建設グラフインターネットダイジェスト
〈建設グラフ2002年11月号〉
平成14年8月25日(日) 国土交通省技監・大石久和氏基調講演録
北海道の活性化と社会資本整備を考える緊急シンポジウム
北海道のポテンシャルを引き出す社会資本整備を
まだまだ不十分な道内の高速道路ネットワーク
本日は、社会資本について、私達行政の考えを皆様にお話しすることができる、大変ありがたい機会だと思っています。ついては主催者である北海道経済4団体をはじめ、北海道知事、北海道当局の方々には、大変篤くお礼申し上げます。
- 「社会資本」と「公共投資・公共事業」
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本日のタイトルは「北海道と社会資本整備を考える」です。私としては、前座的に社会資本整備についての考え方を、基本的な線に沿って紹介したいと思います。
社会資本整備という言葉は、日頃からよく耳にします。私達の暮らしや産業、消費、その他の活動を成り立たせるために、国民が純粋な利潤動機に基づく限りは、なかなか整備ができず、また整備が進まない、もしくは整備が行われても、極めて偏ったサービスしかできないような分野を指して、我々は社会資本と呼んでいます。
例えば、河川を改修すれば、多くの人々が利益を受けるわけですが、一人の個人が私財を投げ出して、石狩川を改修するというわけにはいきません。従って、多くの皆様方が少しずつ資金を出し合って改修したり、或いは道路でもそうですが、多くの方々が知恵を出したり資金を出したりすることによって、道路を整備するしかありません。
実際にこれまでは、これが行われてきましたし、現在は、例えば道普請のようなやり方ではなく、政府や行政が代行するような形で、今日まできました。社会資本というのは、言わば国土に何らかの働きかけをすることによって、国土から受ける恵みを多くの国民と共有しよう、という趣旨に基づくものです。もちろん、私は河川改修や道路以外にも、港や、空港、鉄道など、多くのものが社会資本としてそのように位置づけられています。
一方、社会資本という表現以外に公共投資、或いは公共事業という呼び方があります。これは社会資本整備というのが、道路を整備したり、高速道路をはじめとする道路ネットワークを作り上げたり、或いは河川を改修して洪水を防いだり、或いはダムを作って水資源開発をしたりするにあたって、長い年月にわたるものの見方をするのに対して、公共事業、或いは公共投資という言い方をする場合には、単年度の予算の中で、それを行う行為としてのイメージで捉えていただければ分かりやすいと思います。
つまり、平成14年の公共投資予算は国の予算全体80数兆円のうち約8兆4千億円ですが、そうした国家予算に占める社会資本整備の大きさを論じる場合に、公共投資が大きいとか少ないというわけです。かくして公共投資や公共事業というのは、単年度で見た時の表現なのです。これが批判、批評される際に、我が国では、この公共投資がgdp約500兆円に対して、その比率が先進国の中で高すぎる、と言われるわけです。
例えば、我が国のgdpに対する社会資本投資は、約5%強くらいですが、最近のイギリス、フランス、ドイツあたりの公共投資の単年度比率は2%から3%ですから、それに対して大きい。従ってこれを縮小していくべきだ、というのが経済諮問会議などで議論されているわけです。
- 国土条件の違いを無視した社会資本整備水準の比較は無意味
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しかし、公共事業、社会資本整備というのは、国土に対して働きかける行為です。その国土の条件が同じであれば、私達の国に公共投資というのがヨーロッパの諸国に比べて多いか少ないかを論じることができます。しかし、北海道のように、年間の降雪量累計が4mを超えるようなところに大都市が存在する国は、日本しかないのです。日本より寒い国はたくさんありますから、類似のような条件はたくさん見られるものと思われるかもしれません。しかし、北海道などは雪と闘いながら365日の都市生活を送らねばならないわけです。昔のように、冬の間は冬篭りをしていれば良いという時代ではありません。365日間の活動を確保することが必要なのです。
そのため、除雪や投雪をしながら、生活や産業活動を支えていかなければならない国は、残念ながら世界の中で我が国以外にはありません。モスクワなどは、札幌よりも寒いかもしれません。しかし、モスクワに大雪が降ったとお聞きになったことがあるでしょうか。寒くて雪も降りますが、北海道のようなドカ雪が降ることはありません。
このように、国土の自然条件が同じであれば、比較は可能ですが、そうでない以上は意味がないということになります。また、私達の社会資本整備の歴史は、最も古いものでも明治以降のものです。江戸時代には、大井川には橋の一本も架かっておらず、明治以降になってはじめて、鉄道整備、港湾整備が行われ、近代的な整備を進めてきたわけで、1800年代の終わり頃からこうした近代的な整備に着手したのです。
しかし、パリという町が完全に舗装されて、車道と歩道が分離され、その道路の下にガス管が敷設されてガス灯がつき、下水道が整備されたのは1850年頃です。すでにその頃には、もうパリは舗装されていたのです。私達の住む東京、札幌という町を舗装し始めたのは、いつ頃からでしょうか。国道5号が完全に舗装されたのはいつでしょうか。こう考えると、社会資本整備の歴史も大いに違うわけです。
そうした事情を踏まえた上で、私達の国の社会資本が今後どうあるべきか、国民に対してどの程度の負担をかけるのが良いのか、よく考えなければなりません。その前提について話し、是非とも、理解を共有していただきたいと思います。
- 日本の公共事業には戦略がない
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私としては、まず最初に、「公共事業に戦略なし」ということを指摘します。我が国の公共事業、社会資本整備に対して、アメリカのジョージメーソン大学が、最近、研究結果を発表しました。その分析結果に基づき、日本の経済の低迷は公共事業の歪んだ配分に一因があるのではないか、という批評です。
公共事業政策には2つの考え方があり、一つは社会政策的な意味合いです。公共投資によって投資が行われ、その資金が循環することによって地域に金が落ちるという考え方です。もう一つは、米国のストックの生産性に着目したとの記述があります。投資が行われることによって、その地域がどれだけ活性化するのか、その地域にどれだけ新たな産業が興り、地域の方々の流動性が高まり、例えば地域の治水が行われることによって安全性が高まることにより新たな投資が生まれるような、ストックが持つ生産性を向上させる効果というものに着目して重点投資をする考え方です。
彼らの指摘によれば、我が国は社会政策的な、時代遅れの考え方に終始しているのではないかというわけです。
アメリカは過去20年間に、生産性理論に基づいて、大幅に重点配分してきました。その結果、連邦政府が負担できない部分については、州政府の負担にするなどの役割変更をしました。1980年代の連邦政府の道路投資予算は30%強。2001年のアメリカ連邦政府の公共投資予算に占める道路のウェイトは、50%を超えています。このように、この20年間に何が必要ななのか、何が高生産性部門へのインフラ投資なのかを考えた結果、このようにドラスティックに変化してきたのです。一方、私達の国では、残念ながら大きなシェアの変化は起こっていません。
- 新しい時代には新しい「制度」と新しい「装置」が必要
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次に指摘するのは、制度と装置です。我が国、或いは公共が行うもので、国民に対して何ができるか、ということです。
例えば、法律に代表されるのが制度で、私達は強力な法律があるがゆえに安心して暮らせるのです。狭い道路でも、我々が歩いていて車とすれ違うことができるのは、もし、相手が故意に人を轢いたり、飲酒運転で人を轢いたりすれば、彼らは厳罰に処せられることを知っているからです。その厳罰に処せられるからこそ、相手の運転手は人を避けて交差するわけです。だからこそ我々は安心して道を歩くことができるのです。私達の毎日の安心できる暮らしは、そうした制度に支えられています。
一方、私達の生活に欠かせない水が、水道の蛇口を捻ればいつでも出てくるのは、インフラが各家庭に装備されているからで、水を予め汲んでこなければならないとか、或いは汲みにいかなければならないという苦役は不要です。しかしながら、世界の多くの国々では、水を汲みに行くために何時間も子供達が行動しなければならないという国もあるわけです。道路により各家庭に新鮮な食料が届けられ、それが冷蔵庫に保管されているから、私達は安心して暮らすことができるわけです。そうしたインフラが、装置というわけです。
制度と装置というものは、それぞれ、時代に応じて変化していきます。例えば、各家庭に、インターネット等を通じて、何ギガという情報が短時間に送られるようになり、いまや著作権とはどういう権利なのかを考え直さなければならない時代が来ているわけです。例えば刑法にしても、商法にしても、時代の変化に応じて制度は変化してきます。同時に、装置についても変化していくわけです。
もちろん、装置という意味では、ローマ帝国の時代から、道路や上水道などが各家庭や生産活動を支えるための装置として機能してきましたが、例えば、光ファイバーというものを考えるに、つい10年前までは各家庭に光ファイバーが導入されなければならない、そうでなければ情報化時代に勝ち残ることはできないという状況は、想像もできなかったのです。これからは、各家庭に、ギガ単位の情報が送れるような光ファイバーが、或いは高度通信システムが導入されなければならないという時代になったわけです。
それを供給するためには、いろいろな装置・設備が必要です。新しい時代には、新しい制度と新しい装置が必要なのです。このときに、新しい制度は必要だが、新しい装置は不要と考えるのは、矛盾した発想です。
道路についても、昭和40年代くらいならば、舗装さえしていれば道路は整備できたものと考えられたかも知れません。しかし、今後は高速サービスや、或いは車椅子の方々が無理なく通ったり、すれ違えるような歩道サービスというようなものが用意されなければ、十分なモビリティーを確保したことにはなりません。時代の変化、国民生活の高度化、国民のニーズの変化に応じて、私達は制度も変えていかなければならないと同時に、装置も変えていかなければならないのです。
その装置が今後は不要で、既存の装置だけで対応せよと言っても、本当にそのような状況で、情報化社会を迎えることができるかというと、無理です。新しい時代には新しい制度と新しい装置が必要なのです。その意味で、社会資本は進化していくものなのです。
- 日本の国土は細長く分断されている
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その装置は、制度と違い、国土の上に成り立つわけです。ドイツと日本を等縮尺で比較すると、我が国がいかに細長く、国土全体が山脈に分断され、小さな平野が分散しているかが分かります。ドイツの場合は水系で見ても、概ね5水系くらいしかないわけですが、日本は、一級水系で見ても110の水系があります。それだけ細かい地域に分断されているわけです。山脈が多く河川も多いためです。
幾つかの例で言えば、国土の形状という問題があります。陸地だけで見ても、日本の国土は南北2,000km、東西2,000kmですが、海上も含めると、南北3,000km、東西3,000kmとなります。そして、四島に分かれており、この4つを1つにして活用する努力は、今日なお、完成していません。
確かに津軽海峡は旧来型、或いは新幹線対応型の鉄道で結ばれ、本州と四国の間も橋梁で結ばれましたが、では四国と九州は直接に結ばれたのか。また、伊勢湾や東京湾、大阪湾には、湾口に大都市がありますが、湾の入り口が使いやすいように結ばれたのかといえば、そうではありません。
脊梁山脈が存在するがゆえに、ここに、馬の背を分けるような豪雨が来ることによって、急流河川が生まれているわけです。最近、ヨーロッパでは洪水が起こり、日本の場合も1時間に150oとか、1日に1,000oという雨が降りました。ヨーロッパであれだけの大洪水を起こしている雨は、実は1週間に170oくらいしか降っていないのです。この程度なら、日本中どこでも経験する雨ですが、そうした雨が脊梁山脈を降り分け、日本は幾つもの構造線に分断されています。そして平野が極めて小さい。ドイツを見ると、1つのまとまった大平野があって使いやすく、その上に新幹線や高速道路を整備するのですから、トンネルも要らず、大きな橋梁も不要です。
さらに、地質を見ると、日本は軟弱地盤です。これは、札幌も東京も大阪も名古屋も同じで、河川が後に作り出した、極めて軟弱な大地の上に成り立っています。しかし、ベルリンなどは、数百万年前に削り取られた大地の上に成り立っています。この他、パリ、ロンドン、ベルリン、ローマ、プラハなどの他都市を見ても、軟弱地盤の上に成り立っているわけではありません。
そして、地震の問題もあります。我が国の国土に、地震エネルギーの10%が開放されています。この20年から15年間にかけて、震度4、マグニチュード4以上の地震の分布を地図に記して見ると、日本列島がほとんど埋まってしまいます。これほど大きな地震が、このような小さい国土の上で起こっているわけです。これに対して、ヨーロッパではほとんど地震がありません。とりわけ、世界で最も大きいモスクワには、有史以来、地震がないのです。
こうした現実を常識として認識した上で、これらの国の公共投資の大きさと私達の国の公共投資、地震対策を考えなければなりません。ヨーロッパの国々では、ほとんど地震対策を施さずに、構造物が建設できるわけです。この違いとハンディキャップを度外視して、gdpの大きさだけで比較することに、本当に意味があるのかどうか、是非お考えいただきたい。
そして、豪雪の問題もあります。北海道を考える上で、雪のことを無視するわけにはいきません。国土の6割が積雪寒冷地帯です。大きな人口を抱えているところで、これだけ雪が降るところは、世界にはないのです。
- 日本人の移動範囲は広がった
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にもかかわらず、最近の道路ネットワークや鉄道ネットワークの進展、或いは空港整備のお陰で、国民が1日に交流することができる地域、つまり3時間で移動できる1日交流圏を見てみますと、平成14年現在で75%以上の方々が全国の方々に1日で会うことができるという状況になっています。
東京周辺、或いは大阪周辺というのは非常に便利になったように見えます。北海道も、少しは便利になりました。しかしながら、反面では25%〜50%未満が、札幌及びその周辺に分布しているだけというのが現実です。このように、この地域に住む方々は、全国の25%の方々に会うことができるというようになりました。ゆえに流動が大きくなっているのです。多くの方々が多くの地域の方々に会えるようになったわけです。
その意味でも、これからの社会資本整備は、1つのエリアに全てを取り込むフルセット型で考えるのではなく、地域に住む方々、北海道の方々は、北海道の中だけを見ているわけでもないということです。既に、全国の動きを知った上で活動している人もいるということを、知るべきだということが分かります。
- 道路の空間性とネットワーク性を同時に考えるべき
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道路の例を、少しご紹介したいと思います。道路は、とかく自動車の走る空間としか認識しないものですが、実は、ライフラインとされる上下水道、ガス、それから地下鉄、光ファイバーといったものが、ほとんどは、道路を通じて各家庭に結ばれています。自宅で電話をかけることができるのも、道路にそうした情報ネットワークが入っているからです。阪神・淡路大震災の時に、大規模な類焼が、道路によって食い止められたように、都市の防災空間としても機能しています。また、歩行者や自転車の通路であり、都市に緑を供給している空間でもあります。
最近は、札幌も緑が増えてきました。今から20年前に植えた木が大きく成長し、会場であるこのホテルの対岸の通りを見ても、都市の緑の供給空間として道路は機能していることは理解されるでしょう。
こうした空間機能というのは、極めて大きな重要な機能であると同時に、高速道路ネットワークのように、道路サービスに応じたネットワークというものも考えなければなりません。つまり、道路というものを考える際には、その空間性とネットワーク性を同時に考える必要があると、私たちは提案をしているところです。
- 鉄道を補完する道路ネットワークが必要
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次にご紹介したいのは、北海道の鉄道の営業距離が、昭和57年と平成13年でどのように変化したかということです。4,000kmを超えていた鉄道営業距離が、現在、2,688kmになっています。それを、大正14年と比べると、当時の営業距離とほとんど変わらないネットワークになったわけです。
そうなると、これを補完するための高速交通ネットワークを、どうしても道路でカバーしなければならないことになるわけです。鉄道という公共交通から、個別で私的な移動手段に頼らざるを得なくなったわけで、そうしたエリアが増えていることを認識していただきたいのです。
- 道路ネットワークはもう十分なのか?
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こうした状況に応じて、ネットワーク整備が十分に形成されたかどうかということが、次の課題です。高速道路を採算性だけで判断することは正しいのかと、北海道知事からご指摘がありました。高速道路の総延長を、gdpの大きさで割って見ます。gdpというのは国内総生産のことですから、国民のアクティビティの総量、国民の活動量そのものと言えます。
その国民の活動量を、かなりの割合で支えているのが高速道路です。物流の約90%が高速道路で運ばれているわけですが、それを考えるに、果たしてそれが国民が十分に満足できる形で提供されているのかどうかが問題です。
日本の場合は、10億ドル当たりにつき1.6kmの高速道路が供用されています。北海道については2.96kmです。それを考えると、gdp当たり、国内、県内、或いは道内総生産当たりで見る限りは、北海道は日本の中ではかなり高いように見えるわけです。
しかし、フランス、イタリア、ドイツ、アメリカといった国と比較した場合、日本を1.00にしたときに北海道は1.85、フランスは4.15、イタリアが3.46というように、gdp当たりの総延長は諸外国の方が、遙かに大きいことが分かります。
国民のアクティビティ、活動総量を支えるための高速ネットワークとして、私達の国は、十分に提供されていないわけです。
- 北海道における面積当たりの高速道路延長は極めて低い
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しかしながら、北海道の特徴は面積当たりの延長にあります。北海道を面積当たりで見ると、日本平均が1.00とするなら、0.32です。つまり、現実には極めて低い水準にあるということなのです。
国土を有効に利用し、適正に管理するために社会資本があるのだと考えられると思うのですが、その意味で見た時に、この北海道が持っているポテンシャル、エネルギーを十分に引き出すだけのインフラというツールが提供されているのか、用意されているのかと言えば、見方にもよりますが、十分であると言い切るには甚だ心もとないと思うわけです。
- 国土に働きかけなければ我々の幸せはない
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何れにしても、社会資本整備は5年、10年以上のオーダーで見るべきものです。それを我々は、単年度の見方である公共投資、或いは公共事業予算、というモノサシで見られるわけですが、そういう見方をする時には、いろいろな注意が必要だということが、私の言わんとするところです。
私達は、公共投資、社会資本整備を行うことによって、その地域が持っているポテンシャルを十分に引き出し、それによって国土を有効に利用し、適正に管理しなければならないということを繰り返し申し上げたいと思います。
私達の活動するエリアは、日本国土をおいてありません。この日本の国土に、十分働きかける以外に、日本国民が幸せになる道はないのです。その意味で、今後とも社会資本整備は続けていきたいと思います。ご清聴ありがとうございました。
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