建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2012年1月号〉

interview

東日本大震災では道開発局の災害情報担当・防災課長として勤務

――3月11日15時30分には災害対策本部を設置〔前編〕

北海道 上川総合振興局 副局長(建設管理部担当) 矢野 明夫 氏


──国土交通省北海道開発局の防災課長時代の思い出に残る防災対応について
矢野 2009年4月から今年の3月まで2年間、道からの交流人事で本局防災課長として勤務しましたが、振り返りますと、まさに「津波」と縁の深い2年間でした。
 まず、2010年2月27日、地球の裏側で発生したチリ沖地震による遠地津波への対応がありました。
 遠地津波というのは日本の沿海から600キロメートル以上離れた場所で発生した地震津波をいいますが、日本から遙か1万7千キロも離れたチリ沖から押し寄せる津波が、我が国に与える被害の程度はいかほどのものか、長いリードタイムの間、私はいささかの畏怖心を禁じ得ませんでした。これを契機に、有識者からなる北海道開発局津波対策検討委員会を設置し、津波被害軽減に向けた対策の検討を始めました。現在、内閣府の中央防災会議で東日本大震災に対し、地震津波対策に関する専門調査会の座長をされている河田惠昭先生に座長を引き受けて頂くなど、とても重たい委員会の運営でしたが、各界の第一人者である委員の皆様からは、ご審議の中でたいへん貴重なご意見をいただいたところです。

 また、同年10月16日、北海道では初めての大規模総合訓練となりますが、釧路市西港をメイン会場として国土交通省主催の「大規模津波総合訓練」を実施することになりました。
 その年は、1960年5月22日に発生したチリ津波が北海道浜中町霧多布湾に来襲した津波災害から数えて、ちょうど50年目の節目にあたる年でもありました。
 こうした訓練への地域の方々の参加の機会を確保することもそうですが、この頃、地域防災力の向上を様々な角度から体系的に検討し、試行し始めた時期でもありました。
 そして、最後は、翌年2011年3月11日に発生した、東北地方太平洋沖地震による津波災害、いわゆる「東日本大震災」への対応です。
──2010年チリ沖地震津波ではどういう対応をとったのですか
矢野 2月28日早朝に、気象庁は、午前9時以降には、いつでも大津波警報を発表できるという内容の記者会見を開きました。ハワイで2メートル近い津波が観測されたからです。
 9時33分には気象庁は青森県太平洋沿岸から岩手、宮城県沿岸に大津波警報を発表し、北海道から沖縄までの太平洋沿岸に津波警報を発表しました。
 我が国に大津波警報が発表されるのは、1993年7月12日に発生した北海道南西沖地震以来、17年ぶりの出来事です。
 私は、大津波警報発表時刻をもって本局に警戒体制を敷き、津波災害警戒本部を設置する方針を立てて局内調整に入りました。リードタイムが長い分、冷静に体制構築上の整理ができたのだと思います。
 この津波により、根室市花咲で同日16時頃に最大波1メートルが観測されたのですから、警報発令後からの猶予時間は6時間以上あったことになります。根室港、えりも港、釧路港で浸水被害が発生したほか、日本の太平洋沿岸の広範囲で津波が観測されました。
 北海道南西沖地震では津波来襲までの時間が5分程度といいますから、こうした遠地津波の場合にはしっかり情報収集体制の構築を行い、適切な初動体制を確立することが重要であると、あらためて感じました。翌日3月1日には津波警報から切り替わった津波注意報も解除され、体制解除をしたのですが、これが私と津波との関係の始まりでした。
▲2011火山砂防フォーラム
──大規模津波防災訓練を企画、実施したとのことですが、どのような訓練内容でしたか
矢野 この訓練は、2004年スマトラ沖地震で発生したインド洋大津波で、最終的には約22万6千人が犠牲となったことを契機として、実践型の総合防災訓練を実施すべく、中央防災会議が決定した2010年度の総合防災訓練大綱に位置づけられたものです。
 本省から訓練実施の打診があったのは、翌年度予算要望が終わった直後だったと記憶しています。大臣、副大臣、国会議員等ほか関係省庁高官が大勢、御列席する場での訓練ですので失敗や事故は許されないビッグイベントでした。
 国土交通省が主催ですが、北海道、釧路市、釧路町、白糠町、厚岸町、浜中町の後援をいただき、最終的には65機関もの多くの機関が参加する大がかりな訓練で、コンセプト立案から関係機関の調整、訓練全般のシナリオ作成など、準備に1年以上を費やす大変な訓練でした。訓練の想定規模ですが、マグニチュード8.2の十勝沖で発生する海溝型地震を想定し、震度は釧路・根室地方で6弱、網走、日高、十勝地方などで震度5強として、それによる津波高は北海道太平洋沿岸の一部で最大10メートル以上と想定しました。

 また、第1波津波到達は地震発生後、十勝、釧路港で17分という非常に短いものとしました。
 訓練コンセプトはいくつかありますが、短時間に来襲する津波への避難対応を向上させることと災害時要援護者への支援向上などがあげられます。
 釧路市は低平地が広がる地域特性を考慮して、商業用ホテルを含めた津波緊急一時避難施設として指定してある「津波避難ビル」に焦点をあて、災害時要援護者の方々にも参加していただき、この津波避難ビルへの自主避難訓練としました。
 また、メイン会場における訓練内容の解説者として、自然災害・防災がご専門のNHK解説副委員長の山崎登さんのご協力を得ることが出来たことはとても有り難いことでした。
 山崎さんのわかりやすい訓練解説により、一般住民に防災意識の高揚とともに「自助」の重要性を強く印象づけ、ビジュアルな訓練体験を通じて災害に必要な知識の普及啓発に繋がったものと考えています。
▲平成23年度 親と子の火山砂防見学会
──東日本大震災では、戦後最大の甚大な被害を受けましたが、初動での混乱は
矢野 三陸沖でマグニチュード9.0の巨大地震が20キロの深さの震源で発生したのは、2011年3月11日、午後2時46分です。
 私は、その日、午後3時から予定されている会議に備え、15分前に到着するように17階の防災課からのエレベータで、4階の災害対策室に降りた直後でした。大きな揺れが庁舎を襲い、咄嗟に、私は日本海溝・千島海溝型地震が道東に発生したと観念しました。普段からそこに発生した場合の被害の甚大さを想定し、TEC-FORCE(緊急災害対策派遣隊)の派遣や前線基地設置場所などのシュミレーションを行うなど、頭から離れず、札幌に大揺れがくるならここだと確信していたせいでしょう。
 東北の太平洋沖が震源と知り、多少の安堵感もつかの間、道内各地の震度は最大で震度4でしたが、宮城県北部が震度7と聞いて慄然としました。私は、大津波警報が発表されたら、その時刻で非常体制を敷き、災害対策本部を設置しようと決心し、早速、上司と調整に入りました。

 暫くして、同日15時30分に北海道太平洋沿岸西部、中部、東部に大津波警報が発令され、同時刻を持って本局、函館、室蘭、帯広、釧路開発建設部に災害対策本部が立ち上がります。
 よく放映される岩手、宮城、福島県における津波被害映像はこの時間帯あたりからのものです。
 道内の最大波は11日中には、えりも港で3.5メートル、根室港花咲で2.8メートルなどのほか道南の函館港でも2.4メートルなど2メートルを越える波高が気象庁から発表されました。
 所管施設の国道では、当初、津波浸水が想定される14路線810Km区間は通行止めを実施し、大津波警報解除に伴い徐々に規制区間を縮小し津波警報解除後には施設に異常がない区間から通行止めを順次解除し、13日の午後には全区間の通行止めを解除しました。
 このほか他の管理施設においても、関係部局にて粛々と対応が講じられたものと記憶しています。
──東日本大震災の検証が進められていると思いますが、教訓はありますか
矢野 2時46分、巨大地震が発生した後、東北地方は440万世帯が停電し、テレビはおろか防災無線すら十分に機能しなかったと聞きます。停電対策や通信インフラ整備など基本的なところをまず、しっかり整備すべきと思います。
 二つ目は、岩手県田老町にある海抜10メートルの高さの津波防潮堤に象徴されるような過度なハード施設への安全依存は禁物であり、計画規模を超えるハザードは必ずやってくるという前提のもとに、減災に向けての警戒避難対策を含めた総合的な防災対策が重要であるということが、今回の大きな教訓であったと思います。もちろん、ハード施設の果たした効果検証は重要であり、インフラ整備の重要性の根拠として訴え続けていくことが大切です。
 3点目に、津波の第1波は必ず引き波から始まるとは限らないという、正しい津波知識を小学生など児童の段階から防災教育できちんと教えていくことが大切であると思います。

 1930年代から40年代にかけて小学校の教科書に使用された「稲村の火」の記述上の誤解を解消するため、2011年から小学校5年生の検定教科書に載っている、「百年後のふるさとを守る」は、主人公の浜口儀兵衛の伝記ですが、私財を投げうって津波防波堤を建設したくだりの中で正確な津波知識が盛り込まれました。私も読みましたが、防災教育に力を入れることは、とても重要なことだと思います。
 最後に、行政も住民も共に「警報慣れ」といった実体のない過信を抱かないようにすることが重要だと思います。
 東日本大震災の起こる2日前に、宮城県で震度5弱の地震が発生し、併せて津波注意報も発表されましたが、結果として津波は来なかった。だから、後のアンケートでは約4割の人たちは、3月11日においても津波は来ないと思ったと回答しています。(以下次号)

矢野 明夫 やの・あきお
昭和31年4月生まれ 函館市出身
昭和55年3月 北海道大学 工学部 卒業
平成 5年4月 北海道 札幌土木現業所 当別ダム建設事務所 技術第1係長
平成 7年6月 北海道 室蘭土木現業所 治水課 河川係長
平成 9年4月 北海道 東京事務所 主査
(財団法人リバーフロント整備センター 研究第1部 主任研究員)
平成11年4月 北海道 総務課 主査
平成11年5月 北海道 建設部 河川課 治水係長
平成13年4月 北海道 建設部 河川課 ダム室 ダム計画係長
平成15年6月 北海道 函館土木現業所 事業部 治水課長
平成17年4月 北海道 建設部 河川課 主幹
平成19年6月 北海道 室蘭土木現業所 事業部長
平成21年4月 国土交通省 北海道開発局 事業振興部 防災課長
平成23年4月 北海道 建設部 砂防災害課長
平成23年6月 北海道 上川総合振興局 副局長


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