〈建設グラフ2000年10月号〉

特集 中部地方建設局 河川部

忘れてはならない伊勢湾台風のツメ跡

新環境時代の幕開け

▲名古屋港上空から浸水した海部郡一帯を望む

昭和34年9月26日午後6時頃に、中部地方を悪夢が襲った。和歌山県潮岬に上陸した台風15号が、時速65キロの猛スピードで北上し、午後8時には名古屋、岐阜を直撃した。勢力が全く衰えず、史上最大の被害を出したことから、伊勢湾台風と命名され、災害史上に名を残すことになった。
高潮被害の最も大きかった伊勢湾北部では、午後8時から9時にかけて、堤防が決壊した。その箇所数は三重県川越町から名古屋市にかけて、海岸堤防、河川堤防だけでも115箇所に上った。
その後、管内は海面よりも低い土地が多いため、4ヶ月にもわたって浸水し続けた地域もあった。この台風による被害は、死者が三重県で1,233人、愛知県で3,168人、岐阜県で86人で、合計4,487人に上った。(別表)
復旧にあたっては、被災地への救援物資輸送路を確保することが先決問題だったため、まず国道1号線の改修から着手された。その際、蟹江−弥富町間では、ドラム缶工法が用いられた。その後、本格的な復旧工事が急ピッチで行われ、37年にようやく完成した。
この被災で、改めて地盤の低さによる危険を思い知らされたわけだが、地盤沈下はなおも続いている。被災当時は、海抜0メートル地帯は約180平方qだったのが、昭和63年には約274平方qに拡大した。沈下状況を見ると昭和49年には、1年間に平均10p、最大20pも地盤沈下するという状況だった。
その最大の原因は、過度の地下水利用にあった。工業、農業が盛んな地域柄、これらの産業用水として、水質が良くコストの低い地下水の揚水が過剰になったことが、地盤沈下に拍車をかけたのである。このため、東海3県の揚水規制が実施され、63年に年間1pから2pへと減少し、沈静化している。とはいえ、それでも緩やかな沈下は進んでいる。
中部地方は、このように水資源の不足と地盤沈下という、2つのハンディキャップを背負っているだけに、ダム、治水、海岸、砂防などの河川・治水整備事業が非常に重要な地域だ。

中部地方建設局の治水整備事業
そこで、中部地方建設局は、「信頼感ある安全で安心できる国土の形成」を目指し、13水系15河川において、築堤や護岸などの整備による安全な地域づくりを進めている。また、ダムによって洪水時に河川流量の一部を貯留し、下流の河川流量を調節する洪水防御や、河川流量が豊かな時に放流して下流の河川流量を安定させ、都市用水や農業用水の取水を可能にするなど、複数の目的を持ったダムの建設を推進している。
頻発する土砂災害から人命・財産を守るための土砂災害対策として、砂防ダムの建設も重要だ。高潮、波浪、海岸浸食を防ぐために、堤防、離岸提などの海岸事業も、富士海岸、駿河海岸、伊勢湾西南海岸などで行っている。

▲無惨な姿を見せる揖斐川堤防
(長島町白鶏)
▲ドラム缶工法で復旧した道路
▲床上まで浸水した長島町萱町 ▲泥水に浸かった長島町
▲仮設ポンプによる排水作業
(長島町松陰)
▲最後の仮締切工事が完了し、バンザイを叫ぶ人々
(長島町白鶏)

伊勢湾台風による被害
  死者(人) 行方不明(人) 負傷者(人) 住家(戸)
流失 全半壊 浸水
三重県 1,233 48 5,688 1,339 23,172 62,655
愛知県 3,168 92 59,045 3,194 120,383 116,391
岐阜県 86 18 1,709 118 16,086 11,089
4,487 158 66,442 4,651 159,641 190,135

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