建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2013年12月号〉

道東の流通拠点港「釧路港」の魅力を発信

――「釧路大漁どんぱく」連絡協議会から長年の協力に感謝状

 釧根地域港湾・漁港技術研究会 会長
 株式会社 濱谷建設 代表取締役社長
 濱谷 美津夫
 はまや・みつお
 昭和36年9月15日生 釧路市出身
 昭和59年3月  東海大学海洋学部 卒業
 昭和59年4月  村角建設株式会社 入社
 昭和63年4月  同社 退社
 昭和63年5月  株式会社濱谷建設 入社
 平成 3年6月  同社 常務取締役 就任
 平成19年1月  同社 代表取締役副社長 就任  
 平成25年2月  同社 代表取締役社長 就任
 
─― 会社創業の経緯からお聞きします
濱谷 先代の濱谷和雄(父)は、函館の富士サルベージに親戚が居たので、その関係で潜水士として勤務していました。その後、北海道開発局職員の知人が、国直轄工事のために潜水士を募集していたので、開発局に入局し、そして根室港の現場に入り、そこから釧路へ転勤しました。そのまま勤務を続けても良かったのですが、昭和49年に独立しました。
─― 独立した当時は、社長はまだ10歳くらいでしたか
濱谷 そうです。先代社長は独立後、釧路管内での現場にはあまり従事せず、大阪の建設会社と親交があったので、四国の伊方原発に行き、その後にはクウェートへ行ったのです。
 その時は、内戦前のことだったので海外事業で資金を蓄え、クレー船を入手し、潜水だけでなく業務を拡大し、技術者も採用して規模を拡充していきました。
 私は昭和59年に大学卒業後、マリコンに入社し昭和63年に釧路に帰ってきました。当時の会社は国の工事を元請けできる規模になっていました。その後、150tクレーンを建造して事業を拡大し、平成10年釧路港西港第2期工事に合わせて400t起重機船を建造し、釧路港西港の工事を行ったことが会社を成長させたと思っています。
─― 釧路港の東港から西港までの間は今とは様子が違っていたのでは
濱谷 私が戻ってきた時には、西港整備は始まっていました。第4ふ頭なども作り始めており、当社もその現場には従事し、ゼネコンも進出し工事を行っていました。
 私も大卒後の4年間は違う会社に勤めていましたが、その間に釧路港にはゼネコンもマリコンも現場に入っていました。
 当社はその下請も行いましたが、管理・施工においては独自の蓄積があるので、それを学んだことが会社の発展に大きく寄与したと思います。
釧路港東港区 釧路川河口とフィッシャーマンズワーフMOO
─― 釧路港湾整備で印象深いエピソードはありますか
濱谷 本州では港湾工事でもマリコンでない業者が、海上で矢板を打っていました。海上工事は陸上と違い、大型機材を使用するので、いろいろとアドヴァイスしたことはありました。私たちは海上工事業者として、それなりの評価も受けていますが、そればかりでなく私たちにも不足している技術はあるので、教えてもらう部分もありました。
─― 羽田空港D滑走路の施工に参加したのも、技術力への評価では
濱谷 当社も釧路港でゼネコン・マリコンの下請を行っていましたので接点があり、羽田空港工事に招請されました。当社の事情も400t起重機船に合う仕事があまりなく、その400t起重機船に見合う工事を模索していた中で、声がかかったので非常にタイミング良く参加することが出来ました。当社の400t起重機船は斜杭も打てる構造となっていますので、羽田空港工事の後、新潟の工事も行うことが出来ました。
─― 全国規模で展開しているのですね
濱谷 構造物の杭打ちなどはけっこう経験してきているので、それが評価されているようです。船員だけでなく鳶も同行し、船体操作は当社スタッフが担当します。
─― 釧根地域港湾・漁港技術研究会の会長に新任されましたが、その概要は
濱谷 NPOの事業計画は災害発生時の支援活動、国際バルク戦略港湾整備に伴う事業実施の研究、CALSや積算システムの研究、新入札方式の意見交換会、地域貢献です。その地域貢献の一環として続けている釧路港船漕ぎ大会などを主催しています。船漕ぎ大会というのは、8人が一組で、うち6人が漕ぎ手となり5隻が100mを往復します。年々盛会になり市民に喜ばれています。
─― 地域社会に貢献する地場建設業者として、今後の街づくりにはどんな展望や問題意識を持っていますか
濱谷 地元建設業の未来は地元の発展なくして成立しないというのが先代の口癖でした。
 その一環として、当社の庭にある当社の庭にあるオンコ(一位)の中から選りすぐったオンコを幣舞橋ロータリーに市民のランドマーク、または憩いの木になるよう願いを込めて贈呈しました。なお、当社の庭のオンコは園芸をやめた人々からの寄付によるものです。
幣舞橋ロータリーのオンコの木
─― 今年に社長就任しましたが、今後の事業展開をどのように考えていますか
濱谷 基本は現状をそれなりに維持し、今後は平成23年に釧路港が国際バルク戦略港湾選定(穀物)を受けた話題性もありますが、その後もバルク整備が続くというわけではないので、釧路の発展に対して、不断の努力が必要と考えています。現状を維持する上では、作業船も老朽化し、船員も代替わりするので、専門職人の育成も考えなければなりません。作業船も、メンテナンスをするのか、更新するのかも問題となります。大型船を小型化するか、その規模を維持するのかという選択もあります。
 また、横浜で営業所を出しましたが、何の展望もなく営業所を開設したわけではなく、ゼネコンやマリコンからの招請もあったので、今後の整備計画に合わせて会社の規模を維持していくために展開したものです。
─― これまで、公共事業の削減から一転して、国土強靱化に向かいますが、そのためにも会社としての貢献が求められますね
濱谷 今回の本州に対する展開は国土強靭化に対するマリコン・ゼネコンが、これらの対応しようとする姿勢に合わせて当社もそれらに呼応したものになっています。
─― 7年後には東京湾岸地域で五輪が開催されるので、インフラ需要も見込まれるのでは
濱谷 それに合わせたインフラ整備も出てくると思います。これらと国土強靭化に合わせた整備を考えて、本州に対する展開、設備投資を含めて必要になると思います。
 それらと地元の釧路港のバルクに対応した整備促進を考えていきたいと思っています。
─― 9月7日「釧路大漁どんぱく」連絡協議会から長年運営に協力した功績に感謝状と盾が贈られたそうですね
濱谷 「釧路大漁どんぱく」花火大会は、道内最大級の3尺玉を当社の船の上で打ち上げています。直径が600mの大輪で、3尺玉は船で運搬しないと、セットできないのです。代替船があればそれを利用することもできますが、それが釧路でできるのは当社しかありません。今年はちょうどクルーズ客船(日本クルーズ客船)「ぱしふぃっく びーなす」が当日入港し、船上花火を楽しんでいたそうです。
 クルーズ船も来年は22隻くらいが入港する予定ですが、東港区北地区の耐震旅客船岸壁も水深は9m(延長310m)ですから、最大規模の船舶は入港できません。「ぱしふぃっくびーなす」くらいの規模が限界なので、それ以上の場合は西港を利用することになります。
 釧路港湾整備計画では、現在、西港がメインで着手されていますが、防災を考えた場合に、東港区の整備をどうするか、管理を委託されている釧路市の考え方次第ですね。
 最近は海上自衛隊が利用するようになってきましたが、食糧補給施設が不足しており、またクルーズ船が入港するようになった場合の安全面などの問題があります。
 道東を基地として海上訓練を受け入れる意識は、漁協も自治体もともに出来ていますが、防災だけでなく、さらに防衛面でも必要で、そのための整備も求められるでしょう。釧路の地政学を考えると、そうした機能があっても不思議ではないでしょう。また、これから北極海航路が使われ始めると主要ルートの寄港地になるのでは、と期待しています。
 観光面で見ても、それなりに人や船は入ってきますが、滞在型でなく通過型となっています。滞在型の玄関口であっても良いのですが、その取組を考える必要があると思います。その例として、おもてなしのために様々な工夫はされているものの、食事などは船内でもできます。しかし、郷土品などの特産など、一次産品は道内のGDP18兆円の中で釧路は7千億円に過ぎず、地場産品として生かされていません。これを何とか売り込もうと腐心はしているようですが、あまり噛み合っていないようです。
ぱしふぃっくびいなす(全景、2011年撮影)
[写真提供:日本クルーズ客船]
クルーズ客船からの
「釧路大漁どんぱく花火大会」の写真(2013年撮影)」
[写真提供:日本クルーズ客船]
─― クルーズ船の入港で、一億円の波及効果が試算されています
濱谷 そういう効果をもう少しうまく生かせないものかと、もどかしさを感じますね。大型外航クルーズ船の入港による経済波及に期待しています。また、カジノ誘致の話しも進められていますが、五輪開催に関連する東京主体の動きだと思われます。ただ、東京を拠点にいくつかに誘致するという考え方が源で、アメリカなども先住民保護の一環として施行された経緯もあるので、北海道も阿寒などの先住民保護対策の意味合いで実現されても良いと思います。つまりカジノ単体の話しではなく、政策全体の一部としてカジノが提唱されているわけです。
─― 東日本大震災の復旧に当たっては、出動要請があったのでは
濱谷 日本埋立浚渫協会関東支部から、地震発生後の3日目に出動要請の打診がありました。直ぐに出動を決定し、緊急支援物資やユンボなどの機材を搭載し、釧路市役所にも搬送する物資がないかを問い合わせたら、大量の水を委託されて釧路港を出港し、苫小牧港で待機していましたが、東北地方の作業船で啓開作業が出来るとの事で、釧路市等より委託された物資を室蘭港で広域防災フロート(浮体式防災施設・全長80m・幅24m・高さ4m)に乗せ替えて釧路に帰港しようとしたら、全国漁港港湾協会から漁港の復旧は全く手つかずとの連絡があり、出動要請されたので、宮古に向かうことになりました。
 八戸を経由して宮古まで行き、田野畑地区の復旧に当たりました。船員は船内に泊まり込みで、衛星携帯電話は搭載しているので連絡は取れますが、現地は夜には完全な暗闇で、余震や津波の心配もあるので、毎度宮古に戻らなければならない状況でした。さすがに精神的に負担も大きく、かえって現地の住民の方々から心配されたものでした。多くの人命が失われた現地の作業で、ノイローゼになった作業員もおり、そうした過酷な作業でした。私たちも念珠を作って、それを持たせて船員を送り出したものです。そうした現状はテレビでも報道されませんが、復旧作業は困難な作業でしたが、無事終了することが出来ました。
 今年になっても着手されないところもあり、その原因は資材不足が一因であることから、今年は石材などを根室、釧路、厚岸などからかき集めてガット船で週に二回くらい搬入していました。
─― 平成26年で創業40周年ですね
濱谷 今年、社長に就任したのは、前社長が他界したからというわけではなく、今年就任することは以前から決まってはいたのです。偶然に、そういうタイミングになっただけのことで、もう少し先代に会長として見てもらいたかったとは思います。
 先代は海外も経験していたので、海外投資にも抵抗はありませんでした。地元は地元として大切ですが、業務上、本州に行こうとどこに行こうと、それほど違和感はないのが社風。
 また、地元の文化育成に対する協力は惜しみません。釧路船漕ぎ大会も含め、7月中からの厳島神社から9月まで釧路管内のイベントが続きますが、どれもスポットに限定されているため、各イベントの注目度は高まって、管外からの来場者もいるので、そこだけで完結するのではなく、もう少し広がり、連携があればいいと思うのです。
 例えば、釧路船漕ぎ大会は釧路の港まつりと同日に開催しており、開催場所である釧路川の自然運河の素晴らしさをアピールできると思います。運営においては実行委員会を組織していますが、来年は10周年になりますので、もう一工夫が必要と感じます。船漕ぎ大会自体は、港まつりの一部ではなく、単に同時に開催しているために来場者が分散されるので、時間帯をずらしたりしています。
 出場者も道外チームを呼び込んだり、海外の領事館からも問い合わせを受けていますので、最終的には全道大会(国際大会)にまで拡大したいと話しています。同じような大会はすでに各地でも開催されていますが、大会要領が統一されていないのが現状です。全道各港が連携して全道大会が開催されると、景気・活気・元気の輪が全道に広がると思います。
釧路船漕ぎ大会の様子
─― 会社経営における今後の課題は
濱谷 社員も育ってきていますが、新入社員を採用してこなかったので、そろそろプロパーとなる人材を育成・確保しなければならず、それが今後の課題です。
─― NHK連続テレビ小説「あまちゃん」というテレビドラマは潜水夫が職業のストーリーですが、こうした業界も少しずつ理解が広まっているのでは
濱谷 潜水夫だけとはいえませんが、注目はされてきていると思います。しかし、技術者がみな高齢化して、船長などの職に就任しているので、潜水作業は協力業者に委託しています。技術職員については、後継者となる若い人がいないというのが実態です。
 そうした技術職員に関しては大学の土木専門課程も高専の土木専門課程も少なくなって、その志望者も減っている状況で、それを志望した人でも卒業後に土木業界を目指すのかといえば、そうでもありません。
 インフラ整備は、今後、耐震・改修、さらには維持管理のためには、何十年か先まで考えなければなりませんが、その人材確保が問題になってきています。今後も人材募集はしていこうとは思っていますが、どのように募集し、どのように育成するのかを考えなければならなくなっています。
 当社でも高校生のインターンシップなどは受け入れていますが、ただ来ているという感じで、あまり熱意が感じられません。もっとも、まだ2年生くらいでは、就職も現実味はなく、3年生にしてもまだ明確な意思は持っていないですね。
 中小建設業の人材確保に向けて土木教室を開催するところも出てきています。そうしたことを含めて真剣に考えていかなければ、会社だけでなく土木業界を維持していくのも大変だと思います。
2013年港見学会
濱谷建設社屋
 
─― 釧路市は18万人の人口ですが、その中で就業率を確保しなければなりませんね
濱谷 人口が減少するのは目に見えているので、どのように人材を維持していくのかが問題で、20年後を見通した話しになりますが、どうすべきなのかが見えづらくなっています。
 だから、現時点で20歳前後の若手は何人かは採用しておかなければならないと考えています。とはいえ、海上の特殊作業ですから、何も知らない素人を採用するわけにはいきません。ある程度の経験者を推薦されて面接する形になるので、他の業界と比べると難しいですね。
 そこで、当社はそれらを知ってもらうための見学会なども実施しています。家族で参加してもらって、海から陸地を見る機会はあまりないでしょうから、そういう体験を通して、工事を理解してもらう努力をしてます。
─― 大きな重機などに触れた子供たちは喜ぶでしょう
濱谷 公募するとともに、いろいろなつてで人を集めています。学校のPTAや後援会などにも声をかけています。
─― 最後に付け加えることは
濱谷 会社だけでなく北海道全体が、本州と比べて格差があります。そもそも大規模プロジェクトがない地域ですが、道東は地球温暖化の避暑地としての地理的優位性が生かせるような施策が出てくる環境があれば良いと思います。現状では、なかなかそれを生かし切れていない状況にあります。
 釧路港も東京港との定期便の就航率はそれなりですから、道東の流通拠点港として重要な役割を果たしていくための港づくりに微力ですが、努力しようと思っています。



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