建設グラフインターネットダイジェスト

〈建設グラフ2009年10月号〉

interview

社長就任後財政基盤強化に取り組む

――下水道の適正な維持管理を行う技術者の技術向上を図る

赤川建設興業株式会社 取締役社長 太田 秀明氏
(社団法人旭川建設業協会 副会長・旭川下水道技術研究会 会長)

太田 秀明 おおた・ひであき
昭和21年 6月30日生まれ
昭和40年 3月 北海道立旭川工業高等学校電気科卒
昭和40年 4月 赤川建設興業株式会社入社
昭和59年 5月 同社取締役就任
昭和61年 5月 取締役専務
昭和62年12月 取締役社長
公職
平成 2年 4月 上川農業建設協会(旭川農業土木協会) 理事
平成13年 8月 社団法人旭川建設業協会 副会長
平成16年 9月 旭川商工会議所 常議員
平成18年 5月 (社)旭川中法人会 副会長
平成19年 5月 旭川中央防犯協会 副会長
平成19年 4月 旭川下水道技術研究会 会長
赤川建設興業株式会社
旭川市10条通9丁目左1号
TEL 0166-22-3192

 旭川市の赤川建設興業株式会社は、昭和17年に士別市において産声をあげ、戦後には拠点を旭川に移し、株式会社赤川組として再スタート。その後、幾多の変遷を経て、昭和62年に現在の太田秀明氏が社長に就任した。太田社長は旭川工業高校電気科の出身。工業高校を卒業した昭和40年4月、新卒で地元旭川の赤川建設興業に入社、若干41歳で4代目の社長にまで上り詰めた逸材。平成13年からは旭川建設業協会の副会長に抜てきされ、曲がり角に立つ建設業界のカジ取り役としても手腕を発揮している。平成19年からは旭川下水道技術研究会の会長を務め、下水道維持管理の技術者養成に力を入れている。「会社の財務基盤は確立した。社長の椅子はいつ譲ってもいい」という太田社長に語ってもらった。

――社長は旭川のご出身ですか
太田 昭和21年、帯広の生まれです。中学生までは帯広で暮らし、中学卒業後は旭川工業高校電気科に進み、以来、旭川に根付きました。
▲社屋
――昭和36、7年のことになりますが、旭川市内では寮生活でしたか
太田 そうです。下宿生活でした。当時は旭川〜帯広間は国鉄が1日1往復だけ走っていました。片道で3時間から4時間かかりました。  旭川工業高校は、道北を中心に全校生徒の6割が旭川以外の地方出身者が占めていました。昭和40年当時、求人は一流企業から引く手あまたでしたが、工業高校を卒業したとはいっても、イメージはエンジニアというより職人でした。  当初は本州の大手企業に就職するつもりで、入社前に研修に参加しましたが、大手は大卒者が幅を利かし、高卒者は全国各地の現場を転々とするだけで責任者にもなれないと思い、考え直して地元・旭川の赤川建設興業に入社しました。昭和40年の入社当時は従業員が4、5人規模で、総務や営業など幅広く経験させてもらいました。
――40年代以降は公共事業の拡大傾向が続きましたね
太田 20代の半ばには営業職に移り、旭川開発建設部や旭川土木現業所、上川支庁、旭川市などの官庁回りを経験しました。39歳で会社の役員に選任され、41歳で社長に就任しましたから、当初は精神的にプレッシャーがありました。  7、8年前からは公共事業の発注が先細りになり、今やピーク時の半分以下でしょう。当社の工事高は最盛期の平成10年度で約24億円でしたが、20年度は10億円を切っています。建設業界は文字どおり冬の時代が続いており、これからはもっと厳しくなると予想しています。  それでも公共事業は不渡り等のリスクがないので、真面目にやっていれば生きていける業界です。社員も含めて、稼いだ分でやっていくしかありません。管理部門を維持するうえで、最低でも15億円は必要と思っていましたが、ここまで落ち込むと人件費に手を付けるしかありません。ガラス張りの経営に徹する中で、社員の努力と金融機関の支援もあって今日に至っていると思っています。会社の規模は小さくても財務基盤は確立しているので、いつ社長の椅子を譲ってもいいという思いもあります。
▲ほ場整備工事(平成15年度農村基盤整備 麻布地区32工区) ▲美馬牛神楽線
――幾多の現場経験の中で、特に印象に残っている現場は
太田 旭川土木現業所発注の美馬牛神楽線道路改良工事です。美瑛町と旭川を結ぶ一般道道580号で、平成3年度から11年度まで毎年工事が続きました。山間部はいつ岩石が転落してくるか分からないような現場ですが、わが社の施工で完成した現場だけに、愛着もわくというものです。
▲緑橋(旭川)付近清掃
――ここまで公共事業が落ち込むと技術者の確保にも支障があるのでは
太田 建設業界としても、熟練工が減っているのは心配です。かつては土曜、日曜返上で工事を行っていましたが、それなりの処遇をしていたから社員も残ってくれました。いまは、それが出来ないのが辛いところです。しばらくは辛抱が続きます。工業高校を出ても建設業界へ就職を希望する人材が少ない時代ですから、いまの体制で歯を食いしばって頑張るしかありません。
――19年からは旭川下水道技術研究会の会長を務めていますが、旭川も下水道整備に力を入れてきましたか
太田 公共下水道整備は一段落したので、これからは維持管理の時代です。われわれの仕事にしていきたいので、下水道管理技術者の資格取得に向けて講習会の開催を計画しているところです。
会社概要
創  業:昭和17年12月
創  立:昭和22年5月2日
資 本 金:3,000万円
従 業 員:27名(役員6名、事務職員6名、技術職員15名)
札幌営業所:札幌市中央区南23条西12丁目2-601
建設業許可:北海道知事許可(特一18)上第133号
許可業種:土木一式工事、建築一式工事、とび・土工・コンクリートエ事、
     鋼構造物工事、舗装工事、造園工事、水道施設工事
測量業者登録:(3)-25833号(測量士2、測量士補2)

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