建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2011年6月号〉

interview

建設業が成り立つ地域作りに貢献する建親会

――地域産業の宣伝マンとしての役割を担う

釧路建親会 会長、山根土建株式会社 代表取締役社長
山根 浩氏

山根 浩 やまね・ひろし
昭和38年6月1日生まれ
昭和62年3月 武蔵工業大学工学部土木工学科(現東京都市大学) 卒業
昭和62年4月 クボタ建設 入社
平成 3年4月 山根土建株式会社 入社
平成 9年4月 山根土建株式会社 常務取締役
平成 13年4月 山根土建株式会社 取締役副社長
平成 21年5月 山根土建株式会社 代表取締役社長
平成 22年9月 白糠町建設業協会 副会長
山根土建株式会社
白糠郡白糠町東2条南2丁目3番地18
TEL 01547-2-2158

 山根土建鰍フ山根浩社長は、釧路・根室管内の建設会社後継者の若手を中心とする建親会の会長でもあり、同会は今年で50年を迎えた。建設業協会とは一線を画したユニークな同業者団体として育成したいと考える同社長の狙いは、本業たる建設業だけに専念するのではなく、あらゆる地場産業の営業、宣伝活動に参画し、その普及に協力し、ビジネスとして活性化させることにあった。行政による公共投資が激減し、建設需要が見込めない情勢にあって、町の産業を支援することで民間投資を喚起する発想は、そもそも町おこしの原点であり、基本と言えるだろう。

――山根土建の始まりから伺いますが、創業者は山根政治氏ですね
山根 私の祖父で、最初は美唄市で別の合名会社を経営していましたが、昭和28年白糠町に転居し、2人の息子を呼び寄せて、昭和31年山根組を創業、昭和36年に会社組織とし、私は2年後の昭和38年6月に生まれました。中高は釧路市内に通い、大学は東京都内を大前提に受験し、卒業後クボタ建設に勤務していましたが、4年後の結婚を機に白糠に戻り、すぐに建親会に入会しました。
――帰郷してすぐに建親会に入会し、今年20年目に至ったのですね
山根 建親会のOBでもある技術者畑の親父が社長であったこともあり、まずは技術者として一人前になろうと、最初の5年間で関連する施工管理の資格を5つ取得しました。そして、その間も現場代理人を務めながら建親会の行事は最優先に参加してきました。当時周囲から様々な会への入会を勧められましたが、大部分はお断りしておりました。
――建親会の50年と、入会後の20年は激動の時代たったのでは
山根 平成7年の橋本内閣による公共事業費を毎年10%削減するとの話で、全道の二世会では当時激震が走りました。そして小渕内閣では方針が変わり、小泉内閣ではまた変更されました。この間当社は10億以上の工事を請け負っていたのが、直近決算では7億くらいに落ち込んでおります。売り上げが半分以下になり、経営環境が厳しい状態は続きますが、だからといって廃業するつもりはありません。私も社員も建設業を生業として、特に地域というものに拘っていますから。売り上げを考えたら、釧路市に本社か本店を移した方が良かったのですが、白糠町で50年に渡って経営してきたのに、そんな都合で本社を移転するような会社にはしたくないとの思いがありました。なぜ当社がここにあるのか、その大前提を否定してはならないと思います。
――災害時となった場合、建親会はどう機能しますか
山根 建親会のメンバーは、二世社長や親族から引き継いだ人が主体で、地域で育ち、一時的には転出しても戻ってきたケースが多いのです。みな地域の青年部やJCなどにも入会しているので、異業種交流による力というものがあります。したがって、災害時には何をすべきか、地域の勝手は熟知しており、指示を待たなくともすぐに行動できます。
――地域の地形やインフラ整備の歴史などを知り抜いているのですね
山根 そうした積み重ねの上に、さらに今後も自分で積み上げていかなければなりません。その役割を途中で放棄し、「5年位で会社を畳もう」などと考えている経営者とは共通認識できません。建親会の目的の一つに事業承継があり、会社を次代につなげることは責務です。
 これは全国でも共通ですが、地場建設業者は地域の責任を負っていますから、「建設業は必要ない」と否定された時には「違う」と言えるのです。建設業は災害復旧となれば、消防団や自衛隊と同じように働きます。それはよく揶揄されるように、名を売るためではなく、人々がどのように困るのかを知っているから、消防関係者と同じ目線で活動できるわけで、金の問題ではないのです。
――今回の東北の震災報道を見ても、被災地で建設業者の重機が稼働している様子は一切、放映されませんね
山根 3年ほど前に、全国建設青年会議で建設専門誌の関係者が関西のテレビ局記者たちに、建設業者の復旧作業を何故報道しないかとの問いに、「建設会社の売名でしかなく、看板が映れば広告になる。復旧作業により収益を得るのだから、その営業活動をなぜ報道する必要があるのか」と答えました。これを聞いた会員は激昂し、彼らと3時間近く話し込んだ結果、ようやく「認識不足の発言だった」と認めて謝罪してくれたこともありました。
――平成5年には、この地域にも釧路沖地震が発生しましたが、どんな経験をしましたか
山根 夕食後のことで、屋内あらゆるものが倒れ、停電して真っ暗なところに父が駆けつけ、「開発から、直ちに道路を巡回して必要箇所にバリケードを置くよう指示があったから来い」と言ってきました。家族をそのまま残し、すぐに出動しました。
 車載無線機で従業員を呼び出し、被災箇所に通行止め措置を行い、無理に通ろうとする車両を引き留める作業に取りかかったのです。場合によっては、激昂したドライバーから殴られそうになり、それを駆けつけた警察が制止するという状況でした。
 しかし、そうした作業中にも従業員が犠牲となる可能性もあるので、大津波警報発令時の通行規制作業には、社員に出動を命ずることは本当に悩みますが、今回の東日本大震災発生時、テレビで東北地方に津波到達の映像が流れる中、担当社員は皆、自主的に出動していきました。本来なら帰宅したり避難させるところですが、私たちの場合は、まずは避難者救援のために食料を調達し、燃料を確保し、支障なく動ける体制の準備に取りかかります。私たちが動かなければ、困る人々がいるわけですから地域がある限りは続けなければならないと思っています。
 たぶん、これは東北の建設業者も同じだったでしょう。彼らも家族の安否が不明のまま、道路復旧に駆けつけているでしょう。それが地元建設業者の立場であり、大手ゼネコンとの明確な違いです。
 さらに言えば、地域コミュニティが崩壊しないよう、地域イベントにも社員が総出で参加するように話しています。それで地域が成り立てば、やがて建設工事へのニーズも発生すると思います。
――公共工事は、今やピーク時の3分の1になってしまいましたが、どう対処していますか
山根 街が存続するには、公共事業は必要です。大部分を民需でカバーするなら、それなりの大きな街の規模は必要です。本来公共事業は建設業者を養うためではなく、地域の産業を創出し、発展させ、安定維持することにより、そこに暮らす住民の生活を幸せにしていくものです。小さな街でも活性化していれば需要はあるのです。たとえ建設需要でなくても、清掃だったり、住宅リフォーム需要が発生します。
 幸い当社の従業員は、本業専門分野以外の作業にも当たってくれ、そうした積み重ねで経営は維持されています。また、技術者には建築も土木も両方の資格を取得するように指示しています。本年、釧路総合振興局発注工事で現場代理人表彰があり、当社の建築担当次長が農業土木における現場を担当して表彰されましたが、建築、土木両方に対応してきた結果です。
 そうして、街の多様な需要に対応できるように、地域の中小建設会社として地元に密着した方が良いと考えており、建親会のメンバーにも伝えていきたいと思っております。
 一方、住友林業が販売する道産資材を用いて、地域の工務店が施工する全国ネットのチェーンに当社は加盟しております。このネットワークによって、白糠町にいても首都圏でブランド展開する住友林業と同じ資材、そして全国ネットのデザイン住宅を地方で建てられるのです。
――建設業の生き残りのために、異分野進出も提起されましたが、どうお考えですか
山根 白糠には酪恵舎という各種表彰を受けているチーズ工房がありますが、始まりはぐっちーずという私も入会していましたチーズ友の会でした。今は発展的解散をしていますが、当時勝手連的に営業名刺を作成し、道内外で宣伝しました。また、地酒焼酎「鍛高譚」は白糠産のシソを使っているので、これも販売促進名刺を自主製作し、全国の寿司屋で配ったりしていました。東京では結構好評でした。白糠のイベントを知らせるポスターも社内製作し、釧路市内から通う社員の車に貼り付けたりしています。
 地域に関わるということは、ただ長年住んでいるということではなく、全てに関わりを持つということです。
 知人の羊飼いは京都からの移住者で、約20年たった今では、そこの羊が白糠のブランドになりました。白糠に来た当時は廃屋を本拠とした何頭かの羊に囲まれるだけで、冬に無事生きているか心配だったなんて冗談のような話もありますが、今では600頭を擁する生産法人の社長になりました。ご両親も白糠に呼び寄せ、子どもにも恵まれ頑張っています。そうした移住者が白糠で生業を持てる町にしたいと思うし、そうした人々とのつきあいが肝要です。
――白糠でも十分にビジネスとして成立し、定着できるわけですね
山根 このようにして、建親会は5年、10年を見据えて地域を支えるための活動を意識し、連携し、釧路根室管内の情報を共有することで他の建設団体との差別化を図っていきたいと考えています。会社を畳んでしまったのでは、それまで確立していた雇用、取引、流通を無くしてしまいますから、それを避けるために切磋琢磨し、これまでと同様に地域で必要とされる企業としてあることです。建設業が成り立つような地域にしていく責任を負っているのが、建親会だと言えます。
会社概要
設  立:昭和36年10月(創業 昭和31年)
資 本 金:20,000,000円
年間受注量:7億2,000万円(平成22年度実績)
従業員数:27名
釧路出張所:釧路市双葉町11-21 TEL 0154-24-3301
登  録:特定建設業 建築、土木、鳶・土工、水道施設工事
     北海道知事許可 特19(釧)第51号
     1級建築士事務所 北海道知事登録(釧)第65号
主な受注先:北海道開発局、北海道建設部、農政部、水産林務部、白糠町、旧音別町、北海道電力 他(順不同)

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