建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2010年1月号〉

interview

「土木王国・北海道の土木を語る」(後編)

――新時代に土木と土木技術者に求められるもの

北海道建設部長 宮木 康二氏

宮木 康二 みやき・こうじ
昭和27年 8月8日生まれ 室蘭市出身
最終学歴
北海道大学工学部土木工学科
職歴
昭和54年10月 北海道庁採用(小樽土木現業所)
平成13年 4月 建設部参事(北海道エアシステム取締役)
平成16年 4月 建設部道路計画課長
平成17年 4月 留萌土木現業所長
平成18年 4月 建設部技監
平成19年 6月 後志支庁長
平成21年 4月 建設部長

 公共投資と建設事業への排斥により、国内の土木技術者は官民ともに激減してしまったが、人間は土と木に無縁で生きることはできない。人々の暮らしと経済活動の足場となる社会基盤を構築し、それらを適切に維持管理できる専門的な知識と技術を持った「土と木のドクター」は、やはり必要だ。世界は地球温暖化によって、異常気象が発生している。日本は第3回気候変動枠組条約締約国会議の決議に基づいて京都議定書を策定し、その後には北海道で「環境サミット」と呼ばれた洞爺湖サミットを主催。そして、新政権ではCo2の25%削減を国連で表明して賞賛を得るなど、環境対策を先導するリーダー国となっている。その役割を果たし国際公約を実現するには、諸外国に先がけて産業、経済、生活のあらゆる分野において、各国の模範となるべき工夫改善が求められる。そのためにも欠かせないのは土木技術である。

(前号続き)

――部長が建設の分野に従事することを志した経緯は
宮木 私が進路を決めた頃は、「黒部の太陽」、「霞ヶ関ビル」が、日本の経済成長と、それを反映する高度な建設・建築技術のシンボルとして称賛された時代でした。元から理系が得意だったこともありますが、私が高校生だった昭和43年に「黒部の太陽」が上映され、日本一の高層ビルであった霞ヶ関ビルも建設されるなど、高度成長に向かっていた時代でした。そうしたものに刺激を受け、建設の世界に進もうと決意したのです。  しかし、大学を卒業した頃は第一次オイルショックで、地元札幌市では新規採用がなく、そして今は建設業が社会的に冷遇される時勢となってしまい、黒部や霞ヶ関がもてはやされた時代とは対照的な時代となってしまいました。(笑)
――インフラを精力的に整備し始めた時代と、ともに生きてきたとも言えるのでは
宮木 高度成長の後にオイルショックで日本経済がダメージを受け、そこから復活して様々な社会資本整備が進められました。その後はバブル景気と呼ばれた高度成長の果てに、バブル崩壊という経済危機に陥り、その景気対策として平成10、11年をピークに社会資本投資が行われましたが、その後には構造改革で投資がダウンしました。そして今、政権交代により公共投資が再び半減されるのではないかと懸念される時代を迎えました。  そうした激動を繰り返す情勢の中で、私がこうした役職に任じていることの責任の重さを痛感しています。
――経済の浮沈を繰り返す中で、公共投資の持つ景気浮揚効果は、確実にあったと言えるのでは
宮木 建設業は裾野の広い業種ですから、公共投資が経済対策の一翼を担う一面は、あると思っています。また、公共投資によって次代の産業が発展する基盤も整えられます。したがって、不況の時にこそ次代を担う産業のための投資をしていくことが必要です。  北海道の場合では高速道路など、住民の暮らしや産業発展に必要なインフラ整備が必要です。そして、近年では特に災害に備えた社会基盤の整備が必要です。ただ、公共投資による経済効果を明示できる数値が、なかなか算出しきれないのが残念です。
――北海道は、およそ113年の土木行政史を持ち、そのトップとして53代目となりますが、政権が交代するなど歴史的な転換点にあって、どのように土木行政を牽引していく考えですか
宮木 我々が取り組んできたことに対する自負はありますが、反省しなければならない面もあります。その中で、新時代の要請に応えていけるように、我々自身も変わっていかなければならず、また道自体の建設行政も変えていきたいと考えています。  北海道は全国の22%の国土を持っており、そこで食糧基地という産業構造を持ち、そして観光という産業の活性化も経済的課題です。特に観光は今後ともあらゆる産業のキーワードとなり、日本全国も「ビジットジャパン」という気運が盛り上がっていますから、観光産業を支える基盤整備が重要になってくるでしょう。  財政的に厳しい制約の中で、そうした優先順位を考慮しながら整備効果がより早く発現できるよう、選択と集中によって実施していきたいと思っています。何しろ計画してから40年も50年も経過したのでは、社会情勢の変化によって、当初の目的が見失われる可能性もあり、それが批判されるという側面もあるでしょう。
――全道に地域事情を熟知した技術職員が配置されていますが、近年はリストラで、官民ともに技術者の減少によって技術の継承が危ぶまれています。そうした技術職員の研修・教育はどのように行っていますか
宮木 私たちはいわば建設に直接携わらないインハウスのエンジニアという立場にありますから、職員にどう研修するかは大きな課題です。公共事業が削減され、人員の削減も進み、多数の退職者に反して新規採用者はその1割程度でしかないという状況ですから、年齢構成もいびつなものになりつつあります。  それでも、今後は総合評価方式の拡充など、様々に品質の確保を図っていく上では、我々技術者自身が切磋琢磨して技術力を向上させていかなければなりません。特にインハウスのエンジニアにとっては、建設会社が責任施工で臨んでいるとはいえ、税金が投入されているわけですから、それを監督し、品質が確保されるよう指導していくことが使命で、教育・研修はとりわけ重要です。そのためにも、職員の年齢・経験に応じた教育システムの構築が必要です。
――施工現場という最前線で頑張っているスタッフに向けて、トップとしてのメッセージはありますか
宮木 100年に1度の経済危機において、公共事業が担う役割というものを十分に認識して、頑張ってくれていることに感謝しています。その使命感を持ちながら、自分たちが地域の発展の一翼を担っているのだという自信を持って職務に当たって欲しいと思います。それが、私たち土木技術者としてのやりがいであり、生き甲斐でもあって欲しいものです。  公共事業と建設行政の今後が、どんな状況になっていくのか不透明ではありますが、社会資本の整備を担う我々の使命は、今後とも変わることなく続くものであり、さらには地球温暖化対策など、新しい時代の要請にも応えていかねばなりません。そこに土木技術者としての新たな役割と使命が発生するものと思います。  そのためにも、各自が自らの技術力を切磋琢磨し、向上していって欲しい。土木というのは単年度で行うものではなく、10年、50年、100年先の将来を見据えたもので、私たちはその視点で日本の国土そして北海道を整備してきたはずです。その原点を忘れることなく、将来に向けて自信を持って職務に臨んで欲しいと思っています。

HOME