建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2011年11月号〉

interview

国土防衛としても必要なインフラ整備

――離島住民も過密都市住民も命の重さは同じ

稚内建設協会 会長
稚内日ロ経済交流協会 会長
藤建設株式会社 代表取締役
藤田 幸洋 氏


──昭和52年に土木と関わる人生がスタートしたのは名古屋でしたね
藤田 今はもう無くなりましたが、地場企業の東亜建設に入社したのが最初です。市内の下水道や街路、公園トイレの設置、施工などを経験しました。ただ、建設業に関わる切っ掛けとしては、父親がこの業界にいたので私も携わる結果となりましたが、最初から建設業を志望していたわけではありません。当時は船員になろうと考えたりしていました。
──それで大学も東海大学で、海洋学部海洋土木工学を専攻したのですね
藤田 その学科は、当時としては時代の先端を行っていたと思いますが、いま思えば学生には難易度が高かったかも知れません。大学ではなく大学院で履修されるべき科目ではないかと思います。というのも、下水道の現場でウェールポイントという地層から水抜きの作業工程がありますが、一般土木を専攻していればそれも学びますが、海洋土木ではその先端を進んでいたため、むしろ知らなかったことがけっこうありました。
──土木の魅力について、どのように捉えていますか
藤田 建設業の魅力というのは、橋梁やダム、トンネルなど自分たちの施工したものが地図に載ることにあると思っています。また、近年ではそうした施工を通じて地域の安心と安全を守っているという考え方もあり、それも大切だと思っています。
──最近は若者の土木離れが顕著だと言われます
藤田 若者が建設業に対して魅力を感じなくなったというのは、間違いだと思います。建設業は悪者とする風潮、公共事業不要論という風潮、そして市場が縮小された業界、これらが相まってイメージが悪化しているのだと思います。  しかし、「土木の日」のイベントなどで子供達の様子を見ていると、建設機械に触れた時などは非常に嬉しそうに喜んでいます。ものを創るという観点から言えば、子供達がプラモデルを作る喜びも、我々が土木構造物を創る喜びも同じで、決して魅力のない業界ではないと思います。  ただ、風潮が建設業界は悪者で公共事業不要論に基づき、縮小均衡を繰り返す流れによって、志望する学生が減少せざるを得なくなっているのです。しかも、少子高齢化の時代にあって、父兄は自分の子供を悪者の業界に関わらせたくないという気持ちもあるでしょう。
──なぜ、こんな状況に至ってしまったのでしょうか
藤田 新資本主義が提唱された時代から、ということでしょう。確かに、働く人と働かない人とに格差があってもかまわないとは思います。  しかし、憲法に規定されている基本的人権を考えると、少なくとも教育と医療については、東京在住の人も地方在住の人もみな同等です。ところが、現実にはこの地域に住んでいる我々が高度の医療、教育を受けたいと思うなら、札幌にでも住めと言われるかも知れません。しかし、私たちが地方に住むことは、それ自体が国防でもあり必要なことです。  個人レベルでの格差はあってもかまいませんが、基本的人権に関わる格差は許されるべきではなく、地域間においても医療と教育の格差だけは平等であるべきだと思います。
──その意味では、利尻、礼文島などの島民にとっては途方もない格差があるでしょう
藤田 例えば、この宗谷管内で分娩ができる医療機関は、稚内市立病院しかありません。さらに日本海側で隣接する留萠管内でも同じく1つしかありません。  そのため、私たちは高速交通網の整備を要望していますが、それは単なる物流の問題だけではなく命の問題でもあり、高速道路は命の道なのです。それを費用対効果のみで検討されるのは間違いだと思います。  その意味でも、国民の総意が常に多数決で決められるのが良いのかは疑問です。北海道の人口は500万人で、うち札幌市には200万人が集積しています。交通インフラもできているところに、さらに公共事業が必要なのかといえば、もう要らないはずです。
──地域から医療施設や学校が無くなれば、やがては人口が絶えてしまいますね
藤田 そのために子供手当などがありましたが、これは都会に資金が回る仕組みであって、少子高齢化の進んでいる地方はにまでは届きません。農家への戸別補償にしても、対象は米農家だけで酪農家は対象外です。その米農家は温暖な南部に分布しているので、北部には資金が届かない仕組みです。したがって、稚内には何の恩恵もない政策だったのです。
──せめて、建設業だけでも人材の継続に向けた対策が必要ですね。稚内建設協会長として、何らかの手は打っていますか
藤田 去年も今年も新卒者の求人は出しましたが、応募者はゼロという状況です。何しろ不況産業で、悪者扱いされている業種で、しかも稚内本社となると、イメージだけでも敬遠されるでしょう。  会員企業でも募集していますが、実態は縁故採用で、しかも採用した高校生らを研修するだけの時間的余裕がないという問題もあります。資格を取得して初めて一人前ですから、それには5年以上はかかるのです。
──新人の人材確保に向けては、全国ベースで号令がかけられていますね
藤田 このままの状態で10年後の社会を考えると、恐ろしくなります。除雪もできず、排雪もできず、災害時にも誰も出動できないような世の中になって、果たして良いのでしょうか。  そこでこちらからアンテナを広げ、私たちが建設業を志した初心や、地域の安全・安心を護っていくという存在理由を積極的にPRしていくしかないですね。建設業を、あくまでも社会の裏方ととらえてしまったのではダメです。業界自らが必要性を発信していかなければなりません。
▲起重機船
──建設業界は自治体と災害協定を結び、災害時にはいつでも出動するという公益に従事する使命と役割を持っていることが他産業との大きな違いですが、その協定はどんな内容ですか
藤田 災害時の第一報は建設協会に入り、地域ごとに決められた幹事会社に出動依頼が伝えられます。そこには空白地帯はありません。人員や重機の分布についてもすべて把握しているので心配は不要です。  しかし、いかに懸命に取り組んでも、市民やマスコミからは努力が認められず、報われない業界ですね。もしもストライキでも起こしたら、どうなるのか。例えば、冬場の除雪作業でストライキを起こしたら、理解も深まるかも知れませんが、それもできません。高齢者が急病になった場合に、緊急搬送できるように道を開けておかなければならず、それが私たちの使命ですから。  けれども、そうした緊急出動体制の維持は、すでに限界を過ぎています。つまり、限界以上のことが、私たちに求められていると感じます。
──今年は災害が続いたので、それに対応する建設産業に対しては、政府がもう少し大切にすべきですね
藤田 社会資本というのは、一度造れば後は良いのではありません。これまでは緊急事態が起きないことを前提にしていましたが、東日本大震災の規模の地震や津波が全国各地で起これば、日本は保たないでしょう。しかも、細部にわたる全国的なハザードマップができているわけでもありません。そもそも、ハードがあってこそソフトもあることを理解すべきと思います。  防災計画の視点で言えば、東京在住者も地方在住者も命の重さは同じで、そこに地域間格差があって良いのか、ということです。都会に住めと言われても、都会には住めない人もおり、また全国民が都市部に移住してしまうと、食糧自給率が急降下します。
──公共事業が減りすぎると、地域崩壊の原因にもなりますね
藤田 そこで協会として取り組んでいるのは、地域の安全と安心を守る事業の掘り起こしです。この管内の道路も、河川も、橋梁も、その他の海岸、港湾においても、元請け・下請けは別にし、私たち自身が施工したものですから、その弱点も理解しています。したがって、豪雨や強風の時には、協会会員企業内でパーティーを組んで自主的にパトロールし、様々な情報を発注者に提示しており、それが地域住民の安全と安心を守ることにもなるのです。
──地域住民から直接の要望ものもあるのでは
藤田 例えば、既存の道道の線形が悪いといったクレームなどは見られます。国道275号についても、管外の区間に対する改良の要望が見られました。離島などの観光地では、駐車帯が狭いとか、事故が起きたら困るといった話は聞かれます。しかし、道路の拡幅は漁業権の問題もあるので、海側にせり出すわけにはいかず、容易ではありません。
──地形や地勢の制約もあると思いますが、管内の今後の可能性をどのように捉えていますか。特に、稚内日露経済交流協会の会長に就任したことで、新たな地域再生の足がかりになるのでは
藤田 この協会は、経済交流の切っ掛けを少しでも関係者らに提供しようという趣旨です。サハリンプロジェクトで開発されたLNGの売却先の多くが日本で、東京ガスや東電の他、関西ガスや九州ガスも顧客となっています。ただ、いろいろな契約事項があり、全てのガスをサハリンからの輸入に置き換えるわけではありません。  一方、生産地であるサハリンでの生活インフラの整備に対する需要もあります。また、道産の農産物は、シベリア鉄道を利用しサハリン経由でEUに販売するルートを作ることも必要です。単価は多少は落ちても、管内農家の豊作病がなくなるのは理想的です。
──実際に、プロジェクトが継続している間は、サハリンでの人口が拡大し、需要の増加も期待できるのでは
藤田 人口が増えることはありません。とかくサハリン1、サハリン2と、二つのプロジェクトしか見られていないようですが、現地はすでに初期投資が終わり、生産段階に入っているのです。しかし、サハリンプロジェクトは8まであることが忘れ去られていますね。このプロジェクトは、今後も長く続くものであり、北海道に求められる新たな需要もあるのです。  例えば、北海道の土木における寒地技術は世界に冠たるものですから、それを発揮する場面がまだまだあるはずです。
──行政側に対する支援策などの要望はありますか
藤田 行政側は理解してくれていますが、道民全般の印象では、みなサハリン2で終了したとの感覚を持たれていると感じます。中には私の元に、サハリンでのビジネスの相談に来る人もいますが、本気度に疑問を感じることもあります。私たちは、この宗谷で、稚内市で生きていくための仕事として、サハリンプロジェクトに携わっているのです。  政府に対しては、遠隔離島の保護も良いのですが、国が計画を推進する重点港湾や中枢港湾だけでなく、地方港湾や重要港湾にも人は住み、物流はあるのです。とりわけ離島の地方港湾は住民の足なのですから、新規整備事業を批判したり取りやめるのは間違いです。  また、国境離島の扱いも考える必要があります。竹島が国境離島として領土問題を抱えているように、利尻・礼文島も同じく外界にある国境離島なのです。日本にはそうした離島がたくさんあり、そこにも人々が住んでいるのです。その意味で、国土防衛を含めて、もっと前向きに考えて頂きたい。  今日の社会資本整備も、少子高齢時代と気候の変動を考慮した上で、どんなインフラ整備が必要なのかを考えると、従来のものではダメかも知れません。時代が変化してきているのですから、私たちの意識改革も必要かも知れません。

藤田 幸洋 ふじた・ゆきひろ
昭和30年3月29日生まれ 北海道稚内市出身
昭和52年3月 東海大学海洋学部卒業
昭和52年4月 東亜建設株式会社入社
昭和55年5月 同社を退社
昭和55年5月 藤建設株式会社入社
昭和62年5月 同社 取締役に就任
昭和63年5月 同社 常務取締役に就任
平成 3年5月 同社 専務取締役に就任
平成 4年5月 同社 代表取締役に就任


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