たちは刹那主義に走るのです。現実に、すでにその兆候は見られます。一生懸命に国庫支出を節減して努力をするよりも、今が楽しければそれで良いという国に陥ろうとしています。
 そうではなく、みんなが力を合わせて頑張れば、国はまだまだ豊かになり、日本人はそれほどだらしない民族ではないということを、今のこの我々の世代が次の子供たちに伝えてあげなければならず、その努力の痕跡を見せていかなければならないのだと思います。

国土への挑戦
 そうした視点から理論構築するならば、日本国民は国土への挑戦が必要で、日本という国土を使うしか方法はないのです。世界中の国土を使うといっても、その場合は港から入ってきたり、空港から出て行ったりしますが、そのためにもこの国土を有効に使っていくしかありません。港や空港を、道路や鉄道で上手く有機的に結ばなければ、消費者たる国民の元に安く、より迅速なスピードで届けられるはずはありません。
 そのためには、この国土に働きかけて、安全で効率的で快適な国土を創り上げる以外にはないわけです。そうした国土への働きかけを歴史の中に置いてみて、あるいは世界との競争の中においてみて、はじめて国土学という位置づけができるのではないかと考えています。

ポテンシャルを引き出す社会資本整備
 その上で北海道を考えたときに、私たちの国の経済成長による成果が、北海道にどれだけ及ぶかが問題なのではなく、わが国の国土面積の2割を持ち、農業生産に極めて強いこの北海道が、日本全体のために役立つための道具立てができているかどうかが、重要な問題なのです。北海道が日本全体の発展に役立ちたいと考えても、現実には鉄道がない、道路が不十分、港湾も十分ではないといった現状から、十分に貢献できずにいるのではないでしょうか。それゆえに、北海道の持っているポテンシャルを、私たち日本人は使いこなせていないのではないでしょうか。そうした観点で北海道の現状を見直してみることが大切です。
 かつての四全総が提唱した均衡ある国土の発展は、経済成長の分配要因であったとするなら、これからの国土形成の考え方は、中央分権といわれるように、それぞれの地域がどれだけ主体的な意思を持って国家全体のために役立ち、そのための役割を担えるかどうかという視点が大切です。それを北海道の人は北海道で考え、東北の人は東北の強みを持って考える。そういう時代が来たのではないかと、私は考えています。