建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2011年2月号〉

interview

一次産業を守る巨大格子状防風林は北海道の宝物

―― 根室管内は鳥取県に相当する広大な面積で耕地面積の99%が牧草地

山洋建設株式会社 代表取締役 三宅 正浩氏

三宅 正浩 みやけ・まさひろ
昭和37年 9月14日生まれ
昭和60年 3月 東海大学 教養学部 卒業
昭和60年 4月 三井道路株式会社 入社
昭和63年 4月 山洋建設株式会社 入社
平成 4年 3月 同 取締役 就任
平成11年 6月 同 代表取締役副社長 就任
平成11年12月 同 代業取締役 就任
根室管内建設業協会 総務委員長
中標津建設業協会 副会長
道東道路維持協同組合 理事
北海道魚道研究会 理事
中標津町高工会 理事
山洋建設株式会社
標津郡中標津町東21条南6丁目17番地
TEL 0153-72-3623


 根室管内中標津町で、農業等の一次産業と連携し、地域経済の牽引役を担う山洋建設株式会社の三宅正浩社長にご登場いただいた。今年、創業40年を迎える山洋建設は総合建設業としての基盤を着々と固め、10年後の半世紀に向けて、地域に認められる「産業建設ブランド」の確立をめざしている。社員全員の技術力、対応力を高め、お客様に納得してもらえる製品を提供し、企業としての信用を勝ち取ることこそが建設業として生き残る道だと強調する三宅社長。かつて中標津青年会議所の理事長を務めた持ち前のパワーと人脈を発揮し、管内を代表する若手経済人の一人として大いに今後の活躍を期待したい。
――会社の概要からお聞きします。先代のお父さんが創業されましたね
三宅 初代の三宅正一(故人)は道庁で土木技術者として働いていましたが、退職後、義兄弟の会社を手伝っているうちに独立し、昭和46年に根室管内中標津町おいて同じ林業土木会社の山洋建設を創業しました。
――社長が昭和37年に生まれた当時はまだ道に勤めていましたか
三宅 そうです。最後の勤務地は滝川でした。私は石狩管内当別町生まれで、父が当別林務署に勤務していた頃です。父は網走管内西興部村出身で、道北の林務署が振り出しと聞いていますが、中標津との接点は親類がいたことです。  私は昭和60年に神奈川県の東海大学教養学部を卒業後、三井道路(横浜、札幌)に就職し、3年間お世話になりました。飯場暮らしも経験しましたが、主に経理、出納を担当しました。いずれは父の後を継ぐ気持ちがあったので、建設業界に絞って就職活動をしていました。  もっと長く勤めるつもりでしたが、63年に父の山洋建設に入社しました。父とは親子喧嘩したこともありませんし、本当に尊敬できる父でしたが、平成5年に急逝しまして、当時の専務に急きょ社長に就任してもらい、私が専務に就任しました。11年に37歳で社長に就任しましたが、周辺には同世代の社長や、専務クラスの役員が何人かいて、みな切磋琢磨して根室管内の発展に貢献しようという気風が強く、重鎮クラスの社長さんたちにも可愛がってもらいました。農業開発公団のパイロットファーム事業に合わせて会社を興した創業社長の息子たちが私と同世代です。  大学は文科系でしたが、勉強して一級土木、造園等の資格を取得しました。必ず現場にも出向き、営業活動しながら経理の仕事にもあたりました。最初の3年間は腰を据えて取り組み、目の回る忙しさでした。
――根室管内で林業土木を中心に会社の基礎を築いたのですね
三宅 林業土木でスタートしましたが、農業パイロットファーム事業関連の農業土木、さらに道路改良等の一般土木、水産土木にも進出、業容を広げてきました。
――平成12年に地元の中標津産業開発、18年には網走管内大空町の北日本工業と合併しましたが、文科系ゆえに工学系ならではの「こだわり」がなかったように感じますが
三宅 技術的な知識を持ちながらも、会社経営や職員の生活のことを考えて合併に踏み切りました。  中標津産業開発は当社からお声を掛けて、山洋建設が存続会社として合併しました。私が社長に就任する前から協議していました。  中標津産業開発は、除雪業務と維持管理が中心の会社でした。冬期に本州の現場に出向くのではなく、地元で年間を通じて仕事を受注する体制を整備したいとの思いがありました。
――根室管内の農業についてはどのように見ていますか
三宅 完全に酪農が中心の地域です。万が一基幹産業の酪農が衰退すれば別海、中標津、標津の地域経済は崩壊します。われわれの仕事も成り立ちません。中標津の雪印乳業のチーズ工場は東洋一の生産規模といわれています。  毎日酪農家から搾乳される牛乳は、365日休むことはありません。そして、その流通ルートとなる道路交通の確保は地域の建設業者が担っています。冬期間も含めて住民生活の安全かつ安心な道路交通を確保するため、気象状況を考慮しながら対応しています。特に地域経済の柱である酪農は、新鮮な牛乳が命です。その輸送に支障を来す地吹雪による視界不良や吹きだまり対策として、防雪柵は効果があり、必要な区間についての早期実施の検討を御願いしたいと思います。
▲格子状防風林
――会社としても農業との関係は深いですか
三宅 父の代から農業、林業、水産の分野は全力でお手伝いしたいと取り組んできました。例えば堆肥等の環境整備では、融雪期に草地に散布された堆肥が土壌や牧草に吸収される前に河川へ流入する恐れがあるので、草地や畜舎周辺に防風を兼ねた林帯を整備したりしています。  話が変わりますが、北海道遺産の第1号に認定された根釧台地の格子状防風林をご存じですか。認定されたのは2001年で、私もJCの理事長として関わりました。林帯の幅180m、一辺の長さが3kmの格子が続くカラマツの格子状防風林です。最長直線距離は27km、総延長は実に648kmに及びます。風や融雪水を防ぐだけではなく、自然の中で動物や鳥が行き来する場所にもなっています。格子状防風林は全道各地に造られたはずですが、大きく残っているのはここだけです。  格子状防風林は、アメリカ人の開拓顧問ホーレス・ケプロンの提唱によるもので、大正末期から昭初期にかけて本格的な造林が行われたそうです。開拓使が採用した「殖民地区画」は550m四方の区画を単位とし、北海道の農地や道路を整備しましたが、特にこの根釧地方においては3,300mごとに180m幅の防風林が設定されました。  大雪山系から吹き降ろす風の影響まで考えて、北海道開拓を計画した先人には頭の下がる思いです。私自身、北海道遺産に認定、登録には地元の代表として努力いたしました。  このような大規模な林帯を守ることは、農業の振興につながります。いま環境問題を考える時に、農業と環境問題は切っても切れない関係であり、環境問題を考えながら農業に取り組むうえで根釧台地の大規模な格子状防風林は、その象徴的な存在ではないでしょうか。農業・林業・水産は全てが結ばれており、一体となって環境問題とリンクしています。
――根釧の農業は戦前から将来を見据えて取り組まれてきたのですね
三宅 開発や食糧増産の名の下に排水のことを十分配慮しないまま糞尿を海に垂れ流したりしてきたことを反省し、先人の遺産を後世に残し伝えていきたいものです。  地元の農家や農協はいま、カヌーで川を回り、糞尿や農作業で使った粗大ごみが流れていないか、パトロールしています。  この10年余、漁家は海岸線に魚付き林の整備に取り組んでいます。海岸線や河川の周りに植樹し、自然を回復させることによって栄養分を含んだ豊かな川の水が海に流れることで、海も豊かになります。山から陸地や農地を通り、海に向かって全部がつながっています。さらに言えば、魚道という形のなかで、いままで遮断されていたものを自然に還すように努力し、魚が少しでも上流に帰れる魚道整備にも努めたい。  平成20年8月に北海道魚道研究会根室地区会が発足し、日大の安田陽一教授ら専門家を招き、根室振興局と一緒に勉強させてもらっています。  こうした積み重ねが一体となって地域の活力と自然豊かな根室管内を取り戻すための、一つひとつの行動なのだと考えています。  昨年は少なめでしたが、一昨年は砂防ダムの魚道に大量のマスがのぼりました。山の奥の方までいましたから、鳥や動物の餌にもなったと思います。山から海へ水は流れていても命の循環はしていなかったのが、これからは魚という命が循環するようになれば、自然環境が少しでも復元するものと期待しています。  別海町の西別川あたりは、地域住民が大変に川を愛しており、中標津の標津川もラブリバーの会などが河川愛護の活動をしています。ウラップ川は神の住む標津町の水がめとして崇められ、祭りの舞台になっています。  魚道の整備ばかりではなく、農業排水等が少しでも川に流れないような環境をつくる農業基盤整備事業をさらに推進することが、地域を豊かにすることだと思います。  根室管内は18万頭の乳牛を飼育しています。開発予算が大幅に削減されているなか、スラリータンクなどは更新時期を迎えていますので、もっと国の予算を投入すれば、農家の収益率がアップし、環境改善にも波及効果が期待できます。
――ところでTPP(環太平洋パートナーシップ協定)への参加が昨年になって急浮上してきました。根室振興局の試算によると、管内の影響額合計2,570億円・雇用21,000人に影響が出るだろうと予測されています。建設業界にとっての影響は
三宅 事前の説明もないまま、いきなり出てきた感じです。きちんとした対応策を示さないままTPPへの交渉参加には、断固反対です。昨年12月4日に中標津町で開催された「TPP交渉参加断固阻止 根室管内総決起大会」には、わが社からも約10名の役職員が参加しました。
――社会貢献活動にも熱心に取り組んでいるようですね
三宅 最近のニュースとしては、別海町立中西別小学校、中西別中学校にスクールバスで通う児童、生徒のバス待合所を設置、寄贈しました。地域のニーズに耳を傾けながら、さまざまな地域貢献の一環として取り組みました。根室支庁から発注された、「農道特別矢臼第2地区1工区」の施工を通して、通学バスを待つ子どもさんたちの様子を知り、現場代理人からの提案で実現しました。プレハブ倉庫を活用したもので、自転車置き場のスペースも確保し、待機スペースには黒板を設置、待ち時間も楽しめるようにしました。  学校とのご縁は他にもあり、生徒たちの企業体験を受け入れるため、企業グループを立ち上げて活動しています。

会社概要
創業・会社設立:昭和46年11月26日
資本金:28,000,000円
支店・営業所:
 北網支店/網走郡大空町女満別東2条6丁目2番7号
 営業所等/羅臼営業所・厚岸出張所


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