建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2010年1月号〉

interview

世界恐慌の今こそ国語力と歴史認識を高めて原点回帰を

――保険会社の融資で経営危機を突破

東邦コンサルタント株式会社 代表取締役 井上 淳氏

井上 淳 いのうえ・じゅん
昭和 3年 6月 生まれ 釧路市出身
昭和20年 8月 参謀本部陸地測量部教育部 52期卒(陸軍技手)
昭和24年 5月 井上測量事務所創業
昭和25年 3月 釧路国支庁拓殖課勤務
昭和26年 7月 北海道開発局勤務
昭和26年10月 釧路支庁へ出向
昭和33年10月 釧路浪花郵便局長拝命
昭和40年 9月 井上測量設計事務所再開
昭和42年 3月 東邦測量鰍ニなる代表取締役就任
昭和57年 9月 東邦コンサルタント(株)に社名変更
【賞罰】
平成14年10月 釧路市民貢献賞受賞
平成14年11月 勲五等瑞宝章受章
【経歴】
日本測量調査技術会 理事・北海道ブロック委員長
全国測量設計業協会連合会 理事
日本測量協会北海道支部 幹事
日本土地家屋調査士会連合会 理事
釧路土地家屋調査士会 会長
北海道測量設計業協会 副会長
北海道農業土木測量設計業協会 副会長
釧根測量設計業協会 会長
東邦コンサルタント株式会社
本  店/釧路市宮本1丁目2番4号
TEL 0154-41-8723
             
本  社/釧路市鳥取大通4丁目11番13号
TEL 0154-51-6161
             
札幌支店//札幌市北区北8条西4丁目 パストラルビルN8 5F
000-000-0000

 東邦コンサルタント鰍ヘ、設立して44年を迎えた老舗で、100名を超えるスタッフを抱え、コンサルタント会社としては異例の規模を持つ。創業者として、この大組織をリードしてきた井上淳代表取締役は、社員教育として「祖国とは国語」(藤原正彦著)を配布し、国語力の強化に力を入れている。混乱の時代に必要なことは、原点に立ち返ることという同社長の信念によるもので、世界あっての日本、日本あっての北海道、北海道あっての東邦コンサルタントという広い視点での運命共同体という意識が根底にある。経営難で金融機関から見放されても生き続け、肺ガンを患っても後遺症なく復帰している同社長の舵取りは、そうした高所に立った知見に基づく素早い判断力にあったと言えそうだ。

──東邦コンサルタントは、昨年で44年目を迎えましたが、経営者として思うことは
井上 この平成21年11月に44周年の記念式典を執り行いましたが、国家と社歌の斉唱をしました。  基本は、各自が生活していくにはどうすればいいのかで、これがスタート地点です。私はかつては郵便局長を務めましたが、郵便局を退職し測量で生計を立てようと考えたのが、会社の始まりです。  起業してから44年間、私は何をしてきたのか。私が測量業を信念として始めても、社員は最初から当社に勤めるために生まれてきたわけではなく、私が経営と業務に取り組んできたのは、それを好きだったからであって、社員はそのスタッフになるために生まれてきたわけでもありません。あくまでも生活を支えるためです。  そして、社員の中には、当社に勤務して良かったと思う人もいれば、こんな会社にしか入社できなかったと後悔する人もいるでしょう。ですから、最も大切なのは、当社での生活が人生にプラスだったかマイナスだったのかを冷静に省察することです。もしかすると、私のような社長がいなかったなら、もっと幸福だったのかも知れないと、謙虚に問い直す姿勢が基本です。
──企業トップとしては、スタッフに対して企業としての理念を浸透させたり、問題提起することも必要では
井上 昭和14年のノモンハン事件やインパール作戦、ガダルカナル島の戦いなどで、多くの日本兵が死亡しました。なぜ死ななければならなかったのかを考えるに、それは指揮者が作戦を誤ったからではないでしょうか。佐藤優という作家の「インフォメーションからインテリジェンスへ」という著作では、インフォメーションとは「案内」を意味し、インテリジェンスとは「情報」を指しており、重要なのはインテリジェンスなのですが、現代人はみなインフォメーションに頼って仕事をしています。戦争で言えば、兵士らはインフォメーションたる指示に基づいて忠実に闘いますが、その指示が間違っていたなら、多くの兵士を失うことになります。  ノモンハン事件では、関東軍の作戦参謀を務めた辻政信中佐の戦略の誤りによって、何万人もの兵が死亡したのですが、その参謀をまたもインドのインパール作戦で起用するという過ちを犯しています。現場から何百qも離れたところで作戦を立案した結果、最前線の戦地では途方もない苦労を強いられたわけです。  これは社長と社員の間にも通じることで、最も大切なのは指揮者と兵士がいかに情報を共有するかということです。
▲藤原正彦氏著書「祖国とは国語」
──日本経済はデフレが進行し、壊滅的な状況を迎えつつあります
井上 最近はデフレスパイラルだと大騒ぎしますが、当社が開業した昭和40年頃には、1ドルが360円の固定相場でした。それが47年に変動相場制へ移行し、一時は「1ドル180円になると、日本経済は潰れる」とまで言われていたのが、今や1ドル90円前後で、当時を知る現代人は、もはや360円や180円だった時代を忘れているでしょう。  これからはインテリジェンスの時代ですから、最近の情報だけでなく、歴史を振り返ることが重要です。当社がこれから生きる道も、そこにあると考えています。そこで大切なのは国語です。社員に映画「劔岳(点の記)」に関する感想文を書かせてみたのですが、国語力がいかに弱いかが分かりました。  以前にイントラネットを導入しようとしたとき、高学歴の社員らが「イントラネットでなくインターネットの間違いでは」と指摘してきたのを見て、今の大学は何を教えているのかと疑問を感じました。同じ大学にしてもレベルは雲泥の差があるので、当社は志望者には入社試験を課していますが、学力の低さは目に余ります。ネットやメールにばかり頼っているため、とりわけ作文能力が著しく低い。  そこで、もう一度、日本の国語や歴史を勉強すべきと考え、私は「祖国とは国語」(藤原正彦著)という本を全社員に配布しました。これからの企業のあり方は、経済史や一般政経史、世界史を知るとともに、自国の国語を心得ることが今後の生き方だと思っています。
▲資料室
──現代は各個人が歴史哲学を持っていなければならない時代ということでしょうか
井上 現代はすべてにおいて根本に立ち返る時期だと思っています。今は最善を尽くして、冷静に時を待つという時期で、今こそインフォーメーションからインテリジェンスに転換して、もう一度国語を勉強し自分の文章を書けることが重要です。  昭和40年の設立当初は、社員は中卒者しか採用しませんでした。応募してきたのは親のない学生や、法的に前科や前歴を持った者です。銀行などは、親がいないだけで受験資格もないという扱いですが、我々はそうした学生を集めてスタートしました。つまりは行き場のないダメ人間の集合体だったとも言えるでしょう。それでも、彼らはみな純真で仕事熱心で、しかも感激屋が多かったのです。当時は「会社員」といえば、大企業の従業員のイメージしかない時代でしたから、小さくとも企業組織の社員になれることは感激だったのです。ただし、高卒でない社員は定時制高校に通学することを採用条件としました。一方、官庁OBは採用出来なかったが、逆に企業経営としてはプラスでした。OBがいると何かと社員に甘えが出ますから。
──教育に理解ある経営者だったのですね
井上 大卒者も高卒者も、卒業するとせっかく学んだことを忘れてしまいます。しかし、学校に行かなかった者には忘れるものがありません。だからこそ、そこから努力して知識の層が厚くなりますが、卒業者は慢心して忘れる方が多い。  これは会社も同様で、私が裕福ならば測量業などに携わることもなく、大学へ行くか、または飲むか遊んでしまうでしょう。裕福ではないからこそ、生活を安定させようとして努力をするのです。ですから、金持ちよりもむしろ貧乏人の方が幸せなのだと考えるのです。お陰で、私は慶応の通信教育を履修して必修単位を取得しました。ただ、最終学歴が旧制中学であるため認定は得られませんが。  その意味では、最近はみな大金持ちで、最大の財産は時間と健康です。時間があれば準備に時間をかけて北大にでも行けるでしょう。しかし、みな勉強せずに野球観戦やサッカーに興じて、いざ就職となると成績が悪い。しかも受験時には志望を一校に絞るのではなく何校も受験し、どこでもいいから入学できれば良いという人生をバカにしたような行動をしていますね。だから、恵まれている人はむしろ不幸だと思うのです。
▲本社(全貌) ▲札幌支社(パストラルビルN8 5F)
▲本店(合同会館1F) ▲東邦地図管理 ▲東邦資料館・東邦技術研究所
──これまでにも経済的な苦況を経験していると思いますが、どのようにして乗り切ってきましたか
井上 今は政府の財政問題から公共投資が少なく、それは北海道の実情を軽視した政府の削減政策によるもので、各社の努力とは無関係だから対抗しても無駄というムードです。しかし、大切なのはこの情勢下で何をするかを考えることです。1ドル360円の時代から4分の1へドルが下落している情勢下で、どうあるべきかを考えるべきです。  昭和60年に釧路市内の鳥取大通りで830坪のビルを建築しようとしましたが、当社は経営難から銀行から見離され、取り引き停止されていたのです。その代わりに保険会社が代わって融資してくれたお陰で竣工し、会社も生き延びたのです。当時は官庁工事の支払いが1年から10年に延期されたために資金繰りに困り、帳簿上は黒字でも実態は7億円もの未収入金が累積していました。そこで市議会で契約の証明書をだしてもらったのですが、それでも銀行は融資を認めないのです。  ところが、ある暴風雨の日曜の夜に、仕事をしていた私の事務所に第一生命の外交員が訪ねてきました。招じ入れて会話したところ、保険会社でも300万円くらいなら融資できることを知らされました。さらに聞けば、支店や本社ではさらに大きな融資枠があるとのことなので、早速、第一生命本社の社長に会うべく、単身東京へ乗り込みました。事前の面会予約もないので社長には面会できなかったものの、審査部長が対応してくれましたが、これは異例のことで、かつてGHQのマッカーサー元帥が使用していた部屋に案内されたのです。  そして、審査部長の他に経理部長や経理課長など10人のスタッフとの問答となりましたが、決算書を見た経理部長は「とても融資できる状況ではない」と渋っていました。そこで私は「当たり前だ」と言い、「融資を受けられない状況だからこそ、わざわざ来たのです。決算内容が良好なら、最初から来る必要もないことで、そのために審査部長と問答しているのですから、経理部長は発言を控えてもらいたい」と要請しました。審査部長は押し黙ったままだったので、私は「はっきりして欲しい」と決断を迫ったのです。その結果、「会社には貸さないが、社長に貸し付けましょう。ただし、こうしたケースは、あなたが最初で最後です」との回答を得ました。そうして7億円の融資が許可されたのでした。  ところが、書類作成の段階で経理部長が、連帯保証人が必要だというので、私は「自分が返済できなくなったから保証人に肩代わりさせるような中途半端は許されない」と強く拒否しました。そうしたら、審査部長が「では、井上さんという個人に融資し、その代わり代表取締役である井上さんに連帯保証人になってもらいましょう」と提案してきたのです。こうして資金が確保されました。  建設に当たっては、坪単価60万円で、総工費は7億円程度の建設費を見積もっていましたが、当時は建築不況で事業が無くなっていた時代で、30万円でも請け負ってくれる建設会社があって、半額で5階建てのビルが竣工しました。設計もまだできていないのに、設計関係者などの知り合いが集まり、ものの5分で着工の段取りが決まったのです。  しかし、コンサルタント会社が使用するには1室あれば十分ですから、周囲からは「経営というものを知らない」と散々に批判されましたが、私は今のうちに建てておくのが正しいと主張していました。実際に、当時は坪単価が4.5万円程度だった地価が、後には20万円から30万円にまで高騰しましたから、早く決断して良かったと思います。
──鮮やかな立ち回りだったと言えますね
井上 実は、私はこの平成21年9月に肺ガンで左肺を失いました。そのときは5カ所の病院で癌ではないと診断されましたが、私は市立病院の医師に「いいからすぐに切除してほしい」と頼んだのです。しかし、医師は「病名が分からないのに手術するわけにはいかない」というので、「それなら病名が分からない病気ということで」と強いて依頼しました。そして入院し手術を受けた結果、かなり大きなガン細胞が切除されたのです。もしもそのときに、もう一度検査を受けるなどして時間が過ぎていたら、転移していたところでした。  肺ガンは発見しづらいので、手遅れになりがちで、また患者はなるべく切除しない治療法を望むのが一般的ですから、病名も特定できないうちから患者側から切除を望むのは異例だと、医師らは笑っていましたね(笑)しかし、迅速に切除して転移しなかったお陰で後遺症はなく、放射線治療や抗ガン剤投与の必要もなく、退院してすぐに仕事に復帰しました。
▲弊舞橋
──政権交代によって、国家の衰退に拍車がかかったとの印象が持たれています
井上 私がこの世を去った後は、日本は諸外国の領土になる可能性もある。社員には「もし戦争になったとき、家族が目前で虐殺されるのに耐えるだけの忍耐力を養え」などと話しています。というのも、現在、反戦・平和を叫んでいる人々が、戦争というものをどれほど知っているのかが疑問です。口先だけで平和を主張するのは誰にでもできますが、目前で家族が虐殺される戦争の現実を前に、手をこまねいて静観できるほどの忍耐力があるのでしょうか。無いのであれば、自らを守る力が必要です。  我が国の国防を見ると、諸外国がみな備えている海上警備隊が日本にはありません。領民が北朝鮮に拉致されたといくら騒いでも、国を護る力がなければ日本は潰されるでしょう。来年度から防衛費を削減するとの方針ですが、外交と軍事はバランスが取れていなければなりません。遠距離ミサイルは不要でも、本土だけは護るという信念が必要です。  当社は国旗を掲げていますが、だから右翼という意味ではなく、国があってこそ当社も存在するという認識の表れです。そして、国を大切にするように、社内は上司を大切にし、上司も部下を大切にできるかどうか。社員が社長を尊敬できるかどうか、社長も尊敬に値する威厳を持っているかどうかです。最近は社長が威厳を捨てて、社員と平等であることを理想とする風潮がありますが、バカなことを言うなと言いたい。社長と社員は同じものを食べても、片や全面責任があり、片や限られた責任でしかないのです。
──日本人は原点を思い出して、一度回帰することも必要かも知れませんね
井上 私は実はストレスがない人間です。社業の基本は「忍耐」と「努力」と「感謝」ですが、人間は我慢をしたり努力をするのが当たり前なのです。これをストレスに置き換えてしまうと、すべてがストレスということになり、面白くなくなります。しかし、面白くない理由は、自分の意のままにならないからであって、それならばもっと努力すれば良いのです。

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