建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2012年11月号〉

高速道路のネットワークが整備されれば、流通コストは抑えられ、
輸送効率は飛躍的に上がる

── 網走建設業協会員の各企業は雇用や防災にも地域貢献し、
   地域を代表する建設技術集団

網走建設業協会 会長
株式会社丸田組 取締役社長
 丸田 孝一 氏


──創業90年を迎えましたが、操業の経緯と社長の略歴と、合わせてお聞きしたい
丸田 初代の丸田岩作(祖父)が大工の棟梁だったので、4,5人の職人とともに新潟から網走に入植し、大正10年5月に建築業「丸田建築部」を創業、昭和32年4月に父が「株式会社丸田組」を設立、私は3代目の社長となりました。2代目は叔父が引き継ぎました。
 当初は個人営業だったので、それほど大規模なものはなく、32年の会社設立から市民会館などの公共施設施工に従事するようになりました。私は26年に生まれたので、高校生だった頃のことです。
──建設に従事しようと考えたのは、その頃からですか
丸田 家業の関係で、以前から建築には興味がありました。大学に進学する際は、建築と土木とどちらを選ぶか迷いましたが、土木の現場は山間部が多いので、都市部の現場が多い建築を選択しました。そして48年に日大生産工学部を卒業し、鉄建建設に入社しました。
▲海岸保全(侵食対策)小清水地区第41工区
──鉄建建設在籍時は、どんな現場を経験しましたか
丸田 最初は米軍横田基地で、ベトナムからの帰還兵の宿舎やショッピングセンターが施工されていた時期です。さすがに日本の建築とは仕様が大きく異なり、ドアの高さも住宅の間取りも桁違いです。その後は都内のマンションの施工現場を経験しました。
──帰郷した当時の管内の情勢は
丸田 その当時は土木工事と同様に建築工事も多い状況でしたが、列島改造論に基づき土木工事が急激に伸び始めた時代でした。
 当社は創業当初は建築部門が主体でしたが、戦後から土木部門にも力を入れ始め、道路や河川に参入したようです。
──管内は新潟県に匹敵する面積でありながら、高速道路も未整備のままですね
丸田 管内は高規格道路にしても、途切れ途切れの状態なので、これらをつないでもらうよう陳情しています。一方、網走港、紋別港の重要港湾について、管内のオホーツク海沿岸は280kmで、以前とは波の高さや潮の流れが異なってきているので、既存の防波堤では効果が少なくなってきています。そのため嵩上げなどが必要で、また冬期間は流氷による被害で、港湾施設が劣化しているようです。この春には時化で、サロマ湖の入り口が土砂で塞がってしまいました。そこで災害復旧工事として浚渫が行われましたが、施工会社によれば、こんな現象は初めてとのことです。
 農水省の予算で、海岸線の整備は進んできていますが、一次施工の後にも被災している状況で、かつては波打ち際から道路までの距離が、いまでは3分の1にまで浸食されている状況です。近年は波の高さ、潮の流れ、そして降雨パターンも以前とは変わってきているので、従来の施設整備では対応しきれなくなっています。
▲斜里地区(斜里漁港)水産生産基盤整備工事(特定)
──政府が公共投資をことごとく打ち切ってしまい、業界は存亡の危機に直面してきましたが、経営の舵取りはどのように行ってきましたか
丸田 私たちは公金を財源として執行する業務ですから、人命を損ねることがないよう、安全第一を最優先にしつつ良いものを作って、高い評価を受けなければ、企業として存続できません。したがって、その条件を満たした上で、利潤が上がるような仕事をするようにと、技術スタッフには話しています。
 周知の通り、公共事業不要論が執拗に主張されてきたので、私たち建設業者が襟を正し、良い仕事をして地域貢献することが大切です。私たちの本来の地域貢献とは、良いものを作り、国民の安全を守り、インフラを改善していくことが大前提です。
──管内の事業費も、社長就任された頃からみると半減ですか
丸田 平成9年に社長就任して3、4年後になってから、急に毎年3%の削減が始まり、小泉政権で大幅に締め付け、民主政権になってピークの半分以下にまで減少しています。国の予算規模で3%となると、それは地方に行けば行くほどさらに大きく減るることになります。
 しかし、当時の自民党政権は、補正予算で措置してくれたので、もうダメかと言われつつも何とか生きてこられたのです。
 また、その当時に論議されたのはB/Cの費用対効果で、北海道は市街地と市街地の距離が本州よりも長く、医療環境においても過疎地がありますが、結局は効率の良い都市部ばかりが優先されます。高規格道路にしても、旭川-紋別間の路線が旧丸瀬布町まで到達し、今後2、3年で遠軽町にまで到達しますが、その先は整備されておらず、横断道にしても十勝管内の帯広から足寄までは到達していますが、その先は現道のままという状況です。
──そうした最も厳しい状況下で、網走建設業協会長に選任されましたね
丸田 会員の各企業は雇用も防災も地域貢献においても、みな地域を代表する企業としてのポジションを占めているので、何かあれば最初に要請されます。そのため人口が減っても、地域に居住する人はいますから、その人々のためにも各会員には死に物狂いで生き残って頂かなければ対処できません。
 しかし、現実問題としては技術者も減り、技能者も減りました。先月に網走建設業協会員を対象に行ったアンケートでは、全技術職員1,100人のうち75%は40歳以上という結果です。20代は10%にも満たず、30代で10%を超える程度です。一般作業員などの技能者も1,100人くらいですが、年齢構成比率はやはり似ています。
 そのため、今後も生き残るために技術力の向上と、何年かに一人でも良いから新卒者を雇用して、技術を継承していくことが大切です。そして競争力も高めなければなりません。この三点を実現するようアピールしていくことが、私の使命だと考えています。
▲斜里町立朱円小学校現場見学会
──これ以上、会員が減少すると、地域を守れなくなりますね
丸田 災害時の防災協定は結んでいますが、市町村からも道からも国からも出動要請されると、どれを優先すべきか判断がつかなくなります。局地的な災害で、各社とも社内体制に余裕があれば采配もできますが、広域的な災害となると不安が拭えません。
 そのためにはトータルにコーディネートする組織が必要です。管内全体を掌握し、各地の被害状況を把握して、市町村と業界が連携しながら出動をコーディネートするコントロール機能が必要です。行政同士の連携はあるようですが、それらの行政群と市町村建設協会群との連携はまだ十分とは言えません。望ましいのは道のオホーツク総合振興局か、管内の地域期成会が采配し指令するのが良いと思います。そうした指令もなく、その場その場でバラバラに対応していたのでは機能しないと思います。
 また、私たちよりも上の世代の人々は地域事情や地勢に通じており、技術においても新しい工法は登場していますが、基本は変わらないので、定年となってからも働けるうちは、学科として学べないノウハウや技術の継承に貢献して欲しいと思います。
──網走建設業協会にも専門部会がありますね
丸田 今後に向けてもアンケートによって、技術の継承、生き残りのための経営など、各分野のテーマを、各委員会で解決していけるようになればと思います。
 一方、今年は農業の個別補償に伴い、全道的に農協などが発注する暗渠工事が予算措置され、暗渠工事は倍以上に急増しています。しかし、それ以外に国や道の通常の灌漑排水事業もあるので、各社とも会社規模を縮小しており、年間に施工できる工事量も一定量に定まっていますから、技術者も機械も不足し、工事を消化できません。
 したがって、私たちの望みは工事量を急増させるということではなく、最低限の工事を長く持続してもらうことです。それによって、新規雇用や設備投資の見通しも立てられるのです。
▲網走市エコーセンター
──安定経営によって技術継承を実現するにも、若い人々が建設という業種に関心を持ち、不況ではあっても志望してもらうことが必要ですが、そのためにどんなPRが効果的と考えますか
丸田 北海道建設業協会で企画委員会を2、3年前に発足し、建設業のイメージアップに向けて取り組み始めています。同様に網走協会の委員会でもその話題が出ており、アピールの必要性が論議されています。今までは、私たちは「税金で生活している」と批判されてきたので、目立たないように黒子役に徹していました。しかし、今後は建設の意義や仕事の達成感などを、小学生くらいの頃からアピールして教えていくことが必要だと思います。今現在、実施しているのは中学生と技術系高校生の現場見学会ですが、今後は普通の小学生に建設業の楽しさをPRすることが重要になってくると思います。
 思い起こせば、私もまだ学生だった頃には、工事現場は威勢の良い作業員が大勢いて、女性にも憧れられるなど、花形職業の時代でした。それが今となっては、誰も顧みない職業となってしまいました。ですから、そうしたPRと同時に、国家教育においても建設技術の教育の大切さを訴えるしかないと思います。
 建設事業は登山のようなもので、施工中は苦しく大変ですが、施工が終了して検定を受け終わった時の達成感は、言語に尽くせないものがあります。まして検定官から評価されれば、歓びはこの上もないものです。
 当社が携わった網走市エコーセンターという公共施設などは、技術的には難しい工事でしたが、設計がよくできており、大手企業を交えず地場企業だけで施工したもので、印象深いプロジェクトでした。
 建設事業は工場生産とは異なり、ゼロから始め、しかも一つ一つが全て異なり、同じ図面でも立地条件でまるで違ってきます。
── 一方、管内の産業振興に向けて、地域の魅力もPRしていく必要がありますね
丸田 オホーツク管内の自然は豊かで、食材も美味しく観光地も豊富にあるので、地域の魅力は三拍子が揃っています。それだけに、インフラがもっと整備されれば管内を周遊するにも効率が良くなります。
 また、小麦の生産加工を大々的にスタートしていますが、網走の農産物は一部広尾港から輸出しているそうです。そこに至る高速道路のネットワークが整備されれば、流通コストは抑えられ、輸送効率は飛躍的に上がります。
──そうした流通インフラの整備は、建設業以外の産業界からも要望があるのでは
丸田 地域期成会を通じて、首長の他に生産者である農協、漁協の組合長らが、かなり活発に陳情活動をされているようです。インフラ整備によって、地域の産業は振興していくもので、B/Cという視点から見ても、札幌から十勝まで高速道路が開通したことで、通行量は飛躍的に増えました。
 それが十勝からオホーツクまで延長されたなら、さらに物流は活発になります。しかし、それが整備されないために輸送コストがかかり、地域の競争力も弱いままの状態にあると思います。


丸田 孝一 まるた・こういち
昭和48年 3月 日本大学 卒業
昭和49年 3月 株式会社丸田組 入社
平成 9年 1月 同社 代表取締役 就任
平成24年 5月 網走建設業協会 会長 就任
現在に至る

株式会社 丸田組のホームページはこちら


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