建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2012年10月号〉

牛乳生産量日本一(別海町)の農業農村整備に取り組む

── バーチャル萌えキャラ「別海ミルクガール」を応援

寺井建設株式会社 代表取締役社長
寺井 範男 氏


──寺井建設の創業の経緯を伺いたい
寺井 昭和41年4月に、先代の寺井二郎が別海産業鰍ニして設立しました。当初の3年は別海産業の社名だったので、寺井建設鰍ニしてのスタートは44年からです。土木工事の下請けから始まり、運送用のダンプも保有していたようです。
 先代は、戦後は代用教員や、本別海に店をかまえて薬、米、塩を商ったりしていたようですが、41年になぜか土木に従事するようになりました。このように別海産業は元は商店で、別海町商工会にも寺井商店として登録されていました。
──当初は根釧パイロットファームなどの施工に従事していましたね
寺井 40年代は下請け中心でしたが、50年代から農用地開発公団の工事を請け負い、そこで会社の基盤が出来たようです。別海の建設業者は、みな農業土木を中心に成長していきました。
 別海町は第一次産業が中心なので、農業と水産業で500億円を超える生産高となっています。この二つの基幹産業に建設業者として携わりながら、域内での資金を循環させて、地域の企業が生きていく産業間連携が、今後ともさらに重要になっていくでしょう。
──社長の略歴は
寺井 私は昭和37年に生まれ、栃木の足利工業大学で土木を専攻し、61年に入社しました。その頃には、農用地公団の工事は終了しており、道が発注した農業土木に着手していました。
 その頃はまだ登録ランクも上級ではなく、現場も小規模のところが多く、今日の3倍近い現場を持っていたので多忙を極めていました。旧釧路支庁の工事も受注していましたが、メインは根室管内でした。したがって根室の地形、風土、気候などはすべて把握しています。標津の夏の降雨や羅臼の冬期間の強風や高波など、施工上の留意点などは理解しています。
 ただ、10年ほど現場代理人を務めたので現場の様子は分かっていますが、この数年は施工管理も厳しくなったので、新たな手法を吸収していく必要があります。
──思い出の現場というのはありますか
寺井 受注額が数百万の小さな現場でしたが、初めて現場代理人を務めた現場や、農道の施工などで苦労の多かった現場は記憶に残っていますね。しかし、地域農家とは綿密に打ち合わせているので、苦情などはありませんでした。
 中には、道路を施工していたら、それに面した農家が「ついでにこちらも手を入れてくれ」と要望したので、サービスで牛道や牛の通る木橋を施工することもありましたね。
──農家側としては、細かい要望がいろいろとあるのですね
寺井 「牛道が欲しい」、「橋があれば近くなるのに」という声は、よく聞かれます。それらの要望は重機のあるうちにできるだけ対応したいと思います。
──農地の大規模化に合わせて、農機も大型化しているので、当初に整備されたインフラとは規格が合わなくなっているのでは
寺井 公団時代に整備された農道は、路肩が沈下していて危険になっています。そのため、近年の農業用大型車両は中央を通るしかないので、すれ違いが難しい道路もかなりあるでしょう。
 別海は東京都23区の2倍の面積があり、農業だけでも生産高が400億円を超える食糧基地ですから、農産物を迅速に輸送する搬路の整備は重要です。
 私たちは一般道を通るスクールバスをはじめ、農業用車両、集荷用のローリーは絶対に通行止めにしてはならないとの意識があるので、酪農地帯で生きる者としては、施工している道路の用途を常に意識しながら対処することを怠ってはならないと考えています。
 別海町の農道は迷路のようにあり、整備率は向上してはいますが、中には未だに未舗装の道路もあり、まだまだ整備しなければならない箇所はあります。拡幅して路肩の処理が必要な路線は相当数あるでしょう。また、スピードをだしたらタイヤがパンクするのではないかと思われるよな穴が空いている路面もあります。
一般農道(集乳農道)共春地区地区第1工区(躯体工)工事
──昨年の東日本大震災で、防災に対する意識が全国的に高まってきましたが、管内は平成5年1月の釧路沖地震を経験しましたね
寺井 その当時は、道開発局根室道路事務所が所管する44号と243号の維持を担当していましたが、東方沖地震の時には大きな被害がありました。直ちにパトロールを行える体制にあったので、海岸線までパトロールを行い、陥没したり切れたところを確認しました。最も酷かったのは243号で、雪印の工場近辺や鶴舞町辺りは道路が陥落し、通行できない状況でした。
 そこで道開発局と協議し、バリケードを設置したり片側を修復しながら、旧国道を利用して迂回路を造って対処しました。当初の3日間は24時間体制で施工に当たったものです。
──そうした災害を体験したことで、緊急時の体制もさらに万全になったのでは
寺井 社内には専門の維持班があり、そのための資材も備蓄しており、重機も即座に出動できる用意はあります。通常の工事施工を担当する作業班とは別に、オペレーターや作業員を配置しているので即応はできます。
 ただ、近年は人員数も減っているので量的な限界はありますから、管内の全社が協力体制で臨まないと、今後は難しいでしょう。
──平成10年に社長として就任しましたが、この時が公共事業のピークでしたね
寺井 業務量も確かに増えましたが、一方で地域における建設業者のあり方や、別海における建設業者の役割とは何であるのかを考えていました。重機と人材を持つ建設業者でなければできない地域貢献というものもあります。
 地域社会貢献として、町主催の植樹会やお祭りなどの協力、国営事業による農村排水路の草刈、町立保育園の施設内環境整備を行っています。幼稚園の遊具整備や学校のグラウンド整備、校内の白線ライン引き、フットパスの活動の場を整備したり、総合評価方式の対象ではなくても、地域へのお返しとして、地域が求めるものには応じてきました。
 私たちとしては、公共事業を受注した返礼として、そうした地域サービスをしていたつもりなので、それを地域で理解してもらい、地域に必要な会社として認めてもらえなければ、会社としての意義もないと考えています。
──別海は人口よりも牛が多いので話題ですね
寺井 人口は1万6,000人程度ですが牛の数は12万頭で、他地域で別海の話題となると、必ずこの数字が語られますが、この12万頭の屎尿は相当の量です。重要な基幹産業ではありますが、この処理については町民はみな関心を持っており、適切に処理しなければなりません。上流で適切に処理しなければ、下流の漁業者にダメージを与えるので、国営かんがい排水は地域として要望の強い事業でした。
 これが確実に整備されなければ、居住者にとっては臭気の問題もあり、観光にも影響を与えるので早急に対処すべき課題です。管内の中学校では、このかんがい排水事業の重要性を学ぶために、授業のカリキュラムに採用されており、見学コースも設定されているほどです。「別海の自然環境を考える会」という団体も組織され、そこで住民向けの説明会も行われています。
 しかし、整備はしたもののランニングコストの問題で稼働させていないところもあるので、その対処も課題ですね。かんがい排水の使用電気料金は、100万円近くかかるとのことですが、完全に処理されるのが環境にとって理想的です。バイオマスの取り組みもありますが、設備投資に対して販売利益が均衡するのかという問題もあり、町としてはいろいろと模索していたようですが、エネルギーとしての実用化はまだ課題があるようです。
──そうした課題はありますが、別海の成長性と魅力をどうとらえていますか
寺井 食糧供給基地としての位置づけと重要性を全国に認めてもらい、そのためのインフラ整備などへの先行投資に対する理解を得ることが大切です。
 さらに将来的な可能性としては、太陽光発電や、地場産品の海外輸出による外貨獲得が重要になってくるでしょう。別海の地場産品はどこに出しても恥ずかしくない素材ですから、そのブランド力を高めていくことが必要です。
 一方、私たち建設業者は地域における役割を理解し、産業間連携による新産業の創出を模索していかなければならないと思います。建設業者だから公共事業を請け負っていれば、それだけで良いという意識ではなく、産業間の連携を取りながら地域を高めていく活動が重要になってくると思います。
 外貨を稼ぎ、それを域内で循環させ、地域に還元して域外への流出を防ぐ活動が重要になります。そのために、私たち建設業も視野をグローバルに広げて、手を結んでいくべきだと思います。
──外貨獲得の一つとして、国家予算の確保もありますが、陳情活動はどのように取り組んでいますか
寺井 12万頭も保有する牛の町であることをアピールしています。知名度だけで言えば「別海ジャンボホタテバーガー」「別海ジャンボホッキ丼」「別海ジャンボ鮭茶漬け」などもありますが、やはり主力製品は牛乳です。しかし、「別海町とはどこにあるの?」とよく聞かれるなど、まだまだ地域の知名度は十分とはいえません。「牛乳生産量日本一」で観光需要も掘り起こせるでしょう。そして農業そのものが有力な観光資源にもなるでしょう。ただし、その観光は根室と釧路が広域的に連携した上での産業として考えていかなければならないでしょう。
──根室管内は高速道路や高規格幹線道路の事業計画から外れていますね
寺井 トライアングル構想に基づく早急な整備は、期成会が地域を挙げて陳情しています。予算的な問題もありますが、そうした道路網が整備されれば大きなプラス材料になるので、早急な整備は地域住民の切なる願いです。
 野付沖で獲れる天然ホタテと北海シマエビなどは絶品で、誰に食べてもらっても「他の地域のものとは違う」との評価を得られているので、それをもっとPRすべきだと思います。
──根室よりもオホーツク方面の宣伝が目に付きますね
寺井 PRが足りないのか、やはり「別海ジャンボホタテバーガー」は土産品として持ち帰りができない制約があるので、限界があるのでしょう。生産者も含めて、もう少し自由に動ける体制づくりが必要だと思います。
 最近は地域の若者が「別海ジャンボ牛乳地域活性化協議会」を発足し、「別海ミルクガール※」と称したグループを結成して牛乳・乳製品の消費拡大など新しい取り組みも見られます。
 「別海ミルクガール」は、ほとんどは別海町役場女性職員が中心ですが、ネット上はメンバーをバーチャル萌えキャラにしています。また、代表者は30代の酪農家です。若い人々を中心に、生産者である酪農家自らも消費拡大に向けて活動しようという動きで、漁業者も同様に普及に取り組むなど、望ましい活動状況です。そこに建設業の私たちも加入して、協力できるものは協力していこうというスタンスです。そうした若者の活動も別海の魅力の一つで、他町村に比べて別海は若い世代が多いので、大いに期待が持てます。
 かつては農水商工業には垣根があり、異業種間の交流はあまりなかったのですが、最近は各団体が共に行動を起こすなど、連携が深まってきており、そこに私たちも参画するという理想的な状況になってきていますね。ですから、これからの別海は面白いと思います。
別海ミルクガール※(イラストは2次元バージョン)は道内各地のイベントで牛乳をPRする歌とダンスを披露している

※ 酪農日本一の町から全国の酪農家を応援する「別海ミルクガール」は2010年6月に別海町役場女性職員で結成され、道東あさひ青年部牛乳消費拡大PR大使・べつかい乳業興社のミルク大使を務めている。オリジナル曲があり、タイトルは「ミルキータウン」。

──あと、何か付け加えることありましたら
寺井 私たちは一建設業者ではなく、一中小企業者として地域における重要性を声に出していくべきで、自分たちで出来ることは、個々の特徴を生かしながら地域貢献し、地域の活性化や振興のためには中小企業者が如何に元気で、堅実な経営をしているかに尽きると思います。
 地元の学校から全道のスポーツ大会に出場するような時は、地域の中小企業が資金を寄付するのですから、地元企業としての地元意識を持って、安定的に経営が成り立つ経済環境を作って行かなければならないと思います。
 そこで産業間連携を深めるために、私たち中小企業が中心となって町に働きかけて、中小企業基本条例を制定してもらいましたが、ともかく周辺の業種と手を組み協働していくことが大切だと思っています。


寺井 範男 てらい・のりお
昭和37年5月21日生まれ
昭和61年3月 足利工業大学卒業
昭和61年4月 寺井建設株式会社入社
平成 2年2月 同社 常務取締役就任
平成 6年2月 同社 代表取締役専務就任
平成10年5月 同社 代表取締役社長就任


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