建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2011年9月号〉

interview

グローバルな視点を地域経済と建設業に生かす

――北海道建青会 会長にも就任

2011年度 北海道建青会 会長/空知経営研究会(葉月会) 会/滝川建設協会 会長

株式会社田端本堂カンパニー 代表取締役社長 田端 千裕 氏


田端 千裕 たばた・かずひろ
1965(S40)年3月13日生、早稲田大学 社会科学部卒
サンダーバード国際経営大学院MBA(経営管理学修士)取得(米国アリゾナ州)後、都市銀行勤務を経て、
1994(H6)年12月 田端建設株式会社入社
2002(H14)年5月 滝川建設協会理事に就任
2003(H15)年6月 取締役副社長に就任
2008(H20)年5月 滝川建設協会副会長に就任
  同年 11月 会長代行
2009(H21)年4月 滝川建設協会会長に就任
  同年  7月 (株)田端本堂カンパニー 代表取締役社長に就任
2010(H22)年2月 空知建設業協会理事に就任
現在にいたる

 北海道空知管内滝川市の(株)田端本堂カンパニーは、建設業受難の苦況にあって、平成16年に(株)本堂建設工業との合併によって体制建て直しに成功した。平成21年度に引き継いだ田端千裕社長は、早大卒後に米アリゾナ州のサンダーバード国際経営大学院でMBA(経営管理学修士)を取得した。帰国してからは大和銀行に入行し、融資業務や為替取引業務など、経済界を俯瞰すると同時に、世界のマネー経済の動向に触れた経験を持っている。今年度4月からは北海道建青会会長に就任し、9月に滝川にて全道大会を開催する。国際経済、首都圏経済を見てきた同社長の目には、建設業界はどう映るのか。空知、滝川の地域経済をどう見るのか、会社経営の展望と合わせて伺った。

――社長の経歴ではサンダーバード国際経営大学院のMBAを修得していることが目につきましたが、その切っ掛けは
田端 大学時代には国際関係論のゼミを専攻していました。当時は、80年代後半で、日本経済がまだ右肩上がりの時期でした。そのゼミの関係から、諸先輩にはけっこう海外で活躍している人も多く、私も海外のビジネススクールで学んでみたいとの希望があったのです。
――当時は、日本の経済・文化と海外の経済・文化などの違いは大きかったのでは
田端 戦後、アメリカが世界経済の中心となり、日本でバブルが崩壊した後もアメリカが世界を牽引していたので、そうしたトップクラスの国でビジネスを学んでみたいという希望と、同じように世界中から志を持った人々が集まるところで学びたいという気持ちがあったのです。
 もっとも、今現在は国際的な仕事をしているわけではないので、直接的に役立っているとは言えませんが、広い視野を持つことができるようになったり、独自の人脈ができたという成果を得ました。滅多にはできない貴重な体験が得られたと思います。
――その実績によって、当時の大和銀行に入行することになったのですね。そこでは、国際的ビジネスノウハウも役だったのでは
田端 銀行では融資や外国為替の業務分野に配属されたこともあり、国際的な取り引きを通じて世界を身近に感じながら仕事ができました。勤務先は虎ノ門支店だったので、顧客はほとんどが企業、法人でした。もっとも、大企業ばかりということではなく、中小規模の貿易会社や、建設業界では西松建設(株)などもありました。
――そうしたグローバルな世界から、郷里で経営されていたこの会社を眺めて、感じるものはありましたか
田端 私は単身で都内に勤務していたので、現会長が会社を経営している関係から、留学や銀行勤務などいろいろと経験させてもらいましたが、いずれはUターンすることが前提でした。ただ、実際に滝川市に帰郷すると、人口も4万人台で田舎ではありますね。
――一国にも匹敵するほどの経済規模だった都内から見ると、かなりギャップを感じたのでは
田端 国外や都内でいろいろと経験しましたが、前提としてはそれを郷里で役立てる考えでしたから、ギャップはもちろんありましたが、どこにいてもその自覚を持っていました。
――公共事業は、その頃から少しずつ伸びてきましたが、建設業界は銀行マンの目線にはどのように映っていましたか
田端 当社に入社したのは94年12月で、その頃にはすでに建設業界は厳しい状況だったので、私は業況の良かった時期を経験していないのです。入社当初から厳しいと言われ、「失われた10年」と言われていた時期で、それが失われた20年となり、現在に至っています。
 したがって、経営は厳しい中で、当時の社長は「今は厳しいが、2、3年、頑張れば何とかなる」と毎年言いつつ右肩下がりで来ました。そして、私が社長を引き継いだ後も底を打ったのかどうかもまだ分からない状況が続いています。
――融資業務を通じてグローバルに経済を見てきた上で、そうした建設産業に従事することに魅力は感じられなかったのでは
田端 確かに格別の魅力を感じて入社したということではないですが、私が単身で身軽だったことと、郷里で会社経営をしているという条件があり、自分の経験を生かして会社を盛り立てることで、地域に貢献できればと考えていました。
――空知経済経営研究会(葉月会)の会長に就任しましたが、早い時期に入会していたのですか
田端 帰郷して翌年に入会しました。現在の会員は50歳までのレギュラー会員は17社で、60歳までのシニア会員は10社という体制です。入会した頃から見ると、会員数も減少傾向で、私を指導してくれた先輩や仲間が会社を閉鎖するなどのケースをいくつか経験しました。
――同じ経営者である会員同士では、最近はどんなことが話し合われていますか
田端 今年の全道大会は26回目ですが、近年は「建設業と情報化」をテーマとして取り上げ、いち早く業界として情報化に取り組みました。総合評価や入契制度等のタイムリーな情報交換、また、新分野への進出や多角化、M&Aの可能性を含めて、自らを厳しく律しながら前進しようという方針を確認し合ってきています。
――かつて融資業務に従事した立場の視点から見て、現在の会社の自己評価は
田端 合併前は、それぞれの企業が地域で歴史を刻みながら貢献してきており、自社がしっかりしていれば地域もより良くなっていくとの思いは抱いています。合併はしたものの経営は依然として厳しいですが、決して悲観はしておらず、まだまだ工夫していけると思っています。若い職員もいるので、知恵を出し合って行きたいと思います。
 新人は、しばらく新規採用していなかったのですが、そういう時期があまり続くと社内スタッフの世代バランスが崩れるので、去年今年は採用しています。
――最近は人材確保が困難と言われます
田端 新人職員も、よく当社を選んでくれたと思います。これからこの業界で生きていく覚悟を決めたわけですから、会社の発展と共に、各自の目標を達成していってもらいたいと思っています。
――業務の構成比率としては、やはり公共工事が高いのでは
田端 土木工事が年商の7割です。土木となれば、ほとんどが公共事業ですから。ある程度の技術者のストックは出来ていますが、受注状況を睨みながら、東北の復旧支援にも派遣しています。
 北海道の建設業者は、季節によって業務がなくなるので、以前から冬期間は本州に技術者を派遣していました。そのために提携している大手企業がいくつかあり、今回の東北大震災の復旧に当たっていますが、やはり人手が不足しているので数人ずつ派遣しています。これは他社でも同じ状況だと聞いています。
▲2011年度 北海道建青会 全道会員大会〔元気創造〕パンフレット(表紙)
――北海道建青会が9月に行われますが、何がテーマとなりますか
田端 今年は卯年なので、新年にはみな景気が兎のように跳ねることを期待していたのですが、3月に未曾有の大震災が発生したことで、日本全体がさらに冷え込んでしまった状況でした。特に北海道の建設業は、元から厳しい状況の中で、さらにその状況ですから倒産や自主廃業してしまう会社もあります。
 そのように萎縮志向に陥る経営者もいますが、建設業とは地域に無くてはならない産業であり、そうした仕事に誇りを持つと同時に、生き残っていくためにインフラ整備にしても、今回の震災を目の当たりにすれば、災害に強い街づくりはまだまだ進めていかなければなりません。それを通じて、町の活性化、ひいては地域の活性化につながっていく元気を生み出したいと思います。
 その意味で、今年度の大会テーマは「元気創造」を掲げています。この6月には春期研修を行いましたが、その時に赤平市でロケット開発に取り組んだ植松電機の植松専務を講師に招き、「思いはかなう」というタイトルで講演してもらいました。中小零細企業が、世界の企業と提携してロケット開発に取り組み、奮闘していることについて、周囲の「どうせ無理だろう」との固定概念を払拭して実現させていった状況を語って頂きましたが、かなり好評でした。
 そうして元気を創りあげていくことを、今回のテーマしています。合わせて、東日本大震災のチャリティも実施します。
 また、今回の大会でも基調講演を行います。講師は脳科学者の澤口俊之先生で、「経営者が伸ばすべき脳力とは何か」がタイトルです。業界内で凝り固まった私たちの思考をほぐしてもらって、元気のタネを一つでも二つでも植え付けて欲しいと希望しています。企業が倒産する場合には、その前に経営者の精神的な倒産があるかも知れません。そうなったのでは終わりですから。
――社長ご自身も、この情勢下ではかなり苦悩があるのでは
田端 私の場合はビギナーズラックではないですが、幸いにして社長に就任して1,2年目の業績は良好でした。その代わりに、今年度が本当の意味での試練なります。
 それでも、やるべきことをやっていれば、必ず道は拓けると思っていますので、あまり悲観することなくなんとかなるという展望を持ってやっています。
 業界として見ると、自由競争の合わない産業だと思いますね。自由競争に晒され、強いところだけがどこからでも収穫していくことになれば、地域には完成品だけが残り、地場企業が競争に敗北して消滅するので、それを維持・管理できなくなります。そのため、地域を維持することも困難になります。その意味では、地域を護るために地場企業を護るという視点で、地域行政とタイアップすることが必要になります。したがって、実際の入札においては、地域要件ということで多少の配慮はしてくれています。
――管内での今後の建設需要の見通しは
田端 滝川市は、今までのように新規のインフラ整備は期待できませんから、空知管内として強い産業を育成し、それに付随するインフラ整備を進めていくことが必要になるでしょう。また、管内は農業生産高が大きく、世界的に見ても農業の重要性はますます高くなるので、農業土木を強化し、高品質のものを作っていけば、地域経済は強くなれると思います。
会社概要
商 号:株式会社 田端本堂カンパニー
本 店:滝川市東町2丁目1番50号
本 社:三笠市岡山359番地1
創 業:大正 3年(1914)10月
設 立:昭和26年(1951)12月
資本金:7,500万円
代表者:代表取締役会長 田端真佳、代表取締役社長 田端千裕
許可:北海道知事許可(特-19)空第00428号

株式会社 田端本堂カンパニーのホームページはこちら
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