建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2011年12月号〉

interview

スキー場からはじまった富良野観光

――富良野ブランドを活かす「フラノ・マルシェ」

富良野商工会議所 会頭
社団法人旭川建設業協会 副会長
ふらのまちづくり株式会社 代表取締役会長
大北土建工業株式会社 代表取締役社長

荒木 毅 氏

――富良野市の地域特性について
荒木 富良野市は農業と観光の町で、昭和40年の観光入込客数は18万人しかいなかったのが、今は200万人以上に増えています。切っ掛けはスキー場で、今では「ヘソのまち」、「スキーのまち」、「ワインのまち」、「ドラマが生まれるまち」などいろいろなキャッチフレーズがありますが、最初はスキーの町として始まりました。
 そのスキー場は、昭和37年に当時の富良野商工会議所会会員などに広く出資を募って「北の峰観光開発」を設立し、スタートしたもので、公営のスキー場ではないのです。民営でスキー場を整備し、そこに人が来訪するようになって、幸運にも国体の誘致もできました。しかし、国体誘致には成功しても、宮様をお迎えし、宿泊して頂くためのホテルを整備する資金力がなかったために、国土計画にスキー運営会社の買収と合わせて、ホテル整備をお願いしたという経緯があります。
――発端は市民が自発的に開発に着手したわけですね
荒木 スキー場開設から50年が経ちましたが、このように富良野のまちづくりは、民間がリスクを背負いながら担ってきました。
 さらに、国体誘致の時は、朝日新聞を定年退職したカメラマンが富良野の丘を撮影し、丘の写真集というものを発行して富良野をPRしたのです。その有力な題材となったラベンダーは、香料を獲るために栽培されていましたが、戦後には化学染料には太刀打ちできないということで、栽培農家は三軒しか残っていなかったのですが、その風景が美しいので、銀座で写真展を開催したら一躍注目を浴びることになったのです。

 その後に、脚本家の倉本聰先生が富良野に定住するようになり、そして先輩達が交流する中で、「地域と俺たち地域住民を有名にしてほしい」と要望し、「北の国から」というドラマが出来たのです。そうしてできたドラマに、ラベンダーの風景も登場し、さらにプリンスホテルも開業したのです。  当時の堤義明国土計画社長は、関係者の間では、誰もが敬っていたものですが、倉本先生だけが「よしあき」と呼び捨てるほどの親しい関係でした。つまり、麻布中学の同期生だったのですね。そうした背景があって、ロケも順調に進んだのです。  その他にも、倉本先生の活動拠点である文化村は行政主体で実現したもので、原始林に住宅を建てて、文化活動に貢献する人には低価格の使用料で提供するという制度によるものです。倉本先生以外にも、画家や俳優の西郷輝彦さんらが居住していたこともあり、そうした効果が複合して今の形ができています。
――この富良野盆地は、50年の間にここまで発展する要素を秘めていたのですね。
荒木 この町の良いところは、誰かが新しいことを始めようとするときに、「意地悪はされない」ということです。誰が何を始めても、誰も文句や苦情は言わず、容認する気風の町なので、まちづくりはやりやすく、お陰でいろんな人がいろんなことに着手しているうちに、今の形ができたということです。だから、「人が好い町」です。
――最近は、一次産業、二次産業、三次産業を総合して六次産業という概念も提唱されていますね
荒木 富良野市では、若干取り組みが遅れている面もありますが、売れ筋であるフラノデリスの「ふらの牛乳プリン」などは、取り寄せ商品の販売量は日本でも一番でした。これは日経新聞の調査結果ですが、同様にチーズケーキについて調べた結果、菓子司新谷という店の「ふらの雪どけチーズケーキ」が、お取り寄せスイーツの部門で5位となっていました。それらの製造には、富良野産の原料を使用するわけで、これこそ農商工連携です。そうした各地の取り組みを総括して実施しているのが中心市街地活性化事業の一部「フラノ・マルシェ」です。
▲フラノ・マルシェ
――ふらのまちづくり渇長として「フラノ・マルシェ」はかなり希望が持てそうですね
荒木 「フラノ・マルシェ」自体が、いくつかのコンセプトを持っており、一つは人の滞留時間を長くして、中心市街地へ誘導しようというものです。情報提供を通じて誘導するために、そこにはレストランを設置していないのです。訪問者はみな「なぜレストランが無いのか」と尋ねますが、そのためには別のところへ行って下さいと、誘導するためです。
 その結果、「富良野に行こうかな」と思った人が、「やっぱり行こう」と思うように意識が変わることを狙って、マルシェは作られているのです。そうして訪れた人々に、富良野のいろいろな産品を販売しており、マルシェ全体で昨年の売り上げは約5億円ですが、原材料や所得を合わせた一次効果としては、9億7,000万円にも上ります。これほど波及効果の大きな施設は滅多にないですね。それはそれだけ地元にこだわっているからで、圏域での効果が大きいということです。その上に、二次効果として市内のレストランや食堂などが利用されれば、波及効果はさらに大きくなります。

 このように、富良野に来れば、まず「フラノ・マルシェ」に立ち寄って商品を購入するというパターンが定着しています。  そのために民間はリスクも背負っているのです。マルシェの場合、「ふらのまちづくり」会社は1,035万円の資本金を、市民公募によって8,350万円に増資しましたが、それはわずか一週間で達成しました。このようにみんなやる気があれば可能なのですが、その代わりにみんなにもリスクを背負ってもらっているのです。会長である私と同級生だった西本伸顕社長とで、2億円の債務保証をしています。債務の償還は順調で、今現在は1億7,000万円にまで減っています。
――しかし、数百万人が訪れる富良野市に到達するのに、高速ネットワークの整備がされていない道路を利用しなければならないというのは問題があるのでは
荒木 北海道と東北の商工会議所が連携し、北海道東北商工会議所連絡会議が、毎年行われています。昨年の大会は富良野が会場で、その前年に盛岡で連絡会議受諾の挨拶をしたときに、恥ずかしい話をしなければなりませんでした。富良野には、みなクルマで向かいますが、その理由は富良野には特急も停まらず、高速道路すらないので、「ご来場に当たっては、皆様にご苦労をおかけ致しますが、ぜひお越し下さい」と言わなければならなかったのです。これが富良野の交通インフラの現実です。
▲フラノ・マルシェ
――今後とも富良野に人が訪れることを考えると、やはりインフラ整備はまだまだ必要ですね
荒木 そうです。よく「高速道路のネットワークが出来上がると、大都会に地域の人が吸い取られてしまう」というストロー効果が論議されますが、これは大間違いで、正しくは「魅力ある地域に人が吸い寄せられる」というべきです。
 したがって、旭川−十勝道路が全線開通した場合は、富良野に人が吸い寄せられるストロー効果が生まれるのです。高速道路が富良野まで完成すれば、さらにこの地域に、人が来てくれます。
――旭川建設業協会副会長として公共投資が激減している状況をどう見ていますか
荒木 公共投資は、地元に雇用が生まれるわけです。雇用効果は建築よりも土木の方が大きいものです。しかし、これだけ公共投資が減ってくると、建設会社は抱えた人員のために仕事を作らなければならないので、大変です。
 ただ、地域の雇用を護るためというよりも、そもそも地域の施工は地元で行うのは当然で、土木の対象である大地というのは不動で、そこにあり続けるものです。したがって建設産業とは地場産業ですから、地元で施工するのが正しい姿でしょう。

 また、100年に1回の災害に対応できるだけの重機や人材を維持する体制は護らなければなりませんが、しかし、今のような体制と執行のままでは、会社も次々と消滅していくでしょう。
 災害対応だけでなく、インフラを維持するためにも地域として建設産業に一定の能力を残しておかなければ、地域は崩壊します。
▲天人峡
――社長の会社では、現場をダイレクトに束ねる作工部を設置しましたね
荒木 これほど直営で現場に携わる会社も、そう多くはないでしょう。当社の圃場整備における春工事は、田んぼの通水前までに、一定量の工事を終わらせなければならないので、ある程度は人員を確保しておく必要があったのです。古くはみなどこでも直営で、通水が始まる5月20日までには作業を終了しなければならないので、農業土木に専従していた職員などは、「世の中にはゴールデンウィークというものがあるのですね」などと話していたものでした(笑)
 そうした圃場整備に携わっていた昭和50年代は、市内の建設産業の従事者が3,000人ほどいたので、全産業の中でも最も多い時代でした。ただ、農家も国勢調査では農業従事者として回答はしても、実際には農業外収入の源は建設業というケースがけっこうあります。
――富良野市民は、地場意識と自立意識が高いのですね
荒木 地元で資金や物資を循環させることが大切なので、直営体制でもあるのです。この直営体制の利点としては、作業効率が非常に良いことです。建築工事の場合は、一件につき30〜40社の施工体制となりますが、取引会社が筆頭の建築会社からいかに収益を上げるかが課題ですが、土木は異なります。したがって、建築も土木もひとまとめに建設業との括りになりますが、内容は両者とも全く異なりますね。
 土木の場合は早く仕上げると、その分、経費がカットできるので効率性を求めるなら、事情の分からない下請け業者を使うよりは、直営の方が作業効率は良いのです。
 そして、さらに平成2年にはコンクリート構造物や橋梁に係わる型枠大工と鉄筋工を集約し、NETIS登録「ノップキャリヤー工法」の採用などを元請け各社に提案しております。
▲大沼北41工区
――富良野市の総合経済団体・富良野商工会議所会頭として、今後の展望は
荒木 なぜまちづくりをするのかと言えば、それをしなければ人が減っていきます。富良野の場合は、まちづくりのお陰で、他の市町村に比べると減り方が少ないのです。こうした人口減少を含めて町の崩壊をいかに止めるのかが問題で、町自体が元気を取り戻すことが必要です。そのためにはインフラ整備が重要なのです。
 ただ、今のまちづくりは以前と異なり、行政だけでやれる時代ではなくなりました。特に、三位一体改革以降は、行政に財力がなくなってしまったので、民間も出資して、共にどうするかを考える時代になりました。
――そこで帯広商工会議所と提携して、今度は新たなことを始めようとしていますね
荒木 何しろ、十勝と富良野は地続きなのですから。例えば、富良野が絶対的に勝てるものもあれば、富良野が絶対的に勝てないものもあります。スイーツなどは到底、十勝には敵いませんね。チーズにしても、十勝の方がバリエーションは豊富ですが、ただしワインではこちらが上ですよ(笑)。面積でも及びませんが、中山間部の景観では、こちらの方が優れています。農産物の加工という点では、やはり十勝の方が遙かに優れていますね。
 そうして、いろいろな点で刺激を受ければ、さらに可能性が出てくるものと思いますからやることはいくらでもあります。

荒木 毅 あらき・つよし
昭和27年 6月5 日生まれ
昭和50年 3月 小樽商科大学商学部商学科 卒業
昭和50年 4月 大成建設株式会社 入社
昭和53年 4月 大成建設株式会社 退社
昭和53年 4月 大北土建工業株式会社 入社
昭和56年 5月 大北土建工業株式会社 取締役営業部長 就任
昭和59年 5月 大北土建工業株式会社 常務取締役 就任
平成 2年 5月 大北土建工業株式会社 専務取締役 就任
平成 4年 6月 大北土建工業株式会社 代表取締役社長 就任
平成16年11月 富良野商工会議所会頭 就任

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