建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2012年3月号〉

interview

自然エネルギーなど高い潜在力を持っている釧路・根室管内〔前編〕

北海道 釧路総合振興局 副局長
菊地 隆 氏

──出身校は今年で50周年を迎える函館工業高等専門学校ですが、何を専攻しましたか
菊地 土木工学科で、一般教養から専門分野まで多くのことを学んだはずですが、どの程度身についているかは疑問です。授業中はしっかり聞こうとはしていたが、予習復習までやるようなまじめな学生でもありませんでした。
 授業料は月800円でしたが、教科書代が非常に高くついたとの記憶があります。高専という中途な分野なので割高についたものとは思います。
──そもそも土木技術者を志したきっかけは何でしたか
菊地 実家が函館市で学校が近かったことと、親も比較的高齢だったので高専ならあまり負担をかけなくて済むと考えていた記憶があります。高専の中で土木工学科を選んだのは、当時の中学校の先生のアドヴァイスによるものだったと思います。
 小学校4年生くらいの時に、自宅前の道路が舗装道路になり、子供ながらにとても嬉しかったのを覚えています。雨の日でも登下校時に水たまりを気にしなくてもよく、長靴を履く必要もなくなり、晴れた日は埃を気にしなくて済みました。前年度に自宅付近まで舗装されてきていたので、早く自分の家まで舗装されれば良いのにと待ち望んでいた記憶があります。
 そして、舗装と同時に雑草だらけだった法面が積みブロックに変わり、素堀側溝がトラフに変わるなど、かなり近代的になったと感じました。
 そのため、漠然とものを作ることはすごいことだと感じていたような気がします。もっとも、この記憶が直接のきっかけではありませんが、そうした記憶はどこかで作用したのかも知れません。
──卒後に道に入庁したのですね
菊地 道に採用されたのは昭和51年ですが、その時はオイルショックの真っ只中で、民間企業への就職は厳しい時代でした。とりわけ51年と52年がどん底の状況だったため、卒業生は半ば強制的に公務員試験を受けさせられた状況でした。
▲羅臼町マッカウス周辺
──平成5年7月に、北海道南西沖地震が発生しましたが、その時はどちらに在職していましたか
菊地 私は函館土木現業所八雲出張所道路係に勤務しており、森町・八雲町・長万部町の道道の整備や維持管理をしておりましたが、それほど大きな被害を受けたわけではありません。国道では一般国道5号が長万部町で液状化により大きな被害が発生したことから全面通行止めとなり、道央と道南の交通が遮断されました。道道でも八雲町と今金・北檜山町を結ぶ主要道道を今金町側で盛土形状の道路が崩壊して寸断されたため、すぐに通行止めとしました。このため、日本海側を経由して道央方面に向かうこともできない状態でした。
 しかし、発生時にはそうした情報が無く、道道の通行規制を敷くにも維持業務は主に直営で行なっていたことから、職員が2人で組となり、夜間に総出で規制に当たりました。ドライバーの抵抗も強く、その中には身内が被災してしまった人もいたようで、胸中では一刻も早く駆けつけて助けたい思いもあったでしょう。そうした様々な事情もあって、大変でしたが、夜が明けてようやく被害状況を把握することができました。
──被害状況はどんな様子でしたか
菊地 発生時は、八雲町は震度4と発表されましたが、実感としてはもっと揺れていたように思います。被害状況を見ると、今金では道路の陥没箇所から、4t車が沢に転落している状況が確認されました。それ以外では地盤が下がったり、亀裂が入った程度なので、それほど大きな被害だったとは言えません。
──後に道路整備課道路維持係長に就任しましたが、印象深い経験はありますか
菊地 年々削減される維持費の確保に奔走していましたが、結果的にこの3年間で実を結ぶことはありませんでした。しかし、後で当時のデータの蓄積がある程度役だったようには感じています。
 それ以上に、3年間の経験で大きかったのは平成15年8月の台風10号による災害で、道道で8人の尊い命がなくなり、後の主幹に就任してからこの裁判の対応を担当したのも、何か因縁めいたものを感じました。
▲散布(火散布)漁港 地域水産基盤整備工事
──道路課高速道・市町村道担当課長時代には、どんな業務に当たりましたか
菊地 在籍が1年だけだったこともあり、特に目立つものはありませんが、黒松内余市開が計画段階評価の対象区間になったことが、最大のニュースだったと思います。
 この他には、民主党の目玉公約だった「高速道路無料化」が始まり、それが終わるまでを担当したことも、ある意味では大きな話題と言えるでしょう。
 社会実験として取り組まれた施策でしたが、これに翻弄され生活基盤を危うくした方々がいたことを思うと少し複雑です。やはり「実験」は実験室でやるべきもので、むやみやたらに「社会」でやるものではないと思いましたね。最近は、結構安直に「社会実験」という言葉に遭遇する機会が多いように感じます。
──この釧路に赴任したのは昨年ですが、管内の特色をどう見ていますか
菊地 最近は晴天続きでほとんど降雪がなく、寒いことは寒いけれども、北海道とは思えないくらい過ごしやすい日々が続いています。豪雪に悩まされている岩見沢方面の方々には申し訳ないくらいですね。
 夏は夏で春先から霧はかかりやすいけれども、暑さ知らずでむしろ寒いくらいですから、暑さが苦手な方には最高の気候ではないかと思います。いろいろと喧伝されていますが、管内には3つの国立公園を背景に豊かな自然が鎮座しています。「広大な」という表現も、北海道の中ではやはり道東が一番、実感できる言葉かも知れませんね。
 この管内は、畑作は一部地域にしか向かないようですが、時代の変遷でこの可能性がどのように広がっていくのか、ある意味伸びしろと言う見方もできるかも知れません。
 昨年は地球の人口が70億人を突破し、20年後には100億人にも届くのではないかと言われています。今はTPPで話題騒然ですが、少し目線を長くすれば、食料が簡単に海外から輸入できる状況がいつまで続くかは、微妙かも知れません。まして化石エネルギーは、ほぼ100%輸入されている状況では日本の将来は少し不安です。
 このような中で、温暖化やハウス栽培、漁業資源の高付価化、自然エネルギーやバイオエネルギー、地熱の活用などに目を移せば、当管内は大きなポテンシャルを持っているように思います。いつ眠れる獅子が目覚めるのかは分かりませんが、大いに期待したいところです。
 受け売りですが、この管内と沖縄が国内でも最大の日照時間を誇るそうで、ソーラー発電ではこちらの方が大いに有利とのことです。その理由は冷涼な気候と少雪にあるらしいですね。このソーラー発電は、25度以上で効率が大きく低下することと、この地域のごく僅かな降雪による雪の反射光が大いに有利に働くとのことです。
 原子力にだんだん頼れなくなりそうな機運の中で、道央より東には発電所がないことからも、道東の広さを生かした地域のエネルギーに着目する良い時期かも知れません。(以下次号)

菊地 隆 きくち・たかし
昭和30年7月1日生
昭和51年4月 北海道職員採用
昭和51年4月 小樽土木現業所
昭和62年8月 土木部道路課
平成 4年4月 函館土木現業所八雲出張所道路係長
平成 6年4月 札幌土木現業所岩見沢出張所維持係長
平成 8年4月 帯広土木現業所事業部事業第二課道路第二係長
平成10年4月 網走土木現業所事業部治水課防災係長
平成12年4月 建設部都市環境課主査
平成13年4月 建設部道路整備課道路維持係長
平成16年4月 帯広土木現業所事業部道路建設課長
平成19年6月 建設部土木局道路課主幹
平成20年4月 網走土木現業所事業部長
平成22年4月 建設部土木局道路課高速道・市町村道担当課長
平成23年6月 釧路総合振興局副局長(兼ねて根室振興局副局長)


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