建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2012年12月号〉

南極観測船(2代目しらせ)の船長も1/50縮尺模型を見て感激

── 日本最北端の建設会社の模型製作工場で
   伝説の名車「HondaCR110(カブレーシング)」が誕生

株式会社 早坂組 代表取締役
 早坂 祐二 氏


──早坂組の起こりは昭和27年ですから、今年で60周年で、社長が2代目ですね
早坂 そうです。私が昭和32年に生まれた時は、すでに稚内のこの場所で会社は稼動しており、職人さん達と一緒に暮らしているような状況でした。最初は建築業から始まったので、とにかく作業員が多かった印象が残っています。当時、手がけた建築物は、今も残っています。
──強風や寒冷、積雪などに晒される日本最北端の建物は、やはり施工技術は特殊ですか
早坂 極端な特色はありませんが、基礎に関しては、当社で施工したものは、しっかりしているとの評価を頂いていました。実際に築30〜40年が経過して、更新時期を迎えた建築物を解体したところ、基礎が頑丈でなかなか破壊できないのです。何しろ、その当時は生コンメーカーから仕入れて施工する時代ではなく、現場で自分たちで生コンを練り、柔らかければセメントを追加して自作していた時代ですから、頑丈なものが出来上がっていたのです。
──幾多の現場の中で、印象に残っている工事は、ありますか
早坂 私は土木が担当で、昭和50年代に施工した浜頓別町の農道ですね。何もないところに初めて道路を施工し、いまでは農業地帯へと発展しました。
 父親が病に伏したので、私は51年に日本大学を中退してUターンし、入社することにしましたが、幼少の頃から現場や設計図を見てきたので、平面図や立面図ばかりでなく、施工図も描けるようになっていました。
 そのお陰で模型の設計図を作るにも抵抗がなかったのです。職員の手を借りる必要はありますが、私と同様に職員も模型作りに抵抗なく入ることが出来ました。私は、小さい頃から模型はよく作っていたので、その経験が生かされました。それが平成21年に稚内市青少年科学館の公募発注した南極観測船「2代目しらせ」の模型制作の実績に結びついたのです。稚内は南極昭和基地で活躍した樺太犬・タロとジロの出身地で、初代南極観測船は「宗谷」と名付けられ、同科学館では南極関連の資料が数多く展示されています。
 しらせの50分の1の模型を作るということで、実物を見に行き写真を撮影したり、実物の設計図を見ながら、改めて模型用の図面を作成しました。搭載ヘリは大型機2機と小型機1機が備えてあります。制作には半年くらいかかりましたが、しらせの稚内港入港セレモニーに間に合わせるため、不眠不休の作業でした。
 しらせの船長はその模型を見て感激していました。また艤装(ぎそう)という形の歪みや凹みを補修するセクションの担当職員らは、興味深げに長らく凝視しながら、「どうやってこれを削ったんですか」と首を傾げていました。
──保存するには大きすぎるものでも、縮小模型にすることで、歴史的構造物を残すことができますね
早坂 そうです。稚内市青少年科学館の南極関連資料室では、初代南極観測船「宗谷」をはじめ4隻が模型で残されていますが、宗谷の出来映えもなかなかのものです。こうした作業は、大工が発注者の要望に忠実に精魂を込めて家を一軒作り上げる過程と、全く同じです。
──それによって、玩具工房という新分野への進出を果たし、北海道建設部平成23年度新分野進出優良企業表彰受賞者に選ばれましたね
早坂 建設業のミニチュアモーターカー製造業進出事業です。今のところは販売も順調で、技師も5人を擁しています。完成品はEBBRO(エブロ)に納品していますが、作れば作るだけ売れています。EBBROの木谷真人社長とは親戚関係で、バイクの模型を打診されたのが切っ掛けです。
──昨年12月には、初めて製造されたホンダレーシングバイクの模型がEBBROから発売されましたね
早坂 全日本模型ホビー2010のイベントで展示されましたが、かなりの人が群がって見物してくれましたね。50年も以前の技術を以て作られたものを、模型ではあっても復元するのですから感慨深いものはありました。ホンダは昭和33年に49ccのスーパーカブC100を作り、37年にHondaCR110(カブレーシング)完成させました。世界のロードレースに出場出来る本格派モデルで、最高時速はオーバー100Km/hを誇り、衝撃的なデビューを飾ったレーシングバイクです。早坂組の模型製作工場で伝説の名車HondaCR110(カブレーシング)を100台作りましたが、在庫も残り僅かとなりました。
──発売した時は29万円だったのが、いまでは33万円の値が付いていますね
早坂 いつの間にか高値が付いていますね。
──その後はどんなものを手がけてきましたか
早坂 43分の1のミニチュアカーや、しらせに搭載されていたヘリコプター、さらにしらせについては、もう少し小規模の模型への需要もあり、500分の1規模のものが作れないものかを検討中です。
 その他には、立てに入った賞状のミニチュアへの要望があったので、それを鋳物として製造したら、たいそう喜ばれました。部品は全て鉄なので、ダイキャスト工法で鋳物にしたり、削る場合もあります。
──ミニチュアとはいえ、精巧に再現するので、かなりの技術力が求められますね
早坂 やはり、技術を分かっている人は着眼点も違います。歴史的に貴重な大きな構造物を縮尺模型で表現できれば、歴史の文化に貢献できると社員一同考えています。
──現在はノーザンロードカーイベント倶楽部を主催していますね
早坂 これはクラシックカーをモチーフにしたイベントです。日本最北の街で、まちづくりの可能性をさぐると共に、母子の福祉及び青少年の健全育成等に支援を行います。また、クラシックカーの持ち主から製造中止の欠損部品の製造を頼まれ、請け負ったことも有ります。早坂組の町工場は一つのネジからでも作れますから、すでに製造が終了したクルマの再現も可能なのです。バックミラーやテールランプなどの壊れた再生も出来ます。
──古い時代を背景とした映画のセットなども作れそうですね
早坂 原型があって、寸法が分かるならば、何でも図面を起こして再現できます。家を一軒建てるようなものですから、できないものはないですね。
──まさに町工場といえるものですが、今後に向けての課題はありますか
早坂 日本製の良さというものが、なかなか理解されないのが残念ですね。どうしても高コストなので大量生産できず、また大量に作っても売れないというのが現実です。
 評判を聞きつけた玩具メーカーから注文もきますが、コストの安い外国製品と比較しているので、価格が折り合わないこともあります。
 部品が一つでも合わなければすべて台無しですから、一台一台に愛情を込めて作るところに日本製の良さが生きているのです。 実際に、部品を一つ作るにも1ミリずれても使えない、10個のうち1つが使用に耐えうる部品で、それを覚悟でなければ精度も向上していかないのです。また、完成した時はよくできているように見えても、磨いてみるとまるで駄作だったということもあり、その繰り返しですよ。
──大型模型を購入したが完成までにほど遠い段階であきらめている人がいますが
早坂 有料ですが相談に乗ります、削ったり、塗装することが大変で物置にしまっている人がいますね、完成させてお届け致します。
──こうした事業を継続していく体制づくりに取り組んでいるのですね
早坂 冬場の建設現場がない時期には、他の職員も製造に携わっています。しらせの製造の時なども、社員が総出で全員参加していました。
──これによって、無事に新分野進出に成功したのですね
早坂 北海道に申請をした時は、他にも20社くらいが審査を受けに来ていましたが、ほとんどは農業や食に関連する分野で、最後に私がプレゼンテーションをした時は、対象が玩具ですから、審査員から苦笑されてしまいました(笑)なんで建設会社が玩具なんかを作るのか、理解できなかったのでしょう。
──幾つかのNPO法人の設立に係わっていますが
早坂 障害者の方が働く受産施設の「ノース工房」で、2年前から模型の部品を作ってもらっています。ここでは職業訓練として、模型のパーツとなる小さな部品を削ったり磨いたりする作業をしています。今ではみな技術が向上し、かなりのものが作れるようになりました。こうした作業を通じて、訓練者は「ヘリコプターのプロペラを作ったのは僕だ」、「タイヤを作ったのは私だ」、「窓を磨いたのは私だ」という自負を持つことができるようになりますから、仕事として夢が持てます。
 また、宗谷海峡を一望できる稚内市開基百年記念塔の付属施設・稚内市北方植物園の再生する活動に取り組む「山野草同好会」の設立にも携わりました。多くの市民から提供される山野草を園内に植えています。珍しい植物などもあり市民参加の憩いの場としてやりがいがあります。最近は、持ち込まれる植物が多く対応に苦慮しています。
 平成21年3月に保護者の虐待で4歳の男児が死亡した事件が有りました、児童虐待死事件が二度と起きないように、家庭に恵まれない子どもたちを育て、虐待から児童を守る「ファミリーホーム」を賛同者と一緒に立ち上げ、社会的養護にも取り組んでいます。

早坂 祐二 はやさか・ゆうじ
昭和54年 5月 株式会社 早坂組 取締役就任
平成 3年11月 株式会社 早坂組 代表取締役 就任
現在に至る


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