建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2018年6月号〉

【寄稿】

荒川上流部改修100年の歴史

―― さらなる100年への一歩を踏み出す

 国土交通省 関東地方整備局
 荒川上流河川事務所 所長
古市 秀徳



荒川上流改修工事平面図


 首都圏を縦断する母なる川「荒川」は、その名前のとおり過去に幾度となく荒れ、地域に洪水による被害を与えてきました。一方、荒川の水は広く農業用水や発電用水、水道用水として利用され、地域の人々に多くの恩恵を与えるとともに地域の発展を支えてきました。
 この荒川は、江戸時代初期の付替工事(利根川の東遷、荒川の西遷)と明治から昭和初期の荒川放水路の建設という2つの大きな付替事業により、今日の形がほぼ作られました。
 流域は埼玉県と東京都にまたがり、流域内人口は約970万人、武蔵水路経由で利根川上流ダム群から流入する水も含めると、荒川の水利用人口は流域外を含め約1500万人と大規模で、治水上も利水上も重要な河川です。
 下流の荒川放水路区間では、平均川幅が0.5km程度ですが、上流の日本一川幅の広い箇所は2500mに及び、他の河川には見られない25本の横堤群、河川敷に残る豊かな自然など多くの特徴を持っています。
 さらに本年は、上流部の近代的な改修が大正7年(1918年)に着手されてから、この平成30年を以て100周年を迎えます。そこで、河川改修の歴史をひもときながら、治水事業の現在やこれからの取り組みについてご紹介します。

明治43年の洪水

 明治以降、荒川最大の出水とも言われる明治43年の大洪水は、埼玉県内の平野部全域を浸水させ、東京下町を壊滅的な被害をもたらしました。この時の降水量は昭和22年のカスリーン台風より10%ほど多く、洪水規模も大きかったと推定されています。
 被害状況は、埼玉県内の堤防決壊314カ所、死傷者401人、住宅の全半壊・破損・流出18,147戸、非住宅10,547戸、農産物の被害は2400万円(現在の資産価値で1,000億円)を超えたと言われています。
 この未曾有の大水害に、明治政府は臨時治水調査会を設け、抜本的な治水計画を策定しました。計画では、荒川を上流部と下流部に分け、上流部では遊水機能を高めるとともに、低水路の屈曲を矯正して通水力を増大し、下流への流量調節に努めることが定められました。
 下流部では、明治44年に荒川放水路事業に着手し、昭和5年に竣工しました。上流部の改修は下流部の進捗をみながら、大正7年に着手されました。

荒川放水路開削

 荒川放水路は、明治43年の大洪水を契機に、東京の下町を水害から守る抜本策として、明治44年に着手し昭和5年に完成しました。これにより、東京東部・埼玉南部の低地帯は洪水から防御され、一気に市街地化が進むこととなりました。

荒川上流部改修工事

 大正7年から始まる荒川上流改修工事の施工区域は、赤羽鉄橋から大里郡武川村(深谷市川本地区)に至る62.3kmと、入間川筋の比企郡伊草村(現川島町)地先の落合橋から荒川合流部に至る5.9km、新河岸川筋の北足立郡新倉村(現和光市)から岩淵水門に至る11.1kmを対象に行われました。
 工事は河道湾曲部の著しい箇所を先行するとともに、下流部より順次上流に進める手法で行われました。
 この工事の特徴は、荒川中流部において蛇行していた河道を掘削工事により直線化を行い、主にその掘削で生じた土砂を利用して、連続した堤防の築堤工事が行われました。
 また、荒川中流部の広い河川敷には、治水効果を高めながら農地を保護するために、通常の堤防に対して直角方向に築かれた横堤を27箇所(左岸14箇所、右岸13箇所)設けました(現存は25箇所)。
 工事の状況は、掘削や築堤等の工事においては、人力による施工や蒸気を使用した機械動力による施工も行われました。現戸田市の三領排水路工事では、40t掘削機、20t蒸気機関車、3m3積土運車が使用されました。
 入間川との合流点改修では、荒川にほぼ直角に合流していた入間川に、新たに新川を開削して合流点を下流5kmの地点に引下げて、荒川と入間川の間に背割堤を設けて分離を行いました。こうして、合流点の改修は昭和29年に完成しました。

荒川上流改修工事完工

 昭和16年に、三領排水路が完成し、昭和20年に終戦を迎え、昭和22年のカスリーン台風による被害を乗り越え、昭和28年に、改修工事に伴う荒川大橋(熊谷市)の継ぎ足し工事が完成しました。
 そして、昭和29年の熊谷付近の工事終了をもって、荒川上流部改修計画は一応の完了を見ることとなりました。

入間川改修工事

 荒川の支川である入間川・越辺川・小畔川の合流部も、度々洪水に見舞われていました。このため、地域の人々の改修を願う思いから「入間川水系改修工事期成同盟会」が発足し、昭和17年に国の直轄河川へと編入されました。
 こうして、入間川・越辺川・小畔川
 三川分流工事が着手されました。落合橋の上流で合流していた入間川、越辺川、小畔川の合流点を、下流側に付け替える工事で、昭和29年に完工しました。
 これにより、入間川と越辺川の合流点が約2km下流に、越辺川と小畔川の合流点が約1km下流に移行し、三川は明確を分離して洪水がスムースに流れるようになったのです。

荒川総合開発計画

 昭和22年のカスリーン台風で発生した大洪水により、荒川のみならず東日本全域に大きな被害が発生しました。カスリーン台風による累積雨量は、秩父観測所で600mm以上、名栗観測所で500mm以上を記録し、降雨量としては戦後最大を記録したのです。
 こうした計画高水流量を上回る出水を踏まえ、昭和25年に「荒川総合開発計画」が策定され、昭和28年より開発計画の中心事業である二瀬ダムの建設が始まったのです。
 この二瀬ダムは、昭和32年10月よりダムサイトの掘削を開始、昭和33年12月に本体コンクリート打設が開始され、そして昭和35年11月には第一次湛水開始、翌年昭和36年1月本体コンクリート打設が完了し、着工以来4年余りの歳月と総事業費53億円を要して昭和36年12月完成しました。
 洪水調節とともに灌漑用水を供給し復興期の食糧増産を支えていくことになります。その規模は、高さ95m、天端幅288.5m、コンクリート打設量35万64m3の重力式アーチダムで、総貯水容量2,690万m3となります。

上流ダム群の建設

 荒川に係る上流部のダム建設については、当時の水資源公団(独立行政法人 水資源機構)による浦山ダム(平成11年完成)、滝沢ダム(平成23年完成)と、埼玉県による合角ダム(平成15年完成)が建設されました。

荒川第一調節池

荒川第一調節池

 昭和39年の新河川法施工に伴い、昭和40年に明治44年荒川改修計画及び大正7年荒川上流部改修計画を踏襲した「荒川水系工事実施基本計画」が策定されました。
 しかし、計画を上回る洪水に見舞われ、急速な都市化が進展する荒川流域において、被害が激増したことなどから、社会的な重要度を鑑み、昭和48年に計画高水流量の規模変更などの改定が行われました。
 これに基づき荒川第一調節池に着手することとなり、昭和49年に土木工事を開始、昭和55年度に荒川調節池総合開発事業として、都市用水の供給目的も含めて着手しました。
 平成9年に荒川貯水池(彩湖)が完成し、さらに第一調節池全体としては平成16年に完成しました。

近年の改修事業

 平成11年8月、荒川流域では断続的な豪雨に見舞われ、三峰観測所では総雨量497mmを記録。熊谷水位観測所、治水橋水位観測所では観測開始以来、過去最高となる水位を観測し、入間川・越辺川・小畔川の合流部において浸水被害が発生しました。
 この浸水被害を契機に浸水被害が頻発している入間川、越辺川などの沿川地域において、築堤をはじめ支川(大谷川など)との合流付近の改修を進め、平成11年の出水と同規模の洪水を安全に流下させるため「入間川・越辺川等緊急対策事業」に着手し、平成15年より入間川築堤、平成19年より越辺川上流部築堤の工事に着手しました。
 また、支川である大谷川合流部(平成17年度完成)、葛川合流部(平成21年度完成)、九十九川合流部(平成23年度完成)を改修し、合流部で洪水が逆流し浸水被害の発生を防止する水門等を整備しました。

さいたま築堤・荒川中流部改修

 平成17年より、さいたま築堤事業では、さいたま市、川越市、上尾市などの区間において、高さと幅を拡大する堤防拡幅工事を実施することにより、治水安全度の向上を図っています。
 また、その上流部の区間においても、中流部改修として堤防の幅、高さが不足している区間において、洪水を安全に流下させるために必要な堤防整備(堤防の幅、高さの確保)を実施しています。

荒川第二・三調節池の整備

荒川第二・第三調節池概要図

 荒川流域は、東京都と埼玉県にまたがり、流域内には、日本の人口の約8%が集中していおり、特に埼玉県南部及び東京都区間沿川は人口・資産が高密度に集積している地域となっています。これまで、荒川流域では前述したような様々な治水対策を進めてきたところですが、現状では平成28年に策定した「荒川水系河川整備計画」で治水目標としている戦後最大規模の洪水を安全にさせることが未確保の状況となっています。
 そのため、荒川の治水安全度向上のための抜本的な対策として、広い高水敷の活用した調節池の整備に平成30年度より着手し平成43年度を目途に整備を完了させる予定です。調節池面積約760ha(第二:約460ha,第三:約300ha)の調節池の整備により、洪水流の一部を調節池に流入させ下流へ流下するピーク流量を低減させるとともに、流量の低減により洪水時の水位上昇が抑えられ、堤防決壊等のリスクが低減されます。

今後の取り組み

 平成30年は、大正7年に着手した荒川上流部改修から100年目となる節目の年でもあり、当事務所では、沿川関係自治体や都県、関係機関と連携し、「荒川上流部改修100周年実行委員会」を組織し、荒川の治水・利水・環境等の歴史や役割を広く発信するため、沿川の市民、自治体等を対象とした記念シンポジウム等の開催、荒川調節池群などの施設見学(インフラツーリズム)を行うなど、過去100年の荒川の歴史を振りかえり未来につなげるための取り組みを展開するとともに、さいたま築堤や荒川第2・3調整池を始めとする治水施設の整備を着実に進め、さらなる100年に向け歩んで参ります。


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