建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2017年8月号〉

 インタビュー 北海道建青会 会長、釧路建親会 会長
株式会社上田組 代表取締役副社長  上田 修平 氏

東京銀座エリア最大の商業施設に「UEDAGUMI=上田組」開業
地域の観光資源や雇用を産み出す新分野事業を目指す

北海道建青会が9月に釧路市で開催

── 北海道建青会、釧路建親会会長に就任しましたね
上田 平成29年4月10日の釧路建親会の総会で会長に選任され、4月18日に北海道建青会の役員会で会長に選任されました。
── 釧路建親会の歴史は、古いのですか
上田 今年で56年目になります。
── 建親会はこの9月にこの釧路市で全道会員大会を控えていますが、どんな準備をしていますか
上田 準備委員会は昨年から発足しており、釧路建親会の2人のメンバーが卒業して、3人の新人が加わり、19人の体制となっていますが、準備するには多い人数とは言えません。
── 全道の関係者を迎える立場ですね
上田 2班に分かれて、準備に当たっています。この建親会というのは、釧路建設業協会会員で50歳以下の経営者または次期経営者で構成されています。
── 釧路管内は2市10町1村で、19人とは少ないと思われますが
上田 ちょうど世代交代の時期で、釧路建設業協会の会員という制約条件があるので、3人の新人の後に続く人員は、当てがない状態です。
── 会長のプロフィールをお聞きしたい
上田 昭和52年生まれで標津町川北小学校に通学し、中学は札幌市の中島公園にある中島中学、高校は札幌光星高校を卒業しました。そして、東北福祉大を卒業後に、札幌市東区の専門学校に1年通い、平成13年に標津町へUターンしてきました。
 大学時代はプロゴルファーを目指していたので、建設業に意識は向いていませんでした。現代は松山秀樹や宮里優作、谷原秀人が有名で、在学中は合宿で海外にも行きました。谷原氏は私より1年後輩で、私が4年の時に宮里氏が入学したという関係です。
 当時の社長も、ゴルフ好きなので、帰ってこいとは言わず、好きならばやれという感じでいました。
 しかし、大学4年の時点で成績は奮わず、その一方で同期に優れたプレイヤーがおり、限界を感じたことから、Uターンを決心したのです。
── 帰省した平成13年は、建設業もすでに厳しい状況に入っていたのでは
上田 いえ、まだ好調な状況でしたが、下降線を辿っていた時期だったのは確かで、工事発注量も減ってはきていました。
── 入社当初は様々な現場に赴任したのでは
上田 営業職で入社し、最初の1、2年は様々な現場に赴任しました。
── プロゴルファー志望から一転、異業種の建設業へ参入しましたが、業界はどのように映っていましたか
上田 ゴルフばかりやっていて、他の職業経験も無かったので、ひたすら職務を覚えることに必死でしたから、特段の感想もありませんでした。
── 華やかな世界から、ローカルな世界への転業の落差は大きいのでは
上田 家業を継ぐというのは、そういうことですから、その覚悟を持って来ました。
── それから16年が経過しましたが、どのように過ごしてきましたか
上田 親戚などから様々に指導していただいたほか、入社後の2年目に釧路建親会に入会したので、その先輩達からもご指導を頂きました。建設業は厳しい時代でしたが、あの時代があったからこそ、良い勉強ができました。
 建設業は独特で、馴染みのない世界だったので、用語も分からなかったものですが、この世界で生きることを決めた以上は、馴染むよう努力するしかないですね。厳しい指導もあり、辛いときもありましたが、逃げ出したいと思ったことはありません。
── ゴルフシューズから安全靴に履き替えて、まるで異世界に来たような感じですから、現場関係者とのコミュニケーションに苦労もあったのでは
上田 作業員には全幅の信頼を置いていましたし、父とは違う立場ですから、なるべく会話の機会を多く持つなど、とけ込むようにしていました。小学時代に遊んでもらったり、可愛がってくれた職員も何人かいましたので。
── 経験してきた現場で、印象深いところはありましたか
上田 社業は農業基盤整備促進事業の草地整備が中心で、それを知らずして上田組ではないと言うことになりますから、もちろんその現場へ赴任しましたが、個人的には建設業と草地整備の関係のイメージがなかったので、これも建設の仕事なのかと認識を新たにしました。
 草地は農家の財産なので、雑には扱えず、10軒もの農家を相手にしっかりしたものを納めなければなりません。個人資産の中で仕事をするわけで、草地の出来具合で収入も変わってきますから重要な仕事です。
北海道UEDAGUMI看板
北海道UEDAGUMI 野組長(料理長)

── 新分野事業にも取り組んでいますが、スムーズに進んでいますか
上田 新分野に着手したきっかけは、帰省して4、5年目に標津町の産業クラスターの設立に当たって入会しましたが、会社の収益は徐々に減っていき、時代も時代だけに今後はどうなっていくのか、不安な状況下でした。この限られた地域で人口も減っていき、業務が増える状況にもないから、社員を守るため元気のあるうちに、異分野の業務で収益を伸ばし、何とか雇用を確保しようという発想から始まって、今に至ります。
── 北海道の特産物を、本州に供給するアイデアは、どのように生まれたのですか
上田 産業クラスターの会員には加工業など、様々な職種の人々がおります。私は小学以降は地域を離れていたので、イクラやホタテなどの海産物が、日本有数の品質であることへの認識が無かったのですが、会員らとの会話の中で、地域として自慢できるものなのだと再認識し、せっかくだから地域の仲間とともに何かできることはないかと考え、会社としても50周年を迎え、地域に支えられたとの社長の思いもあり、恩返しの意味も含めて地域の海産物を生かした飲食店を、関東で開業することにしたのです。
── 地域の人々は驚きませんでしたか
上田 確かに、いきなり関東へ進出するのは地域でも初めてのことなので、みんな大丈夫かと驚きましたし、平成21年に埼玉県三郷市の大型商業施設「ららぽーと新三郷」内に「標津いくら丼うえだ」を開業したので、お客は本当に来てくれるのか心配でした。
── 平成29年には銀座に進出とは大胆な決断ですね
上田 社長の元からの夢で、まずは埼玉県の三郷市、入間市で二店舗を経営し、それに関連した人脈を通じて、銀座の松坂屋跡地再開発ビル内に出店の提案を頂きました。決断にはずいぶん悩みました。大丈夫なのか、やっていけるのかと。しかし、社長の夢でもあるし、最後の職業として決断したのです。
── 日本で最高の一等地である銀座で、高額でない価格設定であれば、かなり人気が出たのでは
上田 銀座6丁目の大規模商業施設「GINNZA SIX」6階のフードコート「FOOD HALL銀座大食堂」に和食店「UEDAGUMI」を開店。オープンしてまだ三ヶ月くらいですが、今のところは計画通りに順調に推移はしていますが、契約期間はまだまだ長いので、これからが勝負だと思っています。
── 食材は地元で調達できるので、供給面では不安はなく、観光客も増えているので、利用客は増えていくのでは
上田 オリンピックに向けて、海外からの客も増えていくでしょう。しかし、銀座という一等地に世界中の優良店が集まっていますから、油断はできません。
── 社員も計画を知ったときは、びっくりしたでしょう
上田 確かにこの標津町を起点に、文字通り北からの挑戦ですから、銀座にまで進出することには怒っています(笑)
── 店名も「UEDAGUMI」で、本業の社名そのものですね
上田 テナントのオーナーから、その店名で開業してほしいとの要望だったのです。我々としては、建設業という本業を隠し、それとは無関係の普通の飲食店名で始めた方が良いのではないかと考えていましたが、建設業者が地元の食材を使い、関東でチャレンジをしているという取り組みを評価して頂き、そのストーリーが面白いので、あくまでも建設会社「上田組=UEDAGUMI」として経営して欲しいというわけです。
── 建設会社が、本業の社名のままで飲食店を経営するのは、初めてのケースでしょう。そのため業界専門紙など、様々なマスコミが珍しがって報道するので、今後の展開は楽しみですね
上田 そうですね。
NZ圃場(左:樋口社長、右:上田社長)
上田組葡萄園

── 一方、葡萄の栽培にまで着手しましたね
上田 昨年の11月からニュージーランドで始め、この2月には標津町でハウスを2棟建設し、すでに苗を植えています。収穫までは3年はかかるので、状況を見ながらさらに増やすかどうかを考えます。この地域は基本的に酪農地帯ではありますが、農地はふんだんにあります。
── 将来的にはワインなどへの加工も視野に入れているのですか
上田 ワインの生産は今の所は考えておらず、あくまでも食用とする考えです。
── 標津産葡萄というネームバリューを生かして、全国展開できそうですね
上田 山梨県笛吹市の農業法人葡萄専心と技術提携し、技術指導を頂いているところですが、一房で1万から1万5千円もするような高級葡萄を生産しており、我々もそれに匹敵するようなものを、この標津町で作ろうと考えています。とはいえ、可能かどうか、まだまだ実験段階です。
 栽培は普通のビニールハウスですが、標津町は地熱が十分にあるので、将来的にはそれを生かす形にできればと思っています。
── ニュージーランドの畑にも、上田組社員が作業に当たっているのですか
上田 いえ、そちらも借りた畑を、山梨の葡萄専心に業務委託しています。
── 着手したきさっかけは
上田 これも飲食店事業の関連で、提案されたものです。
── アンテナショップは、職人のアンテナとなって、新分野進出が促進されているのですね
上田 東京はいろいろな人材があり、様々な人脈があるので。
── 銀座の「UEDAGUMI」もそうしたアンテナショップとなりますね
上田 オープンまでは頻繁に通い、今では月に1度の割合で足を運んでいます。
── 食材がスムーズに供給されることが大切ですね
上田 鮭やイクラなどは9月から11月までしか獲れないので、その時に1年分を発注し、地元では吹雪などで搬送が遅れる心配もあるので、関東で賃貸している冷凍庫に保存しておくというやり方です。
── 今後の事業展開はどのように考えていますか
上田 新分野では、牧草管理のためコントラ事業もやっています。また、太陽光発電もやりました。日本製紙の釧路工場の作業請負もやっています。リサイクル商品を製造する日本製紙から作業委託を受けて、作業台が24時間体制で回っているので、従業員を派遣しています。かれこれ10年くらいになります。
── 総合企業になりつつありますね
上田 とはいえ、本業である建設業での工事売り上げが、全体の7割から8割を占めているので、あくまでも主体は建設業です。
── 重機を独自に所有しているので、災害などの緊急時にも、独力で対処できますね
上田 実際に作業員もいるので、直営で国道や道道地方道の工事もしています。
── 守備範囲は釧路・根室全域ですが、社員構成は地域の地縁者が多いのでは
上田 官庁OBもいますが、中標津からの人もいます。以前は3:7で地元が多かったのですが、今では五分五分から6割が中標津の人です。特に若い人は中標津の人が多いのです。学校関係や、社員の夫人の希望でというケースもあります。地元よりも生活しやすいということもあるのでしょう。
 土木ですから、人間関係において信頼感を失ったのでは、工事受注も出来なくなりますから、そうした関係は大事にしていたと思っています。
── 現在の年齢はいくつになりますか
上田 今年で四十になります。
── 若くして多彩な事業に携わり、全道の建青会での交流も実りあるものになるでしょう
上田 同世代の経営者らと会話の機会も増えており、良い刺激を受けたり、良い情報を得たり、良い勉強をさせてもらっています。
── ゴルフだけは、教える立場ですね
上田 お披露目できるところが無いので、無理ですね(笑)
── ゴルフ場は中標津にあるのですか
上田 今年から太陽光発電を始めたので、残念ながらゴルフ場ではなくなりました。近辺では、弟子屈町、根室市、厚岸町、釧路市にしかありません。
── 業界内でゴルフ大会などは行わないのですか
上田 建親会のコンペはありますが、全道規模のものはありません。
── せっかくテクニックを指導する良い機会ですが、ハンディはどれくらいですか
上田 ハンディはゼロです。
── プレーはどのくらい行いますか
上田 年に40回くらい、コンペに参加します。
── 冬場は海外でもプレーするのですか
上田 いえ、そこまではしません。
除雪1
除雪2

── 災害時の社内体制は
上田 災害時には、全社員と連絡が取れるような組織体制を作っています。冬の暴風雪の対応もできます。以前には3ヶ月間、4週、5週も続けて毎週のように暴風雪となり、社員もみな寝ずに働き続けました。
── 管内の道路は、一直線で長いですね
上田 直線道路で吹雪になると、ホワイトアウトで目の前も見えなくなります。
── その状態で除雪となると、熟練者でないと難しいのでは
上田 できないですが、あれから対処も変わってきており、吹雪が治まらないと出られないですね。なので、除雪車にもGPSの導入を研究しているようで、その方向に進めば、より安全だと思いますが、実用化にはまだまだ時間がかかるかも知れません。
草地改良
社有重機

── 牧草地に道路があるので、風雪となると識別できないですね。しかし、除雪をしなければ牛の搾乳に影響するのでは
上田 そうです。朝に搾乳して、出荷しなければならず、貯蔵タンクも少ないので、4、5日も除雪できなければ、廃棄しなければなりません。搾乳ができなければ、牛が病気にもなるので、本来は毎日除雪にでなければならないのです。そのため、酪農家を気遣いながら対応しています。
 吹雪になるとの予報があれば、社内で周知徹底しています。
── 今後の会社経営のビジョンとしては、地域貢献も含めてどのように描いていますか
上田 地域貢献の意味では、2年に1度の冬祭りを開催しています。すでに16回になり、30年以上も続けてきました。子供達に喜んでもらえるようにというコンセプトで、雪像や滑り台を作ったり、花火大会をしたりしています。
── 管内には標津川もありますが、河川ボランティアという活動はありますか
上田 河川が汚れないように、環境保護の活動はあります。当社に限らず町民自体が、そうした意識を持っています。
── 本業として力を入れることは
上田 社員あっての会社なので、社員教育には力を入れ、4月や5月の講習などに積極的に参加させる一方、逆に講師を招いて講習をしてもいます。
── 採用は毎年、行っていますか
上田 昨年と今年は採用していますが、それ以前は長く空いていました。
── 地元は普通高校はありますが、工業高校は
上田 普通高校はありますが、工業高校は釧路工業高校しかありません。土木科は1クラスだけで40人しかいません。うち20人くらいは就職、20人は進学です。
 しかし、20人が全員、土木・建設業に就職するとは限らないので、採用対象は実質的に10人くらいでしょう。しかも、標津で就職するわけでなく、札幌へ出てしまうでしょう。
 だから、今年採用したのも、普通科の標津高校の卒業生です。
── 普通科卒の新人を、建設業として育成するには、かなりの時間を要するでしょう
上田 そうですが、そうも言っていられません。しかし、50代の社員で普通科卒ながら、優秀な人もいますから、本人のやる気と会社のサポートがあれば、普通科であっても問題なく、工業高卒者だけが一番とは思っていないのです。
── しかし、リスクもあるのでは
上田 リスクもありますが、工業高卒者ばかりを当てにして、誰も来ないよりは、普通科からも採用します。工業高からの志望があれば、もちろん採用しますが、地方も人手不足、担い手不足です。
── 12月の全国大会でも、そうした問題が話題になるのでは
上田 そうですね、最近の全道大会でも、担い手不足の話題が多く、いかに担い手不足を対処するか、いかに新卒を確保するか、いかに建設業に興味を持ってもらうか、いかに建設業をPRするかといった話題が多いですね。やはり人材補給が課題ですね。  だから、普通科かなと思うのです。地域によっては、高校もないところもありますから。
逆に、札幌などは普通科高卒者が建設業を目指しても、ライバルもたくさんいて相手にされないのではないかと思います。
 標津高校の生徒達は、意外にも地元志向の人が多いのです。ただ、地元では仕事場が少なく、選べないという側面もあるのです。
── 標津の魅力のアピールが必要ですね
上田 知床の遺産が近く、自然が残っているというところでしょう。
── 最近はスローライフが見直されていますからね
上田 会社も厳しい時代ではないとはいえ、楽観できる時代でもないと思っていますが、従業員がたくさんいるので、まずは雇用を守ることです。それはまた地域を守ることですから、無理のない範囲であらゆることにチャレンジして、この標津町を守っていきたいと思っています。本業を守りつつも、今度は地域に根ざした新分野事業を目指します。

 株式会社上田組 代表取締役副社長
上田 修平
 昭和52年9月16日生
 平成13年 株式会社上田組 入社
 平成22年 同 専務取締役 就任
 平成27年 同 代表取締役副社長 就任
 平成29年 北海道建青会・釧路建親会 会長 就任
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