建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2011年11月号〉

interview

アスパラ生産で新分野進出優良企業表彰

――山林・農地を生かして多角経営に成功

幌村建設株式会社 代表取締役
幌村 司 氏

──幌村建設の来歴と社長の略歴からお聞きします
幌村 設立は昭和32年11月で、当時は幌村組という個人企業でした。後に株式会社として社名も現在のものに変更しました。私は昭和29年に生まれ、昭和53年より家業に就き、平成17年の父の死後、現職に就任しました。
──会社の所在地である新ひだか町の三石川は、急流の暴れ川で治水が大変だと聞きました
幌村 この社屋の敷地は元は三石川の源流で、堤防が完成し換地が進んだ結果、みなこの地区に居住するようになりました。日高管内の河川は概して勾配が急で、本州のように300mmや500mmもの雨が降れば手に負えなくなります。昭和56年の氾濫などは大規模で、この三石川も危うく堤防決壊寸前となり、社屋も危機的状況に置かれましたが、その時の経験のお陰で豪雨災害の対応には慣れました。
──北海道企業等の防災サポーターバンクに登録していますね
幌村 この地域で生かしてもらい、そして生きている企業ですから、地域のために貢献するのは当然のことで、普段の取り組みが公的に認証される仕組みがあるならば、登録した方が良いと考えました。  実際に、災害時の対応には慣れており、真っ先に行動しなければならない立場ですから、ショベル、バックホー、ダンプなどの重機はもちろん、発電機やポンプも保持し、土嚢は大型は300袋、小型は3,000袋を常備しています。道路が寸断されると物資は届かなくなるので、災害当日に入手することは不可能ですから。
──その経験を生かして、東日本大震災では5月20日から24日まで、現地入りしましたね
幌村 新ひだか建設協会員として、11人の人員で大船渡市に入りました。青森港から山間部を通り海側に出たら、忽然と瓦礫の山が視界に広がり、その光景にみな言葉を失いました。  現地では、2階まで津波に飲まれて泥土と塩水にまみれた半壊住宅の洗浄・修復に当たりました。高圧ポンプの水で洗浄するほか、床板を剥がして床下の泥土やゴミを排除し消毒してから、洗浄して乾かした床板を元に戻すのです。  被災者の方々は家族や親類を亡くしており、対話と心のケアに努めました。中には大工だった祖父が、自分で建てた住宅で犠牲になったケースもあり、だからこそきちんと残したいとのご意向も聞かれました。そうして、6軒の半壊住宅の修復を手がけました。
──日高にも津波は到達しましたね
幌村 大船渡市も高台となると、全く被害はなく、わずか5mの差で大きく状況が違っていたので、今後はなるべく高台への立地を考慮した方が良いと感じました。そこで、三石地区の福祉センターの建て替えが検討されているので、建設地を高台に移転してはどうかと提言しています。
▲東日本大震災・大津波後の須崎川(地域の人の声で助かった桜)
──この日高管内も3.11以降に何度も地震がありましたね
幌村 元から地震が多い地域なので、住民も震度5くらいの揺れには慣れています。しかし、大船渡市の状況などを、一度でも実際に見てきた方が良いと思います。見れば考えが根底から変わるでしょう。
──管内は日高山脈も擁しているので、どんな災害が発生するか分かりませんね
幌村 日高山脈はいまだ造山運動の最中で、世界中の研究者が訪れています。成長途上にあるために脆く、300mmの降雨で土砂災害が発生してしまいます。本州で見られるような500mmなどという豪雨があれば、大規模な土砂災害見まわれるでしょう。実際に、降雨の後に山中を通ると、至る所で土砂崩れが確認されます。
──山林といえば、林業にも携わり、山を肌で知っているのですね
幌村 当社は山林を所有しており、木材を伐採するほか間伐材から木炭を製造しています。その他、営農もしています。土地造成や暗渠などは、農業土木の延長にあるので、比較的スムーズに参入できました。
──この1月には、道から新分野進出優良企業として表彰されましたが、そこに至る経緯をお聞きしたい
幌村 新分野の事業は平成17年から取り組んでいますが、平成7年に農業を始めようと補助申請し、いよいよ着手というところまで話が進んでいながら、父である先代社長がやはり土木一筋で生きるべきと翻意してしまったため、関係者に大変な迷惑をかけてしまったことがありました。  その後、建設業が下火になり、父も納得したという経緯があります。そして人員を補充し、3つのハウスで花の栽培に着手しました。現在はアスパラのほかにアスターとスターチスという2種類の花を栽培しており、東京、大阪、名古屋に出荷しています。
──現在はどのくらいの規模になりましたか
幌村 ハウスは80棟で、アスパラと花卉類が半々です。元は農家で詳しい人員を採用し、本業が繁忙期でない4月には、従業員が総出で耕作に従事しています。昨年の春には高校生を一人、新規採用し、来年の新規採用予定も決まっています。私としては、地元で雇用を創り出すことが、最初の目的でもあったので、正規社員は4人ですが、パート労働者も確保しており、多いときでは20人くらいを雇用しています。
▲岩手県大船渡市(写真中央の家屋を洗浄)
──今後も規模は拡大していく方針ですか
幌村 作るものによって価格が変わります。アスパラは順調ですが、花は需要が落ちているので価格も低下するなど変動が大きく、今後は高品質な作物にシフトしていかなければならないでしょう。
──室蘭建設業協会では、労務関係の役職に就いていますね
幌村 普通作業員の日当は、かつては1万4,000円以上だったのが、現在は1万700円で3,000円以上下落しています。
──その状況では、新規の志望者も少なくなっているのでは
幌村 当社も人員は半分以下になりましたが、仕事がないから作業員も雇用できずで、他の協会員も同様です。当社としては、自社の従業員が直接作業に当たる直営方式で来ましたが、仕事がない限りはどうにもなりません。ピーク時には完工高が30億円を超えたこともありましたが、今は3分の1です。  この管内の道路網は、海に沿った一本道しかないため、災害時には陸の孤島になってしまいます。国が建設中の高規格幹線道路は第二の生命線となりますが、工事の進捗ははかばかしくありません。浦河まで高規格幹線は到達して欲しいものです。  先般に全道の地域医療の自給率が発表されましたが、日高はわずか28%で最下位でした。せめて50%を超えなければ、管内で怪我や重病になった全ての人が苫小牧市か札幌にまで行かなければならなりません。28%とは、それを意味する数値です。そうした時に、利用しなければならないのが高規格道路ですから、国民の生命を守るための最低限の道路整備くらいは、一刻も早く実現してもらいたいものです。
──今後の経営において、本業の苦況をどう乗り切っていきますか
幌村 新分野も労多くして実り少なしで、売上は全体の5%程度です。せめて一億くらいにはしたいのですが、やはり本業が根幹です。公共事業も、以前は欧米の2倍以上も行われていたと指摘されましたが、今ではGDP比が3.0%を下回り、むしろ欧米よりも低下しているのですから、これ以上は下げることにはならないと思います。
 特に道路・橋梁・トンネルすべてが30〜40年以上も経過しており、管理も当時の安全基準のままです。そうなると補修すべきか、新たに建設するのかを考える方向に向かうと思います。
──社員教育としては、どんな訓辞をしていますか
幌村 公共事業に従事する会社の仕事の源は、国民の税金であることを自覚し、地域住民と対話しながら、要望を現場監督などに伝えていくことが重要で、それが建設会社の使命だと話しています。
▲ファームホロ本場の全景 花とアスパラのビニールハウス群

幌村 司 ほろむら・つかさ
昭和29年12月11日生まれ(満57歳)
【経歴】
昭和52年4月 幌村建設株式会社 入社
昭和55年4月  〃 専務取締役 就任
平成17年7月  〃 代表取締役 就任
平成21年3月 株式会社ファームホロ 代表取締役 就任
【公職】
平成 9年6月 浦河労働基準協会 理事就任(現職)
平成18年1月 日高建設協会 監事就任
平成19年5月 (社)室蘭建設業協会 監事就任(現職)
平成19年5月 新ひだか町商工会 理事就任(現職)
平成19年5月 新ひだか観光協会 理事就任(現職)
平成19年5月 (社)日高地域人材開発センター運営協会 理事就任(現職)
平成20年4月 日高建設協会 理事就任(現職)
平成20年4月 北海道森林土木建設協会 日高支部長就任
平成21年3月 (社)北海道森林土木建設業協会 副会長就任(現職)
現在に至る


幌村建設株式会社のホームページはこちら


HOME