建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2012年4月号〉

平成23年度漁港漁場関係優良請負者として農林水産大臣表彰を受賞

── 新たに開発したコンクリート補修材「エフモル」を国土交通省のNETISに申請

株式会社南組 代表取締役社長  南 修 氏


――会社設立は昭和3年ですから、今年で84年になりますが、今日にいたるまでの概略をお聞きしたい
 日高管内の様似町で私の父・南錬造が創業しました。北海道の地場産業は、北海道開発とともに土木事業に携わる者と、木材生産に携わる者に分かれます。当社は両方をしておりました。戦後の復興のため木材の需要が急増しましたが、道の政策で木材工場の統廃合を進め、私が高校生だった頃に会社は木材関連からは撤退しました。
 北海道は明治からの公共事業による社会整備と、そのための木材生産が中心でした。今では自動車、コンピュータ関連の輸出が中心になりましたが、まだ競争力の無かった時代は、木材産業が大きなウェイトを占めており、全道の山で木材を切り出し、輸出していたものです。
――社長の略歴を伺いたい
 私は昭和21年に生まれで、最年長の兄・南正とは年齢が15年も離れています。その長兄は会社の会長を務めています。ですから私が幼い頃には、すでに社業に携わっていました。
――15年の年齢差となると、時代の違いも反映するのでは
 兄は高度成長の時代を経験して現会長に就任していますが、私は逆にデフレ不況のどん底が社長業のスタートですから対照的です。
――就任は平成16年ですから、まさに公共事業が削減の最中にありましたが、経営権をバトンタッチする際には複雑な思いもあつたのでは
 南組は元から土木と木材の両面で運営してきており、一時期は木材から撤退したものの、昭和50年代に北海道観光の土産品として定着した熊の木彫りの大量生産に着手しました。
 それ以前には、私は東京の機械商社に勤務し、一般的な工具、機械を扱っていましたが、帰省するように言われてUターンしました。そして、帰省した直後にオイルショックが起きました。
 帰省してから、熊の木彫りの製造販売を担当しましたが、それも一時的なブームでしかなく、事業としては成り立たなくなりました。それでも、当時は50人の人員が工場にいたので、何とか雇用を維持しようと思い、木製玩具の製造を始めました。スヌーピーやディズニーキャラクター、アンパンマン、キティなどのキャラクターを採用した玩具を作りました。その結果、日本で生まれた子供の1割は当社の玩具を持つほどのシェアとなり、全国のどこのデパートでもスーパーでも当社の製品が販売される状態でした。北海道の田舎の会社が、全国的にそこまで伸びたということで、業界内では評価されていました。
 しかし、出生率は下降し始める一方、玩具の主力はゲーム機へと移っていき、日本の高い賃金体系等の為と、道内での木材の安定供給ができなくなったことなどの要因から、生産拠点をタイへ移転すべく、現地企業と合弁会社を設立する準備を始めました。人員を新たに増やさずにシフトしていき、12年前には完全にDaisin Products Co,Ltd(タイ・バンコク)移転しました。そして、日本で木製玩具はもう売れないので、ベッドなどの寝具や家具に品目を変更しました。合弁とはいえ、資本は当社が100%で、今では300人を擁する規模になっています。経営は現地の日本人が3人体制で当たっています。
 これがようやく軌道に乗ったので、一安心していたら、今度は南組の社長になれということになりました。それまでにも非常勤の役員として就任していましたが、土建業に直接携わったのは、平成16年に社長に就任して初めてのことです。
――異業種からの就任ですが、他業界と比べてどう感じますか
 子供の頃から知っている業界ですから、それほど違和感はありません。現場なども兄とともに見て歩いたりもしていたので、全く異業種の人が南組の土木に従事するというわけでもなく、みんなが想像するほど違和感は感じませんでした。
 しかし、実際に運営するとなると、やはりまだ分からない部分もありますが、機械商社で日々、機械の売り込みに従事していた経験と、木製品を扱いながら製造機械について、いろいろと考えてきた経験から、モノを造ることにおいてはプロなので、基本は変わりません。
▲プッシャー式起重機船「えりも」
──南組は海洋土木業務に積極的に取り組んでいますが、作業船は維持費がかかる割には、それに見合う工事が少なくなっているので、手放すところが多いようですが
 どこでも同じ状態にあると思いますが、港の整備が一巡し、新設港もないので仕事が少なくなっていますが、それを維持するのは海洋土木会社にとっては生命線のようなもので、それを手放させば陸に上がった河童のようなものです。そのため、みな苦労しながら維持しているのが現状です。
──公共事業の削減の時期に社長就任でしたね
 そのため、始めの頃には東北でもどこでも私自身が営業に回ってきたこともあります。船舶を維持するための仕事だけでも得るようにとの考えでした。そのお陰で、スムーズに話が回ってきました。建設業は「請負業」ですから、話が来たら請け負うという受け身のイメージがありますが、知らないエリアでの営業は、特に苦にはなりません。
――3.11の東日本大震災時はどこで経験しましたか
 私は様似町にいて、異常な揺れを感じたのでテレビのスイッチを入れたら、あの惨状でした。ただ、その時には南相馬町に1ヶ月程度の仕事があって、当社が所有する350t吊り級の作業船が東北に向かっていました。八戸沖を通過したところで、船底から突き上げるような強い衝撃があり、船員は何か漂流物に衝突したのではないかと思い、その一帯を旋回してみたのですが、それらしいものは見あたらず、そこで船長が気づいてテレビのスイッチを入れたら、同時中継が始まっていたという状況です。それで、沖合に避難し先方とも連絡を取りそのまま帰港してきました。
――津波には遭遇しませんでしたか
 最大の船は遭わずに済みましたが、他の3隻は日高や十勝にあり、津波に遭っていましたね。そして、震災後に改めて出動し、瓦礫や漁船や海底に沈んだ自動車の引き揚げなどに当たりました。
──平成23年には農林水産大臣表彰を受賞しましたね
 長年、海洋土木を主体として従事してきた会社ですから、地域の漁港漁場関係整備に努力を重ねて来たのが認められ、嬉しいことです。発注官庁や業界団体が応援してくれた結果だと思います。東日本大震災の応急復旧に向けても、活発に動いているところが認められたのではないかと思います。
▲多目的対応型ウォータージェット・システム
──今年に入ってからは、コンクリート構造物の維持・補修で新分野に進出した優良企業として選ばれましたね
 いまから5年前にウォータージェット工法によるコンクリート構造物の維持補修の実施に着手しました。とにかく公共事業が少なくなってくると、雇用の場がなくなりますが、この事業では、現在20人くらいが働いております。これからは新設から保守・維持へという時代の流れもあるので、新分野には5億円くらいの投資をしました。
 ウォータージェットの他に、ひび割れに強いコンクリート補修材も以前から手がけており、札幌でコンクリート診断のコンサルタント会社も運営しています。そうした活動の中で、やはりメーカーとしての材料を作ろうと考えました。  今まではあくまでも販売店という立場でしたが、オリジナルの商品を開発して、メーカーの立場に立たなければダメだと考え、内部で相談したところ、室蘭工大や地方独立行政法人北海道立総合研究機構建築研究本部北方建築総合研究所と契約を結び、アドバイスを受け開発に着手しました。そうして、実証データで数値的な裏付けを得てコンクリート補修剤の「エフモル」が完成しました。3人の担当を配置して原材料を仕入れ、かなりの試行錯誤を繰り返し、3年目となります。
──やはり地場企業として浦河生コンの工場内に研究室があったことが、成果に結びついたのでは
 それもあるかもしれませんが、やはり従業員が懸命に取り組んだ結果であって、みな玄人ではないので頭が痛くなるほど関係書を読み、一方、大学の先生方々にも当社の業務を理解してもらいました。会社から業務命令があったから、というのではなく、みんなが自分の問題として、自主的に取り組んだ結果でした。
──新日鉄室蘭製鉄所の高炉スラグに行き当たったことは、大きいのでは
 それは大きいと思います。いろいろと塩害対策をどうするかについて話し合った中で、高炉スラグが浮上しました。もっとも、高炉スラグが塩分に強いことは新発見ではなく、業界内では常識なのです。ただ、高炉スラグや繊維を混合した材料を加工することが難しく、新聞に報じられた通り、まさしく100回以上の試験を行ってきました。とにかく根気と体力の問題でしたね。
──この4月からいよいよ商品化され、販売されますが、低コストでCO2削減などの面でも優れていますね
 コストでも1.5%繊維入りのものでは、従来のものより40%弱も安く提供できます。高炉スラグを使うことで、塩害対策はもちろん製造過程ではCO2も40%削減が可能で、国交省の新技術情報提供システム(NETIS)への登録申請もしました。
──NETISに認可されれば、これを採用する現場は総合評価の点数も上がりますね
 そうです。凍害、塩害に強いということは、まさに北海道向きの商品で、たとえ山間部の橋梁でも融雪剤(塩化カルシウム)を撒布していますから、そのために塩害はどこにでも発生するのです。しかも、凍結と溶解を繰り返すので凍害も受けます。
──類似の商品は、他には無かったのですか
 全く同じ成分のものはありません。他のメーカーの販売店契約もしていますが、そのメーカーとも調整はできているので、特にもめるような懸念はありません。むしろ、そのメーカーの新商品開発を打診されています。
 行政側も、これらの商品には高く評価してくれていますが、ただ価格が高すぎたのです。特に農業用水施設においては高すぎるということでしたが、それに対してエフモル15は40%弱で提供できますから、使い勝手の良い商品になると思います。
──国交省だけでなく農水省のコンクリート構造物にも使用できるので、有望ですね
 すでに何年も前から農業用排水路の試験施工を繰り返し、これから春先にも試験施工を予定しており、土地改良区などでも実施しています。そうした営業は、社員が率先して自ら活動してきた結果です。
 私が社長になってから変わったところは、スタッフが指示を待たずに率先して営業に行く体制となったことですね。従来の請け負う発想から、自分たちで考えたものを世に出して変えていくという意識で、これは私のこれまでの経験と体質が反映されてきたのだろうと思います。
──純然たる土木建築業から、スムーズに多角化しつつある印象ですね
 多角化といっても、土木建築業とは陸続きの仕事などでスムーズにいくと思います。今では、みんな飛び込み営業でもやっています。現場にあって構造を知る代理人も、必要となれば営業はしますよ。
 南組本体の海洋土木は生命線ですから、今後とも継続しなければなりませんが、様似を拠点として地域に存続し続けることは、いわば農耕社会の発想です。地縁、血縁など横のつながりがあり、仲良くやっていくというのは農耕社会のあり方ですね。
 一方、南組の札幌支店の場合は、狩猟民族であらなければならないと話しています。去年にあったものが、今年もあるという保証はどこにもありません。どこに良い仕事があるのか、仕事をどう工夫するのが良いかを考え、常にリサーチする狩猟民族として、全く違う体質になっていっています。
 今後も本体ではコンクリート補修材「エフモル」を生産し、札幌で稼がなければなりません。様似本社が単体で生き延びることは、まず不可能に近いので、そのためにはどこかが稼ぐ必要があります。初期投資は多少はかかりますが、本体を護るためには支店が稼がなければならないということだと思います。
▲コンクリート補修材「エフモル」
▲エフモル吹付け作業
──様似という地域の雇用を護るためにも、本社の存続は必要ですね
 人員は80人くらいですが、労務者を加えれば100人以上にはなりますから、この小さな町でそれを維持するには、どこかに食らいついて行かなければなりません。公共事業も質が完全に変わってきていますから、私たちも単に施工するだけではなく、創意工夫し、また、大きく伸びて行くには素材メーカーにもなろうという発想です。
 特にコンクリート補修材「エフモル」については、施工性の良さが特色で、とかく素材メーカーは商品の施工性についてはあまり気に留めないところがあります。その点、私たちの場合は自らそれを使用しなければなりません。
──確かに施工性が悪いと、施工現場から苦情がきますね
 実際に初期の頃は、職人から「使えない」との批判がいろいろとありました。したがって、施工性を上げるにはどうするかという最後の詰めで苦労しました。
 今後は、そうした独自の素材を持つ会社も現れると思いますが、私たちはコンサルも調査診断もできて、さらに自ら施工できる素材メーカーであるというところが強味で、最後には負けないと考えています。
──東京で経験してきた機械商社の経験と視点が生かされており、今後のインフラ整備もそれが求められる時代になってくるのかも知れませんね
 その意味では、これまでは投資ばかりでしたが、今年からはいよいよ本格的な活動を迎えることになるので、楽しみですね。
──最後に補足する話はありますか
 今後はコンクリート補修材「エフモル」に関しては、原料も含めてメーカーは北海道ですから、道の担当者には道産品利用の促進という視点で応援して頂きたいと思います。日鉄セメントと新日鉄室蘭の高炉スラグが原料で、すべて道産品です。その加工や施工も地元で行うのですから、そうした地場製品を地元の施工現場での積極利用を推し進めて欲しいと思います。


南 修 みなみ・おさむ
昭和21年6月7日生
昭和44年3月 明治大学法学部 卒業
昭和44年4月 株式会社 海南 勤務
昭和48年4月 株式会社 南組 勤務
昭和60年6月 株式会社 南組 取締役(非常勤)
平成16年7月 株式会社 南組 代表取締役社長
▲本社社屋

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