建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2013年4月号〉

創業50周年「共生と創造」を日常の中で実現
モデルハウス「シュガーホーム室蘭」をオープン

── 25年の社長業で、若い現場技術者の「一生の宝物」の体験談に感動


室蘭市建設協会 会長
室蘭商工会議所 副会頭
室蘭登別防犯協会連合会 会長
東海建設株式会社 代表取締役

中田 孔幸 氏


──創業50周年を迎えましたが、社長は就任25周年ですから、社業の半分は経営者として携わったことになりますね
中田 社長就任したのは昭和63年ですから、そうなりますね。前任者の馬淵松雄社長が入院し、私が急遽、交代して就任することになりました。
──創業は昭和38年9月ですが、社長の出生はいつ頃ですか
中田 私は昭和27年に生まれ、北海学園大で建築を学び、50年の卒後に旧国鉄に就職しました。半年間は仙台で研修を受け、翌年から札幌鉄道管理局に配属され、建築設計業務を担当しました。後に異動で室蘭と札幌を2往復しましたが、2度目の室蘭勤務で管理職となりました。そこで東海建設創業者の佐々木金吾氏の娘さんと知り合って結婚しました。61年に旧国鉄を退職し家業に就いたのです。国鉄が民営化されてJRに変わる前年に退職したことになります。
──入社当初の業務は
中田 専務として就任し、営業の修行をさせられました。当社は創業以来、公共事業における土木工事を主体に、信頼と実績を積み重ねてきました。当時は建築工事はなく、営業も土木専門です。その後、平成になってから建築部門を新設して、建築分野にも参入しました。
──入社2年後に早々と社長就任ということになりましたね
中田 先代が51年に他界したので、後任には馬淵松雄氏が引き継ぎ、そして私にバトンタッチしたのです。国鉄在職時は設計や現場管理しか経験していなかったのが、入社したらいきなり営業を担当させられ、前社長に引率されていろいろと教わりました。
──若くしての代表取締役はプレッシャーが高かったのでは
中田 当初は胃が痛くて、よく胃カメラを飲んだものです。全社員が私よりも先輩ですから、いろいろと大変でした。私を理解してもらうにも時間はかかりました。
 20年前に、創立30周年を節目に、当時論議されていた建設業のイメージアップに沿って、CI検討委員会を組織し、1年くらいかけて企業理念やスローガンを検討し、社章マークを変更したり、パンフレットを作成しました。建設業だから出来る「共生と創造」を日常の中で実現させています。
施工実績(室蘭入江地区広域センタービル)
──その頃は新人も積極的に採用していたのですか
中田 当時はバブル期で、建設業界への求職者がいなかったこともあって、10年近く新人採用は出来ませんでした。そこで役所とともに業界を挙げて、3K、6Kと言われた建設業界のマイナスイメージを払拭するためにCIに取り組んだり、建設業を理解してもらうために、高校生をはじめ学生対象の現場見学会を開催したりしていた時期でした。
 最近もこの業界への志望者は減ってきています。建設業のようなきつい職業よりも、IT関連を希望する若者が増えている上に、少子化の影響もあります。最も大きな要因は、建設業が斜陽産業というイメージが強いからではないかと思います。高等学校でも、土木、建築課程に進学する生徒は減っているのが現実で、卒業したらまるで異なる職種を志望する生徒も多いとのことです。
 もう少し景気が上向いて、それが持続すればまた建設業従事者の待遇も改善されれば、イメージもまた変わってくるのではないかと思います。
──今後の展望について、確信はありますか
中田 政府は必要な公共事業は着手するとの方針なので、私たちの希望がかないそうな予感はありますが、暮らしに最低限必要なインフラ整備などを持続してもらいたいものです。それによって、私たちの景況マインドが上向きに持続できれば、斜陽産業から脱却できるものと思います。
施工実績(胆振海岸保全工事の内白老人工リーフ建設工事)
──災害時の社内の危機管理体制は万全ですか
中田 冬は除雪、通年で河川維持の北海道の業務をしており、パトロールを含めて担当しています。また、市の除雪業務も請け負っているので、地域のインフラにおける危険箇所も把握しており、緊急体制に備える意識はみな持っています。
── 一方、室蘭市は長らく造船不況で、鉄冷えなどと評されてきましたが、商工会議所副会頭として、今後の可能性をどう展望していますか
中田 道内の都市の基幹産業は一次産業の街が多く見受けられますが、室蘭市はものづくり企業が多く、雰囲気が違っています。近年は環境産業がクローズアップされてきています。市内には日本製鋼所のようにクリーンな風力発電の風車も製造していたりします。そして室蘭工業大学があり、地元企業と共同研究を行っているので、今後の新産業を創造するための貢献が期待され、ビジネスチャンスが生まれる可能性があります。
 日本製鋼所や新日鉄住金など、市内に立地している企業に関連している企業は多く、それに付随する産業も新たに形成されてきているので、ものづくりという分野では大きな可能性を持っていると思います。
 建設業に関しては、ようやく春が来そうな状況で、何年かはこれが続いてくれるものと思います。それによって、地元建設業者が体力をつけてくれれば良いと思います。
──市内の交通安全協会長や室蘭・登別の防犯協会長なども兼務していますが、かなり長く在任しているのですか
中田 まだ2期目なので、就任して3年か4年くらいです。室蘭市暴力追放運動推進協議会長は、3期目です。
──公職が多いと煩雑なことも多いでしょうが、やっていて良かったと思えることもあるのでは
中田 何よりも自分の意識がまともになってきたかな、と思えることです(笑)。防犯活動や暴力追放活動に携わる人は、町会の関係者やリタイアした人など、普段はあまり話す機会のない人が多いのですが、そうした人々とネットワークができて、何かあった時にはお互いに気楽に相談できるような人間関係が出来たのは、財産だと思います。防犯や暴力追放運動は、警察とともに行う活動ですから、警察との連携もいろいろとあります。
施工実績(白老海岸災害助成工事6工区(繰越))
──今年で創業50年という大きな節目を迎えましたが、その半分は経営者の立場で歩みを見て、感慨はありますか
中田 ここまでよく保ったなと思います。入社当時はサラリーマンしか経験していなかったので、セミナーや勉強会に参加して勉強したものですが、かつて会社の寿命30年説というものがありました。
 ところが、社長に就任してわずかなうちに30周年を迎えました。その後、バブル景気もありましたが、それが弾けてからはいまだに「失われた20年」などと言われます。毎年、仕事が減って利益も減って、この先どうなるのかと、眠れない日もありました。
 それでもあっという間でしたね。今でも無我夢中で、今までゆっくり考えたこともないと反省しています。もっとじっくりと会社の将来を含めて、今後のことを考える時間を作らなければならないと思っています。
──その20年の間には、新分野を模索したり、建築分野に進出するなど、いろいろなことに着手しましたね
中田 平成12年に介護保険制度が創設されましたが、その前年から介護福祉事業の部門を新設する方針を決めました。
 そして、介護用品のレンタルや物販に着手しました。その他にも訪問介護という選択肢もありましたが、直接高齢者に接するにも、私たちは本業が建設業で素人ですから、とりあえずレンタル・物販から始めました。これに合わせて、介護保険による住宅改修、介護保険によるリフォームなどを視野に入れていました。
 ところが、保険の適用限度額やその他の様々な制約があり、なかなかうまくいきません。
──住宅に手すりやスロープは必要なかった人が、高齢になってから必要になりますね
中田 確かに、介護用の住設が欲しいという人もいるのです。そうした顧客を、今のところは確保できてはいます。
「シュガーホーム室蘭」のPRチラシ
──この1月には登別に“豊かな未来と自然・地域社会の共生”をめざしたモデルハウス「シュガーホーム室蘭」を開設しましたね
中田 盛岡のハウスメーカーの指導を仰いで、昨年から始めました。建築家とのコラボレーションでハイグレードのデザイナーズ住宅も着手しましたが、基本はリーズナブルな住宅供給に比重を置いてきました。
──今後は地元に密着したハウスメーカーを目指していくのですね
中田 建設業というのは、基本的に地域と密着した形でいかないとうまく行かないでしょう。災害も除雪も、住宅に関してもそうです。地域の安全・安心を守るのはやはり建設業で、それが本来の業界のあり方ではないかと思います。
──シュガーホームの事業展開については、今後も期待が持てそうですね
中田 シュガーホームは、技術提携という形ですが、今後はそこに自分たちなりの味付け、アレンジをして独自のブランドを確立していきたいと思っています。
 例えば、新築の時に、介護を見据えた提案をしていくことも出来ます。何しろ住宅を持つのは、元気のある若い人ですから、老後のことまではなかなか想定していないものです。
──今年の新規採用の予定はありますか
中田 昨年までは土木技術者として、新卒者を一人ずつ採用してきましたが、今年度は採用予定はありません。ただ、即戦力となる経験者の採用を考えています。
──今後の会社経営に向けての考えは
中田 基本的には建設会社ですから、土木と建築は業務の2本柱ですが、土木を基盤にして10年前からコンクリート構造物の維持補修などの環境事業にも取り組んでいます。建築では、当初は公共事業も含めてハコモノが多かったのですが、今後はもっとエンドユーザーに近い住宅部門を進めていきたいと思います。そして東海商事として携わっている福祉事業を、もう少し充実させていきたいと思います。
 室蘭市内には大病院が三つもあり、これらが連携・協力しているので、医療面では道内でも充実した地域と言えます。したがって、そこに来る人々に関連した施設がもっと必要なのです。
──25年の社長業の中で楽しかったことは
中田 かつて土木の新入社員が、室蘭土現の発注した伊達トンネル工事の現場を担当することになりました。当社はJVのサブメンバーでした。自分が宿直当番だった日に開通したので、本人はいたく感動し「この仕事に就いて良かった」と話していました。私自身は建築工事の完成の感動はいろいろと経験してきていますが、土木において、若い人が「一生の宝物だ」と喜ぶ話を聞いて、本当に良かったと思いました。

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■社長経歴
中田 孔幸 なかた・よしゆき
昭和27年10月28日生(60歳)
昭和50年3月 北海学園大学工学部 卒業
昭和50年4月 日本国有鉄道 入社
昭和61年4月 東海建設(株)入社、専務取締役
昭和63年6月 同社代表取締役社長(現在)
昭和63年6月 東海商事(株)専務取締役(現在)
平成4年1月  社団法人室蘭青年会議所理事長
平成19年2月 北海道建築士会室蘭支部幹事(現在)
平成19年5月 室蘭市建設業協会会長(現在)
平成19年5月 室蘭市暴力追放運動椎進協議会会長(現存)
平成19年11月 室蘭工業大学拡充期成会理事(現在)
平成21年7月 室蘭市産業教育センター会長(現在)
平成22年5月 室蘭登別防犯協会連合会会長(現在)
平成22年5月 社団法人室蘭交通安全協会会長(現在)

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